和俗童子訓(中村学園版)



和俗童子訓 巻之一

総論 上

 若き時は、はかなくて過ぎ、今老て死なざれば、盗人とする、ひじりの御戒め、逃れ難けれど、今年既に八そじにいたりて、罪を加へざる年にもなりぬれば、かかる不要なるよしなしごと云い出せる罪をも、願はくば、世の人これを許し給へ。年の積りに、世の中のありさま、多く見聞きして、とかく思ひ知りゆくにつけて、考へ見るに、凡そ人は、善き事も悪しき事も、いざ知らざる幼なき時より、習ひ馴れぬれば、まづ入し事、内に主として、既に其性となりては、後に又、善き事、悪しき事を見聞きしても、移り難ければ、幼なき時より、早く善き人に近づけ、善き道を、教ゆべき事にこそあれ。墨子が、白き糸の染まるを悲しみけるも、むべなるかな。此ゆへに、郷里の児童の輩を、早くさとさんため、いささか、昔きける所を、つたなき筆にまかせて、しるし侍る。かかるいやしき書つくり、ひが事きこえんは、いと恥べけれど、高さにのぼるには、必ず低きよりする理あれば、もしくは、いまだ学ばさる幼稚の、小補にもなりなんか、といふ事しかり。
 凡そ、人となれるものは、皆天地の徳をうけ、心に仁・義・礼・智・信の五性を生まれつきたれば、其性のままに従へば、父子、君臣、夫婦、長幼、朋友の五倫の道、行はる。是人の、万物にすぐれて貴き処なり。ここを以て、人は万物の霊、と云へるなるべし。霊とは、万物にすぐれて明らかなる、智あるを云へり。されども、食に飽き、衣を暖かに着、居所をやすくするのみにて、人倫の教えなければ、人の道を知らず、禽獣にちかくして、万物の霊と云へるしるしなし。古の聖人、これを憂ひ、師をたて、学び所をたてて、天下の人に、幼き時より、道を教え給ひしかば、人の道たちて、禽獣にちかき事をまぬがる。凡そ人の小なるわざも、皆師なく、教えなくしては、みづからはなしがたし。いはんや、人の大なる道は、古の、さばかり賢き人といへど、学ばずして、みづからは知りがたくて、皆、聖人を師として学べり。今の人、いかでか教えなくして、ひとり知るべきや。聖人は・人の至り、万世の師なり。されば、人は、聖人の教えなくては、人の道をしりがたし。ここを以、人となる者は、必聖人の道を、学ばずんばあるべからず。其教えは、予(あらかじめ)するを先とす。予すとは、かねてよりといふ意。小児の、いまだ悪に移らざる先に、かねて、早く教ゆるを云う。早く教えずして、悪しき事にそみ習ひて後は、教えても、善に移らず。戒めても、悪をやめがたし。古人は、小児の、初めてよく食し、よくものいう時より早く教えしと也。

 富貴の家には、善き人を選びて、早く其子につくべし。悪しき人に、慣れ染むべからず。貧家の子も、早く善き友に交はらしめ、悪しき事にならはしむべからず、凡そ小児は早く教ゆると、左右の人を選ぶと、是、古人の子を育つる良法なり。必ず是を法とすべし。

 凡そ小児を育つるには、初めて生れたる時、乳母を求むるに、必ず温和にして慎み、まめやかに、言葉すくなき者を選ぶべし。乳母の外、つき従ふ者を選ぶも、大やうかくの如くなるべし。初めて飯をくひ、ものをいひ、人のおもてを見て、よろこび、いかる色を知る時より、常に其の事に従ひて、時々教ゆれば、ややおとなしくなりて、戒むる事やすし。ゆへに、幼き時より、早く教ゆべし。もし、教え戒むる事遅くして、悪しき事を多く見習ひ、きき習ひ、くせになり、ひが事いできて後、教え戒むれども、はじめより心にそみ入りたる悪しき事、心の内に、早くあるじとなりぬれば、あらためて善に移る事かたし。たとへば、小児の手習するに、はじめ風躰悪しき手本をならへば、後に善き手を習ひても、うつりがたく、一生改まりがたきが如し。第一、いつはれる事、次に気随にて、ほしいままなる事を、早く戒めて、必ず偽りほしいままなる事をゆるすべからず。やんごとなき大家の子は、ことに早く、戒め教えざれば、年長じては、勢ひつよく、くらひ高くして、いさめがたし。凡小児の悪しくなりぬるは、父母、乳母、かしづきなるる人の、教えの道知らずして、其悪しき事をゆるし、従ひほめて、其子の本性をそこなふゆへなり。しばらく、なくこえをやめんとて、欺きすかして、姑息の愛をなす。其事まことならざれば、すなはち是、偽を教ゆるなり。又、戯れに、おそろしき事どもを云きかせ、よりより威しいるれば、後におく病のくせとなる。武士の子は、ことに、是を戒むべし。ゆうれい、ばけもの、あやしく、まことなき物がたり、必戒めて、きかしむべからず。或は小児の気にさかひたる者をば、理をまげて、小児の非をそだて、空打などすれば、驕慢の心いでくるものなり。小児をもて遊びて、我心をなぐさめんがためにに様々の言葉にて、そびやかし、くるしめ、いかり、あらそはしめて、ひがみまがれる心をつけ、むさぼり妬む、心ざしをひきいだす。しかのみならず、父母の愛すぐる故、あまえて父母をおそれず、兄をないがしろにし、家人をくるしめ、よろづほしきままにして、人をあなどる。戒むべき事を、かへつてすすめ、とがむべき事を、かへりてわらひよろこび、いろいろ、悪しき事どもを見さかせ、いひ習はせ、仕習はせて、やうやく年長じ、知恵いでくる時にいたりて、にはかに、初めて戒むれども、其悪しき習はし、年と共に長じ、ひさしく慣ひそみて、本性とひとしくなりにたれば、いさめを用ひず。幼き時に、教えなく、年長じてにはかに、いさむれども、したがはざれば、本性悪しくうまれつきたるとのみ思ふ事、いとおろかに、まどひのふかき事ならずや。

 凡そ小児を育つるに、初生より愛を過すべからず。愛すぐれば、かへりて、児をそこなふ。衣服をあつくし、乳食にあかしむれば、必ず病すくなし。富貴の家の子は、病多くして身よはく、貧賎の家の子は、病すくなくして身つ善きを以って、其故を知るべし。小児の初生には、父母のふるき衣を改めぬひて、きせしむべし。きぬの新しくして温なるは、熱を生じて病となる。古語に、「凡そ小児を安からしむるには、三分の餌と寒とをお(帯)ぶべし」、といへり。三分とは、十の内三分を云。此こころは、すこしはう(飢)やし、少はひやすがよし、となり。最古人、小児をたもつの良法也。世俗これを知らず、小児に乳食を、多くおたへてあ(飽)かしめ、甘き物、くだ物を、多くく(食)はしむる故に、気ふさがりて、必脾胃をやぶり、病を生ず。小児の不慮に死する者は、多くはこれによれり。又、衣をあつくして、あたため過せば、熱を生じ、元気をもらすゆへ、筋骨ゆるまりて、身よはし。皆是病を生ずるの本也。からも、やまとも、昔より、童子の衣のわきをあくるは、童子は気さかんにして、熱おほきゆへ、熱をもらさんがため也。是を以、小児は、あたためすごすが悪しき事を知るべし。天気善き時は、おりおり外にいだして風・日にあたらしむべし。かくのごとくすれば、はだえ堅く、血気づよく成て、風寒に感ぜず。風・日にあたらざれば、はだへもろくして、風寒に感じやすく、わづらひおほし。小児のやしなひの法を、かしづき育つるものに、よく云きかせ、教えて心得しむべし。

 小児を育つるには、さきにも聞こえつるやうに、先乳母、かしづき従ふ者を、選ぶべし。心おだやかに、邪なく、慎みて言すくなきをよしとす。わるがしこく、くちきき、偽りをいひ、言葉多く、心邪にしてひがみ、気たけく、ほしゐままにふるまひ、酩酊をこのむを悪ししとす。凡そ小児は智なし、心も言葉も、万のふるまひも、皆其かしづき従ふ者を、見慣ひ、聞慣ひて、かれに似するものなり。乳母、かしづぎ従ふ人、悪しければ、育つる子、それに似て悪しくなる。故に、其人をよく選ぶべし。貧賎なる家には、人を選ぶ事かたしといへど、此心得あるべし。いはんや、位たかく禄とめる家をや。

 凡そ小児を育つるには、専ら義方の教えをなすべし。姑息の愛をなすべからず。義方の教えとは、義理のただしき事を以って、小児の、悪しき事を戒むるを云。是必ず後の福となる。姑息とは、婦人の小児を育つるは、愛にすぎて、小児の心に従ひ、気にあふを云。是必ず後のわざはひとなる。幼き時より、早く気ずいをおさへて、私欲をゆるすべからず。愛をすごせば驕出来、其子のためわざはひとなる。

 凡そ子を教ゆるには、父母厳にきびしければ、子たる者、おそれ慎みて、親の教えを聞てそむかず。ここを以、孝の道行はる。父母やはらかにして、厳ならず、愛すぐれば、子たる者、父母をおそれずして、教行れず、戒めを守らず、ここを以って、父母をあなどりて、孝の道たたず。婦人、又はおろかなる人は、子を育つる道をしらで、つねに子をおごらしめ、気随なるを戒めざる故、其をごり、年の長ずるに従ひて、いよいよます。凡夫は、心くらくして子に迷ひ、愛におぼれて其子の悪しき事を知らず。古歌に、「人の親の、心はやみにあらねども、子を思ふ道に迷ひぬるかな」、とよめり。もろこしの諺に、「人、其子の悪しきを知る事なし」、といへるが如し。姑息の愛すぐれば、たとひ悪しき事を見つけても、ゆるして戒めず。凡そ人の親となる者は、わが子にまさるたからなしとおもへど、其子の悪しき方にうつりてのちは、身をうしなふ事をも、かねてわきまへず、居ながら其子の悪におち入を見れども、わが教えなくして、悪しくなりたる事をばしらで、只、子の幸なきとのみ思へり。又、其母は、子の悪しき事を、父にしらさず、常に子の過をおほひかくすゆへ、父は其子の悪しきをしらで、戒めざれば、悪つゐに長じて、一生不肖の子となり、或は家と身とをたもたず。あさましき事ならずや。程子の母の曰、「子の不肖なるゆへは、母其あやまちをおほひて、父しらざるによれり」、といへるもむべなり。

 小児の時より早く父母兄長につかへ、賓客に対して礼をつとめ、読書・手習・芸能をつとめ学びて、悪しき方に移るべき暇なく、苦労さすべし。はかなき遊びに暇をついやさしめて、慣し悪しくすべからず。衣服、飲食、器物、居処、僕従にいたるまで、其家のくらゐよりまどしく、乏足にして、もてなしうすく、心ままならざるがよし。幼き時、艱難にならへば、年たけて難苦にたへやすく、忠孝のつとめをくるしまず、病すくたく、おごりなくして、放逸ならず。よく家をたもちて、一生の間さいはいとなり、後の楽多し。もしは不意の変にあひ、貧窮にいたり、或戦場に出ても身の苦みなし。かくの如く、子を育つるは、誠によく子を愛する也。又、幼少よりやしなひゆたかにして、もてなしあつく、心ままにして安楽なれば、おごりに慣ひ、私欲多くして、病多く、艱難にたえず。父母につかえ、君につかふるに、つとめをくるしみて、忠孝も行ひがたく、学問・芸能のつとめなりがたし。もし変にあへば、苦しみにたえず、陣中に久しく居ては、艱苦をこらへがたくして、病をうけ、戦場にのぞみては、心に武勇ありても、其身やはらかにして、せめたたかひの、はげしきはたらき、なりがたく、人におくれて、功名をもなしがたし。又、男子、只一人あれば、きはめて愛重すべし。愛重するの道は、教え戒めて、其子に苦労をさせて、後のためよく、無病にてわざはひなきように、はかるべし。姑息の愛をなして、其子をそこなふは、まことの愛をしらざる也。凡そ人は、わかき時、艱難苦労をして、忠孝をつとめ、学問をはげまし、芸能を学ぶべし。かくの如くすれば、必人にまさりて、名をあげ身をたてて後の楽多し。わかき時、安楽にて、なす事なく、艱苦をへざれば、後年にいたりて人に及ばず、又、後の楽なし。

 幼き時より、心言葉に忠信を主として、偽りなからしむべし。もし人を欺き、偽りをいはば、きびしく戒むべし。こなたよりも、幼子を欺きて、偽りを教ゆべからず。こなたよりいつはれば、小児、是に習ふものなり。かりそめにも、偽りを云は、人にあらず、と思ふべし。心に偽りとしりながら、心を欺くは其罪いよいよふかし。又、人と約したる事あらば、必ず其約をたがへざるべし。約をたがへては、偽りとなり、信を失なへば、人にあらず。もし後に信を守りがたき事は、はじめより約すべからず。又、小児には、利欲を教えしらしむべからず。よろづにさとくとも、偽りて、只欲ふかく、人の物をむさぼるは、小人のわざなれば、幼時より、早く是を戒むべし。ゆるすべからず。

 小児の時より、心もちやはらかに、人をいつくしみ、なさけありて、人をくるしめ、あなどらず、つねに善をこのみ、人を愛し、仁を行なふを以って志とすべし。人わが心にかなはざるとて、顔をはげしくし、言葉をあらくして、人をいかり罵るべからず。小児、もし不仁にして、人をくるしめ、あなどりて、情なくば、早く戒むべし。人に対して温和なれども、其身正しければ、幼きとて人あなどらず。

 凡そ小児の教えは、早くすべし。しかるに、凡俗の知なき人は、小児を早く教ゆれば、気くじけて悪しく、只、其心にまかせてをくべし、後に知恵出くれば、ひとりよくなるといふ。是必ず、おろかなる人のいふ事なり。此言大なる妨たり。古人は、小児の初めてよく食し、ものいふ時より、早く教ゆ。おそく教ゆれば、悪しき事を久しく見聞きて、先入の言、心の内に早く主となりては、後に善き事を教ゆれども、移らず。故に、早く教ゆれば人やすし。つねに善き事を見せしめ、聞かしめて、善事に染み習はしむべし。をのづから善にすすみやすし。悪しき事も、すこしなる時、早く戒むれば入やすし。悪長じては、去がたし。古語に、「両葉去らざれば、将に斧柯を用んとす」。といへるがことし。婦人及無学の俗人は、小児を愛する道を知らず、姑息のみにして、ただうまき物を多く食はせ、よき衣を暖かにきせ、ほしゐままに育つるをのみ、其子を愛するとおもへり。是人の子をそこなふわざなる事を知らず。今の世にも、其父、礼をこのみて、其子の幼き時より、しつけを教え、和礼を習はする人の子は、必ず其子の作法よく、立居ふるまひ、人のまじはり、ふつづかならず、老にいたるまで、威儀よし。是其父、早く教えしちからなり。善を早く教え行はしむるも、其しるし又かくの如くなるべし。

 幼き時より、必ずまづ、其このむわざを選ぶべし。このむ所、尤も大事也。婬欲のたはふれをこのみ、淫楽などをこのむ事、又、ついえ多き遊びを、まづ早く戒むべし。これをこのめば、其心必ず放逸になる。幼きよりこのめば、その心癖となり、一生、其このみやまざるものなり。いかにいとけなくして、いまだ心にわきまへなくとも、又、富貴の家に生まれ、万の事、心にかなへりとも、道にそむき、人に害あり。物をくるしめ、財をついやす戯れ、遊びの、はかなきわざをば、せざる理たり。と云きかせ、さとらしめて、なさしむべからず。又、わが身に用なき無益の芸を、習はしむべからず。たとひ、用ある芸能といへども、一向にこのみ過して、其事にのみ心を用ゆれば、必ず其一事に心がたぶきて、万事に通せず。其このむ所につきて、ひが事多く、害多し。いはんや、益なき事をすきこのむをや。凡幼より、このむ所、習ふ事を、早く選ぶべし。

 小児の時より、年長ずるにいたるまで、父となり、かしづきとなる者、子のすきこのむ事ごとに心をつけて、選びて、このみにまかすべからず。このむ所に打まかせで、よしあしをゑらばざれば、多くは悪きすぢに入て、後はくせとなる。一たび悪しき方にうつりては、とりかへして、善き方に移らず、禁めてもあらたまらず、一生の間、やみがたし。故にいまだそまざる内に、早く戒むべし。ゆだんして、其子のこのむ所にまかすべからず。ことに高家の子は、物ごとゆたかに、自由なるゆへに、このむかたに心早くうつりやすくして、おぼれやすし。早くいまし戒めざれば、後に染み入ては、いさ(謙)めがたく、立かへりがたし。又、あしからざる事も、すぐれてふかくこのむ事は、必ず害となる。故に子を育つるには、ゆだんして其このみにまかすべからず。早く戒むべし。おろそかにすべからず。予するを先とするは此故なり。

 小児の時、紙鳶をあげ、破魔弓を射、狛をまはし、毬打の玉をうち、てまりをつき、端午に旗人形をたつる。女児の羽子をつき、あまがつ(天児)をいだき、ひいな(雛)をもて遊ぶの類は、只幼き時、このめるはかなきたはふれにて、年やうやく長じて後は、必ずすたるものなれば、心術におゐて害なし。大やう其このみにまかすべし。されど、ついゑ多く、かざりすごし、このみ過さば、戒むべし。ばくちににたる遊びは、なさしむべからず。小児の遊びをこのむは、つねの情なり。道に害なきわざならば、あながちにおさえかがめて、其気を屈せしむべからず。只、後にすたらざる遊び・このみは打まかせがたし。

 礼は天地のつねにして、人の則也。即(ち)人の作法をいへり。礼なければ、人間の作法にあらず。禽獣に同じ。故に幼より、礼を慎みて守るべし。人のわざ、事ごとに皆礼あり。よろづの事、礼あれば、すぢめ(筋目)よくして行はれやすく、心も亦さだまりてやすし。礼なければ、すぢめたがひ、乱れて行はれず、心も亦やすからず。故に礼は行なはずんばあるべからず。小児の時より和礼の法に従ひて、立居ふるまひ、飲食、酒茶の礼、拝礼など教ゆべし。

 志は虚邪なく、事は忠信にして偽なく、又、非礼の事、いやしき事をいはず、かたち(貌)の威儀をただしく慎む事を教ゆべし。又、諸人に交るに、温恭ならしむべし。温恭は、やはら(柔)かにうやまふ也。是善を行なふ始也。心あらきは、温にあらず。無礼なるは、恭にあらず。己を是とし、人を非として、あなどる事を、かたく戒むべし。高位なりとて、我をたかぶる事なかれ。高き人は、人にへりくだるを以って、道とする事を、教ゆべし。きずい(気随)にして、わがままなる事を早く戒むべし。かりそめにも人をそしり、わが身におごらしむる事なかれ。常にかやうの事を、早く教戒むべし。

 凡そ人の悪徳は、矜なり。矜とは、ほこるとよむ、高慢の事也。矜なれば、自是として、其悪を知らず。、過を聞ても改めず。故に悪を改て、善に進む事、かたし。たとひ、すぐれたる才能ありとも、高慢にしてわが才にほこり、人をあなどらば、是凶悪の人と云べし。凡そ小児の善行あると、才能あるをほむべからず。ほむれば高慢になりて、心術をそこなひ、わが愚なるも、不徳たるをも知らず、われに知ありと思ひ、わが才智にて事たりぬと思ひ、学問をこのまず、人の教えをもとめず。もし父として愛におぼれて、子の悪しきを知らず、性行よからざれども、君子のごとくほめ、才芸つたなけれども、すぐれたりとほむるは、愚にまよへる也。其善をほむれば、其善をうしなひ、其芸をほむれば、其芸をうしなふ。必ず其子をほむる事なかれ。其子の害となるのみならず、人にも愚なりと思はれて、いと口をし。親のほむる子は、多くは悪しくなり、学も芸もつたなきもの也。篤信、かつていへり。「人に三愚あり。我をほめ、子をほめ、妻をほむる、皆是愛におぼるる也」。

 小児に学問を教ゆるに、はじめより、人品善き師を求むべし。才学ありとも、悪しき師に、したがはしむべからず。師は、小児の見習ふ所の手本なればなり。凡そ学問は、其学術を選ぶ事を、むねとすべし。学のすぢ(筋)悪しければ、かへりて性をそこなふ。一生つとめても、善き道にすすまず。一たび悪しきすぢを学べば、後に善き術をききても、移らず。又、才力ありて高慢なる人、すぢわるき学問をすれば、善に移らざるのみならず、必ず邪智を長じて、人品弥悪しくなるもの也。かやうの人には、只、小学の法、謙譲にして。自是とせざるを以って、教をうくるの基となさしめて、温和・慈愛を心法とし、孝弟、忠信、礼義、廉恥の行を教えて、高慢の気をくじくべし。其外、人によりて、多才はかへりて、其心をそこなひ、凶悪をますものなり。まづ謙譲を教えて、後に、才学を習はしむべし。

 子弟を教ゆるには、先其まじはる所の、友を選ぶを要とすべし。其子の生まれつきよく、父の教え正しくとも、放逸なる無頼の小人にまじはりて、それと往来すれば、必ずかれに引そこなはれて、悪しくなる。いはんや、其子の生質よからざるをや。古人の言葉に、「年わかき子弟、たとひ年をおはるまで書をよまずとも、一日小人にまじはるへからず。」といへり。一年書をよまざるは、甚だ悪しけれど、猶それよりも、一日小人にましはるは悪しき事となり。最悪友の甚だ害ある事をいへり。人の善悪は、皆友によれり。古語曰、「麻の中なるよもぎは、たすけざれども、おのづから直し」。又曰、「朱にまじはれば赤し、墨に近づけば黒し。」といふ事、まことにしかり。わかき時は、血気いまた定らず、見る事、きく事、にうつりやすきゆへ、友悪しければ悪に移る事はやし。もろこしにて、公儀の法度をおそれず、わが家業をつとめざるものを、無頼と云。是放逸にして、父兄の教えにしたがはざる、いたづらもの也。無頼の小人は、必ず酒色と淫楽をこのみ、又、博打をこのみて、いさ(諫)めをふせぎ、はぢを知らず、友をひきそこなふもの也。必ず其子を戒めて、かれにまじはりしむべからず。一たび是とまじはりて、其風にうつりぬれば、親の戒め、世のそしり、を、おそれず、とが(咎)をおかし、わざはひにあへども、かへり見ず。もし幸にして、わざはひをまぬがるといへども、大不孝の罪にをち入て、悪名をながす。わざはひをまぬかれざる者は、一生の身をうしなひ、家をやぶる。かなしむべきかな。

 四民ともに、其子の幼きより、父兄・君長につかふる礼義、作法を教え、聖経をよましめ、仁義の道理を、やうやくさとさしむべし。是根本をつとむる也。次に、ものかき、算数を習はしむべし。武士の子には、学間のひまに弓馬、剣戟、拳法など、習はしむべし。但一向に、芸をこのみすごすべからず。必ず一事に心うつりぬれば、其事にをぼれて、害となる。学問に志ある人も、芸をこのみ過せば、其方に心がたぶきて、学問すたる。学問は専一ならざれば、すすみがたし。芸は、学問をつとめて、そのいとまある時の、余事なり。学問と芸術を、同じたぐひにおもへる人あり。本末軽重を知らず、おろかなり、と云べし。学問は本なり、芸能は末なり。本はおもくして、末はかろし。本末を同じくすべからず。後世の人、此理を知らず、かなしむべし。殊に大人は、身をおさめ、人をおさむる稽古だにあらば、芸能は其下たる有司にゆだねても、事かけず。されど六芸は、大人といへど、其大略をば学ぶべし。又、軍学・武芸のみありて、学間なく、義理をしらざれば、習ふ所の武事、かへりて不忠不義の助となる。然れば、義理の学問を本とし、おもんずべし。芸術はまことに末なり。六芸のうち、物かき、算数を知る事は、殊に貴賤・四民ともに、習はしむべし。物よくいひ、世になれたる人も、物をかく事、達者ならず。文字をしらざれば、かたこといひ、ふつづかにいやしくて、人に見おとされ、あなどりわらはるるは口をし。それのみならず、文字をしらざれば、世間の事と詞に通せず、もろもろのつとめに応じがたくて、世事とどこをる事のみ多し。又、日本にては、算数はいやしきわざなりとて、大家の子には教えず。是国俗のあやまり、世人の心得ちがへるなり。もろこしにて、古は、天子より庶人まで、幼少より、皆算数を習はしむ。大人も国郡にあらゆる民(の)数をはかり、其年の土貢の入をはかりて、来年出し用ゆる分量をさだめざれば、かぎりなき欲に従ひて、かぎりある財つきぬれば、困窮にいたる。是算をしらざればなり。又、国土の人民の数をはかり、米穀・金銀の多少と、軍陣に人馬の数と糧食とを考へ、道里の遠近と運送の労費をはかり、人数をたて、軍をやるも、皆算数をしらざれば行なひがたし。臣下にまかせては、おろそかにして事たがふ。故に大人の子は、ことに、みづから算数をしらでは、つとめにうとく、事かくる事多し。是日用か切要なる事にして、必ず、習ひ知るべきわざなり。近世、或君の仰に、「大人の子の学びてよろしぎ芸は、何事ぞ。」と間給ひしに、其臣こたへて、「算数を習ひ給ひてよろしかるべししと辛されける。い上よろしきこたへなりけるとかたりつたふ。凡そたかきもひききも、算数を知らずして、わが財禄のかぎりを考がへず、みだりに財を用ひつくして、困窮にいたるも、又、事にのぞみて算をしらで、利害を考る事もなりがたきは、いとはかなき事也。又、音楽をもすこぶる学び、其心をやはらげ、楽しむべし。されど、もはら(専)このめば、心すさむ。幼少より遊びたはふれの事に、心をうつさしむべからず、必ず制すべし。もろこしの音楽だにも、このみ遇せば、心をとらかす。いはんや日本の俗に翫ぶ散楽は、其章歌いやしく、道理なくして、人の教えとならざるをや。芸能其外、遊びたはふれの方に、心うつりぬれば、道の志は、必ずすたるもの也。専一ならざれば、直に送る事あたはずとて、学間し道を学ぶには、専一につとめざれば、多岐の迷とて、あなた・こなたに心うつりて、善き方に、ゆきとどかざるもの也。専一にするは、人丸の歌に、「とにかくに、物は思ばず飛騨たくみ、うつ墨なはの只一すぢに」、とよめるが如くなるべし。

 富貴の家の子に生まれては、幼き時より世のもてなし、人のうやまひあつくして、よろづゆたかに心のままにて、世界の栄花にのみ、ふける習はしなれば、おそれ慎む心なく、おごり日々に長じやすく、たはぶれ・あてびをこのみ、人のいさめをきらひにくむ。いはんや学問などに身をくるしめん事は、いとたへがたくて、富貴の人のするわざにあらずと思ひ、むづかしく、いたづかはしとて、うとんじきらふ。かかる故に、おごりをおさへて、身をへりくだり、心をひそめ、師をたうとび、古をかうがへずんば、いかにしてか、心智をひらきて身をおさめ、人をおさむる道を知るべきや。

 いやしき者、わが身ひとつおさむるだに、学問なくて、みづからのたくみにはなりがたし。いはんや富貴の人は多くの民をおさむる職分、大きにひろければ、幼き時より、師に近づき、聖人の書をよみ、古の道を学んで、身をおさめ、人を治むる理を知らずんばあるべからず。いかに才力を生れ付りとも、古のひじりの道を学ばずして、わが生れ付の心を以、みだりに人をつかひ、民をつかさどれば、人民をおさむる心法をも、其道、其法をもしらで、あやまり多くして、人をそこなひて、道にそむき、天官をむなしくして職分をうしなふ。しかれば、位高く禄おもき人の子は、ことさら少年より、早く心をへりくだり、師をたつとびて、学ばずんばあるべからず。

 凡そたかき家の子は、幼きより、下なる者へつらひ、従ひて、ひが事を云、ひが事を行なひても、尤なりとかんじ、つたなき芸をも、早く、上手なりとほむれば、きく人、みづからよしあしをわきまへず、へつらひ、偽りてほむるとは知らず、わが云事もなす事も、まことに善き、とおもひ、わが身に自慢して、人にと(問)ひ学ぶ事なければ、智恵・才徳のいでき、すすむべきやうなくて、一生をおはる。ここを以、高家の子には、幼き時より、正直にて知ある人を師とし友とし、そばにつかふる人をも選びて、悪しき事を戒め、善をすすむべし。へつらひほむる人をば、戒めしりぞくべし。富貴の人の子は、とりわき、早く教え戒めざれば、年長じて後、世の中さかりに、おごり慣ひぬれば、勢ひつよくなりて、家臣としていさめがたし。位たかく身ゆたかなれば、民のくるしみ、人の憂ひ、を知らず、人のついえ、わがついえ、をもいとはず、をごりに慣ひては、人をあはれむ心もうすくなる。又、さほど高きしな(品)にのほらざれども、時にあひ、いきほひにのりては、つねの心をうしなひ、人に、無礼を行なひ、物のあはれを知らず、人の情をもわすれて、云まじき事をもいひ、なすまじき事をもなす事こそ、あさましけれ。幼き時より、古の事をしれる、おとなしく正しきいにしえ人を選び用て、師とし友とし、早く学問をつとめさせ、身をおさめ、人をおさむる古の道を教えて、善を行はしめ、悪を戒むべし。善き人を選びて、もし其人にあらずんば、師とすべからず。既に師とせば、是をたうとびうやまひ、其教えをうけしむべし。又、身の養、飲食などの、慎みをも教ゆべし。左右近習の人をよく選びて、質朴にて忠信なる人を、なれ近づかしむべし。必邪佞・利口の人を、近づくべからず。かやうの人、はなはだ、人の子をそこなふものなり。又、邪悪の人にあらざれども、文盲にして学問をきらふ師の教え、人は、善き事をしらで、幼少なる子の、志をそこなふ。左右の人、正しからざれば、父のいさめ、行はれず。心にかなひたるとて、子の害になる人を、近づくべからず。賈誼が言葉に、「太子をよくするは、早く教ゆると、左右を選ぶにあり。」といへり。最古今の名言なり。

和俗童子訓 巻之一 終




中村学園教授:水上 茂樹先生の監修による、同学園デジタル版を
当ホームページに転載しております。この場をお借りして、転載
許可を快諾してくださった 水上教授に厚く御礼申し上げます。また
入力されたスタッフの皆様にも御礼申し上げます。






|         | | 童子訓メニュー | | 童子訓2を見る |



新館(古典醫学)に戻る