少年にて、師にあひて物を習ふに、朝は師に学び、昼は朝学びたる事をつとめ、夕べはいよいよかさねなら(習)ひ、夜ふして、一日の中に、口にいひ、身に行なひたる事をかへり見て、あやまちあらば、くひて、後の戒めとすべし。
人の弟子となり、師につかへては、わが位たかしといへ共、たかぶらず。師をたっとび、うやまひて、おもんずべし。師をたっとばざれば、学間の道たたず。師たる人、教を弟子にほどこさば、弟子これにのっとり習ひ、師に対して、心も顔色もやはらかに、うやまひ慎み、わが心を虚しくして自慢なく、既にし(知)れる事をもしらざるごとくし、又よく行なふ事をも、よくせざるごとくにして、へりくだるべし。師よりうけたる教えをば、心をつくしてきは(究)め習ふべし。是弟子たる者の、師にあひて、教えをうくる法なり。
論語の、「子曰、弟子入ては則ち孝する」の一章は、人の子となり、弟となる者の法を、聖人の教え給へるなり。わが家に在ては、先親に孝をなすべし。孝とは、善く父母につかふるを云。よくつかふるとは、孝の道を知りて、ちからをつくすを云。ちからをつくすとは、わが身のちからをつくして、よく父母につかへ、財のちからをつくして、よく養なふを云。父母につかふるには、ちからををしむべからず。次に、親の前を退き出てては、弟を行なふべし。弟は、善く兄長につかふるを云。兄は、子のかみ(上)にて、親にちかければ、うやまひ従ふべし。もし兄より弟を愛せずとも、弟は弟の道をうしなふべからず。兄の不兄をに(似)せて、不弟なるべからず。其外、親戚・傍輩の内にても、年老たる長者をば、うやまひて、あなどる事なかれ。是弟の道なり。凡そ孝弟の二つは、人の子弟の、行ひの根本也。尤(も)つとむべし。謹とは、心におそれありて、事のあやまりなからんやうにする也。万の事は、慎みより行はる。慎みなければ、万事みだれて、善き道行なはれず、万のあやまちも、わざはひも、皆慎みなきよりをこる。つつしめば、心におこたりなく、身の慎むわざにあやまりすくなし。謹の一字、尤(も)大せつの事也。わかき子弟のともがら、ことさら是を守るべし。信とは、言に偽りなくて、まことあるを云。身には行なはずして、口にいふは信なきなり。又、人と約して、其事を変ずるも信なきなり。人の身のわざおほけれど、口に言と身に行との二つより外にはなし。行を慎みて、言に情あるは、身ををさむるの道也。「汎く衆を愛す」とは、我がまじはり対する所の諸人に、なさけありて、ねんごろにあはれむを云。下人をつかふに、なさけふかきも亦、衆を愛する也。「仁にちかずく」とは、善人にしたしみ、近づくを云。ひろく諸人を愛して、其内にて取わき善人をば、したしむべし。善人をしたしめば、善き事を見慣ひ、聞慣ひ、又、其いさめをうけ、我過を聞て改るの益あり。此六事は人の子となり、弟となる者の、身をおさめ、人にまじはる道なり。つとめ行なふべし。「行って余力あれば即(ち)用ひて文を学ぶ。」とは、余力はひま也。上に見えたる孝弟以下六事をつとめ行て、其ひまには、又古の聖人の書をよんで、人の道を学ぶべし。いかに聡明なりとも、聖人の教を学ばざれば、道理に通せず、身をおさめ、人に交る道を知らずして、過多し。故に必古の書をまなんで、其道を知るべし。是則(ち)、身をおさめ、道を行なふ助なリ。次には日用に助ある六芸をも学ふべし。聖人の経書をよみ、芸を学ぶは、すべて是文を学ぶ也。文を学ぶ内にも、本末あり。経伝をよんで、学問するは本也。諸芸を学ぶは末也。芸はさまざま多し。其内にて、人の日々に用るわざを選びて学ぶべし。無用の芸は、学ばずとも有なん。芸も亦、道理ある事にて、学問の助となる。これをしらでは、日用の事かけぬ芸を学はざれば、たとへば木の本あれども、枝葉なきが如し。故に聖人の書をまなんで、其ひまには文武の芸を学ぶべし。此章、只二十五字にて、人の子となり、弟となる者の、行ふべき道、これにつくせり。聖人の語、言葉すくなくして、義そなはれり。と云べし。
凡そ子弟年わかきともがら、悪しき友にまじはりて、心うつりゆけば、酒色にふけり、淫楽をこのみ、放逸にながれ、淫行をおこなひ、一かたに悪しき道におもむきて、善き事をこのまず。孝弟を行ひ、家業をつとめ、書をよみ、芸術を習ふ事をきらひ、少(すこし)のつとめをもむつかしがりて、かしら(頭)いたく、気なやむなどいひ、よろづのつとむべきわざをば、皆気つまるとてつとめず。父母は愛におぼれて、只、其気ずい(随)にまかせて、放逸をゆるしぬれば、いよいよ其心ほしいままになりて、慣ひて性となりぬれば、善き事をきらひ、むつかしがりて、気つまり病をこるといひてつとめず。なかにも書をよむ事をふかくきらふ。凡そ気のつまるといふ事、皆善き事をきらひ、むつかしく思へるきずい(気随)よりおこれるやまひ(病)なり。わがすきこのめる事には、ひねもす、よもすがら、心をつくし、力を用ても気つまらず、囲碁をこのむもの、夜をうちあかしても、気つまらざるを以って知るべし。又、蒔絵師、彫物師、縫物師など、いとこまかなる、むつかしき事に、日夜、心力と眼力をつくす。かやうのわざは、面白からざれども、家業なれば、つとめてすれども、いまだ気つまり、病となると云事をきかず。むつかしきをきらひて、気つまると云は、孝弟の道、家業のしはざなどの、善き事をきらふ気ずいよりをこれり。是孝弟・人倫のつとめ行はれずして、学問・諸芸の稽古のならざる本なり。書をよまざる人は、学問の事、不案内なる白徒(しろうと)なれば、読書・学問すれば、気つまり気へりて、病者となり、命もちぢまるとおもへり。是其ことはりをしらざる、愚擬なる世俗の迷ひ也。凡そ学問して、親に孝し、君に志し、家業をつとめ、身をたて、道を行なひ、よろづの功業をなすも、皆むつかしき事をきらはず、苦労をこらへて、其わざを、よくつとむるより成就せり。むつかしき事、しげきわざに、心おだやかにくるしまずして、一すぢに、しづかになしもてゆけば、後は其事になれて、おもしろくなり、心をくるしむる事もなくて、其事つゐに成就す。又むつかしとて、事をきらへば、心から事をくるしみて、つとむべき事をむづかしとするは、心のひが事なり。心のひが事をば、其ままを(置)きて、事の多きをきらふは、あやまり也。又、「煩に耐ゆる」とは、むつかしきを、こらゆるを云。此二字を守れば、天下の事、何事もなすべし、と古人いへり。是わかき子弟のともがらの守るべき事なり。
小児の時は、必ず悪しきくせ、悪しきならはし(慣)などあるを、みづから悪しき事としらば、あらためて行なふべからず。又かかる悪しき事を、人のいさめにあひ、戒められば、よろこんで早くあらため、後年まで、ながくその事をなすべからず。一たび人のいさめたる事は、ながく心にとどめて、わするべからず。人のいさめをうけながら、あらためず、やがてわするゝは、守なしと云べし。守なき人は、善き人となりがたし。いはんや、人のいさめをきらひ、いかりうらむる人は、さらなり。人のいさめをきかば、よろこんでうくべし。必ずいかりそむくべからず。いさめをききて、もしよろこんでうくる人は、善人也、よく家をたもつ。いさめをきらひ、ふせ(防)ぐ人は、必ず家をやぶる。是善悪のわかるる所なり。いさむる事、理たがひたりとも、そむきて、あらそふべからず。いさめをききていかれば、かさねて其人、いさめをいはず。凡そいさめをきくは、大に身の益なり。いさめをききて、よろこんでうけ、わが過を改むるは、善、これより大なるはなし。人の悪事多けれど、いさめをきらふは、悪のいと大なる也。わが身の悪しき事をしらせ、あやまちをいさむる人は、たうと(貴)み、したしむべし。わづかなるくひものなどおくるをだに、よろこぶ慣ひなり。いはんや、いさめを云ふ人は、甚だ悦びたうとぶべし。
幼き時より、善をこのんで行なひ、悪をきらひて去る、此志専一なるべし。此志なければ、学問しても、益をなさず。小児の輩、第一に、ここに志あるべし。此事まへにも既に云つれども、幼年の人々のために、又かへすがへす丁寧につぐるなり。人の善を見ては、我も行なはんと思ひ、人の不善を見ては、わが身をかへりみて、其ごとくなる不善あらば、改むべし。かくの如くすれば、人の善悪を見て、皆わが益となる。もし人の善を見ても、わが身に取て用びず、人の不善を見ても、わが身をかへり見ざるは、志なしと云べし。愚なるの至りなり。
父母の恩はたかくあつき事、天地に同じ。父母なければ、わが身なし、其恩、ほう(報)じがたし。孝をつとめて、せめて万一の恩をむくふべし。身のちから、財のちから、をつくすべし、おしむべからず。是父母につかへて、其ちからをつくすなり。父母死して後は、孝をつくす事なりがたきを、かねてよく考へ、後悔なからん事を思ふべし。
年わかき人、書をよまんとすれば、無学なる人、これを云さまたげて、書をよめば心ぬるく、病者になりて、気よはく、いのちみじかくなる、と云ておどせば、父母おろかなれば、まことぞ、と心得て、書をよましめず。其子は一生おろかにておはる。不幸と云べし。
人の善悪は、多くはなら(習)ひな(馴)るるによれり。善に習ひなるれば、善人となり、悪に慣ひなるれば、悪人となる。然れば、幼き時より、慣ひなるる事を、慎むべし。かりにも、悪しき友にまじはれば、慣ひて、悪しき方に早くうつりやすし。おそるべし。
師の教をうけ、学問する法は、善をこのみ、行なふを以、常に志とすべし。学問するは、善を行はんがため也。人の善を見ては、わが身に取りて行なひ、人の義ある事をきかば、心にむべ(宜)なりと思ひかん(感)じて、行なふべし。善を見、義をききても、わが心に感ぜず、身に取用て行なはずば、むげに志なく、ちからなし、と云べし、わが学問と才力と、すぐれたりとも、人にほこりて自慢すべからず。言にあらはしてほこるは、云に及ばず、心にも、きざ(兆)すべからず。志は、偽り邪なく、まことありてただしかるべし。心の内は、おほ(蔽)ひくもりなく、うらおもてなく、純一にて、青天白日の如くなるべし。一点も、心の内に邪悪をかくして、うらおもてあるべからず。志正しきは、万事の本なり。身に行なふ事は、正直にして道をまげず、邪にゆがめる事を、行なふべからず。外に出て遊び居るには、必ずつねのしかるべき親戚・朋友の所をさだめて、みだりに、あなたこなた、用なき所にゆかず。其友としてまじはる所の人を選びて、善人に、つねにちかづき、良友にまじはるべし。善人に交れば、其善を見慣ひ、善言をきき、わが過をききて、益おほし。悪友にまじはれば、早く悪にうつりやすし。必ず友を選びて、かりそめにも悪友に交はるべからず。おそるべし。朝に早くおきて親につかへ、事をつとむべし。朝ゐ(朝寝)しておこたるべからず。凡そ、人のつとめは、あした(朝)をはじめとす。朝居する人は、必ずおこたりて、万事行なはれず。夜にいたりても、事をつとむべし。早くいねて、事をおこた(怠)るも、用なきに、夜ふくるまでいねがてにて、時をあやまるも、ともに子弟の法にそむけり。衣服をき、帯をしたるかたちもととのひて、威儀正しかるべし。放逸たるべからず。朝ごとに、きのふ(昨日)いまだ知らざるさきを、師に学びそ(添)へ、暮ごとに、朝学べる事を、かさねがさね、つとめておこたるべからず。心をあらく、おほやうにせず、つづ(約)まやかにすこしにすべし。かくの如くに、日々につとめておこたらざるを、学間の法とす。
子弟、孫、姪など幼き者には、礼義を正しくせん事を教ゆべし。淫乱・色欲の事、戯れの言葉、非礼のわざ、を戒めて、なさしむべからず。又、道理なき、善と,てはたら正しからざるふだまぶり(札守)、祈祷などを、みだりに信じてまよへる事、禁ずべし。いとけなく若き時より、かやうの事に心まどひぬれば、真心、くせになりて、一生其迷ひとけざるものなり。神祇をば、おそれたうとびうやまひて、遠ざかるべし。なれ近づきて、けがし、あなどるべからず。わが身に道なく、私ありて、神にへつらひいのりても、神は正直・聡明なれば、非礼をうけ玉ばず。へつらひをよろこび給はずして、利益なき事を知るべし。
古、もろこしにて、小児十歳なれば、外に出して昼夜師に随ひ、学問所にをらしめ、常に父母の家にをかず。古人、此法深き意あり。いかんとなれば、小児、つねに父母のそばに居て、恩愛にならへば、愛をたのみ、恩になれて、日々にあまえ、きずいになり、艱苦のつとめなくして、いたづらに時日をすごし、教行はれず。且、孝弟の道を、父兄の教ゆるは、わが身によくつかへよ、とのすすめなれば、同じくは、師より教えて行はしむるがよろし。故に父母のそばをはなれ、昼夜外に出て、教えを師にうけしめ、学友に交はらしむれば、おごり、おこたりなく、知慧日々に明らかに、行儀日々に正しくなる。是古人の子を育つるに、内におらしめずして、外にいたせし意なり。
子孫、年わかき者、父祖兄長のとがめをうけ、いかりにあはば、父祖の言の是非をゑらばず、おそれ慎みてきくべし。いかに、はげしき悪言をきくとも、ちりばかりも、いかりうらみたる心なく、顔色にもおらはすべからず。必ず、わが理ある事を云たてて、父兄の心にそむくべからず。只言葉なくして、其せ(責)めをうくべし。是子弟の、父兄につかふる礼なり。父兄たる人、もし人の言葉をきき損じて、無理仏る事を以て、子弟をしゑた(虐)げせむとも、いかるべからず。うらみ、そむけいる色を、あら(顕)はすべからず。云わけする事あらば、時すぎて後、識すべし。或(は)別人を頼みて、いはしむべし。十分に、われに道理なくば、云わけすべからず。
子弟を教ゆるに、いかに愚・不肖にして、わかく、いやしきとも、甚しく怒(いかり)の(罵)りて、顔色と言葉を、あららかにし、悪口して、はづかしむべからず。かくの如くすれば、子弟、わが非分なる事をばわすれて、父兄の戒めをいかり、うらみ・そむきて、したがはず、かへつて、父子・兄弟の間も不和になり、相やぶれて、恩をそこなふにいたる。只、従容として、厳正に教え、いくたびもくりかへし、やうやく、つげ戒むべし。是子弟を教え、人材をやしなひ来す法なり。父兄となれる人は、此心得あるべし。子弟となる者は、父兄のいかり甚しく、悪口してせめはづかしめらるるとも、いよいよ、おそれ慎みて、つゆばかりも、いかりうらむべからず。
小児の時は、知いまだひらけず、心に是非をわきまへがたき故に、小人のいふ言葉に、迷ひやすし。世俗の、口のききたる者、学問をきらひて、善人の行儀かたく正しきをそしり、風雅なるをにくみて、今やうの風にあはず、とてそしり、只、放逸なる事を、いざなひすすむるをきかば、いかにいとけなく、智なくとも、心を付て其是非をわかつべし。かくの如くなる小人の言葉に迷ひて、移るべからず。
いかりをおさえて、しのぶべし。忍ぶとは、こらゆる也。ことに、父母・兄長に対し、少しも、心にいかり・うらむべからず。いはんや、顔色と眼目にあらはすべけんや。父兄に対していかるは、最大なる無礼なり。戒むべし。内に和気あれば、顔色も目つきも和平なり。内に怒気あれば、顔色・眼目あしし。父母に対して、悪眼をあらはすべきや、はづべし。孝子の深愛ある者は、必ず和気あり。和気ある者は、必ず愉(よろこべる)色あり。子たる者は、父母に対して和気を失なふべからず。
人のほめ・そしりには、道理にちがへる事多し。ことごとく信ずべからず。おろかなる人は、きくにまかせて信ず。人のいう事、わが思ふ事、必理にたがふ事おほし。ことに少年の人は、智慧くらし。人のいへる事を、ことごとく信じ、わが見る事をことごとく正しとして、みだりに人をほめ・そしるべからず。
幼き時より、年老ておとなしき人、才学ある人、古今世変をしれる人、になれちかづきて、其物がたりをききおぼえ、物に書き付けをきて、わするべからず。叉うたがはしき事をば、し(知)れる人にたづねとふべし。ふるき事をしれる老人の、ものがたりをきく事をこのみて、きらふべからず。かやうにふるき事を、このみききてきらはず、物ごとに志ある人は、後に必、人にすぐるるもの也。又、老人をば、むづかしとてきらひ、ふるき道々しき事、古の物がたりをききては、うらめしく思ひ、其席にこらへず、かげにてそしりわらふ。是凡俗のいやしき心なり。かやうの人は、おひさき(生先)よからず、人に及ぶ事かたし。古人のいはゆる、「下士(げし)は道をきいて大にわらふ。」といへる是也。かやうの人には、まじはり近づくべからず。必悪しきかたにながる。蒲生氏郷いといくけなき時、佐々木氏より、人質として信長卿に来りつかへられし時、信長の前にて、老人の軍物語するを、耳をかたぶけてきかれける。或人、是を見て、此童ただ人にあらず、後は必ず名士ならん。と云しが、はたして英雄にてぞ有ける。凡そわかき人は、老人の、ふるき物語をこのみききて、おぼえおくべし。わかき時は、多くは、老人のふるき物語をきく事をきらふ。戒むべし。又わかき時、わが先祖の事をしれる人あらば、よくと(間)ひたづねてしるしおくべし。もしかくの如(く)にせず、うかとききては、おぼえず。年たけて後、先祖の事をしりたく思へども、知れる人、既になくなりにたれば、とひてきくべきやうなし。後悔にたへず。子孫たる人、わが親先祖の事、しらざるは、むげにおろそかなり。いはんや、父祖の善行、武功などあるを、其子孫知らず、しれどもしるしてあらは(顕)さざるは、おろかなり。大不孝とすべし。
父母やはらかにして、子を愛し過せば、子おこたりて、父母をあなどり、つつしまずして、行儀悪しく、きずい(気随)にして、身の行ひ悪しく、道にそむく。父たる者、戒ありておそるべく、行儀ありて手本になるべければ、子たる者、をそれ慎みて、行儀正しく、孝をつとむる故に、父子和睦す。子の賢不肖、多くは父母のしはざなり、父母いるがせにして、子の悪しきをゆるせば、悪を長ぜしめ、不義にをちいる。これ子を愛するに非ずして、かへりて、子をそこなふなり。子を育つるに、幼より、よく教え戒めても悪しきは、まことに天性の悪しきなり。世人多くは、愛にすぎてをごらしめ、悪を戒めざる故、慣ひて性となり、つゐに、不肖の子となる者多し。世に上智と下愚とはまれなり。上智は、教えずしてよし、下愚は、教えても改めがたしといへども、悪を制すれば、面は改まる。世に多きは中人なり。中人の性は、教ゆれば善人となり、教えざれば不善人となる。故に教えなくんばあるべからず。
小児の衣服は、はなやかなるも、くるしからずといへども、大もやう(模様)、大じま(縞)、紅・紫などの、ざ(戯)ればみたるは、き(着)るべからず。小児も、ちとくす(燻)み過たるは、あでやかにして、いやしからず、はなやか過て、目にたつは、いやしくして、下部の服のごとし。大かた、衣服のもやうにても、人の心は、おしはからるみものたれば、心を用ゆべし。又、身のかざりに、ひまを用ひすくすべからず。ひまついえて益なし。只、身と衣服にけがれなくすべし。
農工商の子には、幼き時より、只、物かき・算数をのみ教えて、其家業を専にしらしむべし。必ず楽府淫楽、其外、いたづらなる、無用の雑芸をしらしむべからず。これにふけり、おぼれて、家業をつとめずして、財をうしなひ、家を亡せしもの、世に其ためし多し。富人の子は、立居ふるまひ、飲食の礼などをば、習ふべし。必ず戒めて、無頼放逸にして、酒色淫楽をこのむ悪友に、交はらしむべからず。是にまじはれば、必ず身の行悪しく、不孝になり、財をうしなひ、家をやぶる。甚だおそるべし。
小児は十歳より内にて、早く教え戒むべし。性(うまれつき)悪くとも、能(よく)教え習はさば、必よくなるべし。いかに美質の人なりとも、悪くもてなさば、必ず悪しきに移るべし。年少の人の悪くなるは、教の道なきがゆへなり。習を悪しくするは、たとへば、馬にくせを乗付るがごとし。いかに曲馬(くせうま)にても、能き乗手ののれば、よくなるもの也。又うぐひすのひなをか(飼)ふに、初めてなく時より、別によくさゑづるうぐひすを、其かたはらにをきて、其音をきき習はしむれば、必よくさえづりて、後までかはらず。是はじめより、善き音をききてなら(習)へばなり。禽獣といへど、早く教えぬれば、善にうつりやすき事、かくの如し。況んや人は万物の霊にて、本性は善なれば、幼き時より、よく教訓したらんに、すぐれたる悪性の人ならずば、などか悪しくたらん。人を教訓せずして悪しくなり、其性を損ずるは、おしむべき事ならずや。
子孫、幼なき時より、かたく戒めて、酒を多くのましむべからず。の(飲)みならへば、下戸も上戸となりて、後年にいたりては、いよいよ多くのみ、ほしいままになりやすし。くせとなりては、一生あらたまらず。礼記にも、「酒は以て老を養なふところなり、以て病ひを養なふところなり」といへり。尚書には、神を祭るにのみ、酒を用ゆべき由、をいへり。しかれば酒は、老人・病者の身をやしたひ、又、神前にそなへんれう(料)に、つくれるものなれば、年少の人の、ほしゐままにのむべき理にあらず。酒をむさぼる者は、人のよそ目も見ぐるしく、威儀をうしなひ、口のあやまり、身のあやまりありて、徳行をそこなひ、時日(ひま)をついやし、財宝をうしなひ、名をけがし、家をやぶり、身をほろぼすも、多くは酒の失よりをこる。又、酒をこのむ人は、必ず血気をやぶり、脾胃をそこなひ、病を生じて、命みじかし。故に長命なる人、多くは下戸也。たとひ、生れつきて酒をこのむとも、わかき時より慎みて、多く飲むべからず。凡そ上戸の過失は甚だ多し。酔に入りては、謹厚(きんこう)なる人も狂人となり、云まじき事を云、なすまじき事をなし、言葉すくなき者も、言多くなる。戒むべし。酒後の言葉、慎みて多くすべからず。又、酔中のいかりを慎み、酔中に、書状を人にをくるべからず。むべも、昔の人は、酒を名づけて、狂薬とは云へりけん。貧賎なる人は、酒をこのめば、必ず財をうしなひ、家をたもたず。富貴たる人も、酒にふければ、徳行みだれて、家をやぶる。たかきいやしき、其わざはひは、のがれず。戒むべし。
小児のともがら、戯れ、多く云べからず。人のいかりををこす。又、人のきらふ事、云べからず、人にいかりそしられて、益なし。世の人、多くいやしきことをいふとも、それを慣ひて、いやしき事云べからず。小児の言葉いやしきは、ことにききにくし。
和俗童子訓 巻之二 終