和俗童子訓(中村学園版)



和俗童子訓 巻之三

年に随ふて教える法

 六歳の正月、始て一二三四五六七八九十・百・千・万・億の数の名と、東西南北の方の名とを教え、其生れ付の利鈍をはかりて、六七歳より和字(かな)をよませ、書習はしむべし。初めて和字を教ゆるに、「あいうゑを」五十韻を、平がなに書て、たて・よこによませ、書習はしむ。又、世間往来の、かなの文の手本を習はしむべし。此年ごろより、尊長をうやまふ事を教え、尊卑・長幼のわかちをもしらしめ、言葉づかひをも教ゆべし。

 七歳、是より男女、席を同してならび坐せず、食を共にせず。此ころ、小児の少知いでき、云事をきき知るほどならば、英知をはかり、年に宣しきほど、やうやく礼法を教ゆべし。又、和字のよみかきをも、習はしむべし。 

 八歳、古人、小学に入りし歳也。初めて幼者に相応の礼義を教え、無礼を戒むべし。此ころよりたち居ふるまひの礼、尊長の前に出て、つかふると退くと、尊長に対し、客に対し、物をいひ、いらへこたふる法、せん具を尊長の前にすえ、又、取て退く法、盃を出し、銚子を取て酒をすすめ、肴を出す法、茶をすすむる礼、をもたらはしむべし。又みづから食する法、尊長の賜はる盃と肴をいただき、客の盃をいただきのむ法、尊者に対し、拝礼をなす法、を教え(知)らしむべし。又、茶礼をも教ゆべし。かしづき従ふ人より、まづ孝弟の道を教ゆべし。よく父母につかふるを孝とし、よく兄長につかふるを弟とす。父母をたうとびて、よくつかふる、是人たる者の第一につとめ行なふべき道なる事、かしづきて師となる人、早く教ゆべし。次に、兄長を敬まひ従ひて、あなどるべからざる事を、教ゆべし。兄長とは、兄、あね、をぢ、をば、又いとこの内、其外にも、とした(年長)けてうやまふべき人をいふ。凡そ孝弟の二は、人間の道を行なふ本なり。万事の善は、皆これよりはじまれる事を、教ゆべし。父母・兄長におそれ・慎みて、其教え戒めをよくききて、そむかざる事を教ゆべし。教えをそむきては、むげの事なり。父母をおそれず、兄長をあなどらば、戒めてゆるすべからず。もし人をあなどる事をゆるし、かへりてわらびよろこべば、小児は善悪をわきまへずして、あしからざる事と思ひ、長じて後、此くせやまず、子となり弟となる法を知らず、無礼にして不孝不弟となる。是父母をろか(愚)にして、子の悪をすすめなせるなり。やうやく年をかさねば、弟を愛し、臣僕をあはれみ、師を尊び、友にまじはる道、賓客に対して坐立進退、言葉づかひの法、各其品に従ひて、いつくしみうやまふべき道を、教えしらしむべし。是よりやうやく孝弟、忠信、礼義、廉恥の道を教え行なはしむ。人の財物をもとめ、飲食をむさぼりて、いやしげなる心を戒め、恥を知るべき事を教ゆべし、七歳より前は、猶いとけなければ、早くいね、をそくおき、食するに時をさだめず、大やう其の心にまかすべし。礼法を以て、一一にせめがたし。八歳より門戸の出入し、又は座席につき、飲食するに、必ず年長ぜる人におくれて、先だつべからず、初めてへりくだり、ゆづる事を教ゆべし。小児の心まかせにせず、きずい(気随)なる事を、かたく戒むべし。是れかんよう(肝要)の事なり。

 ことしの春より、真と草との文字を書き習はしむ。はじめより風体正しき能書を学はしむべし。手跡つたなく、風体悪しきを手本としてならへば、悪しき事くせとなり、後に風体善き能書をならへどもうつ(移)らず。はじめは真草ともに、大字を書習はしむべし。はじめより小字をかけば、手すくみてはたらかず。又此年より早く文字をよみ習はせしらしむべし。孝経、小学、四書などの類の、文句長きむづかしきものは、はじめよりよみがたく、おぼえがたく、たいくつ(退屈)し、学問をきらふ心いできて悪しく、まづ文句みじかくして、よみやすく、おぼえやきものをよませ、そらにおぼえさすべし。

 十歳、此年より師にしたがはしめ、先五常の理、五倫の道、あちあら云きかせ、聖賢の書をよみ、学問せしむべし。よむ所の書の内、まづ義理のきこえやすく、さとしやすき切要なる所をとき聞すべし。是より後、やうやく小学、四書、五経をよむべし。又、其ひまに、文武の芸術をも習はしむべし。世俗は、十一歳の頃、やうやう初めて、手習など教ゆ、おそしと云べし。教えは、早からざれば、心すさみ気あれて、教えをきらひ、おこたりに習ひて、つとめ学ぶ事かたし。小児に、早く心もかほばせも、温和にして人を愛しうやまひ、善を行なふ事を教ゆべし。又、心も身のたち居ふるまひも、しづかにして、みだりうごかず、さはがしからざらん事を教ゆべし。

 十五歳、古人、大学に入て学問せし歳也。是より専(もっぱら)義理を学び、身をおさめ、人をおさむる道を知るべし。是大学の道也。殊更、高家の子、年長じては、諸人の上に立て、多くの民を預り、人を治むる職分おもし。必ず小児の時より師をさだめ、書をよませ、古の道を教え、身を修め、人を治むる道をしらしむ。もし人をおさむる道をしらざれば、天道よりあづけ給へる、多くの人をそこなふ事、おそるべし。凡その人も、其分限に応じて、人をおさむるわざ(業)あり。其道を、学ばずんばあるべからず。生質(うまれつき)遅鈍たりとも、これより二十歳までの間に、小学、四書等の大義に通ずべし。若(もし)、聡明ならば、博く学び、多く知るべし。

 二十歳、古、もろこしには、二十にして、かむり(冠)をきるを元服をくは(加)ふと云。元服とは、「かうべのきるもの」とよむ、冠の事也。日本にても、昔は公家・武家共に、二十歳の内にて、かうぶりゑぼし(冠烏帽子)をきたり。其時、加冠、理髪の役ありき。今も宮家に此事あり、今、武家に前髪を去を元服と云も、昔のかふりをきるにたぞらへていへり。元服を加へざる内は、猶わらんべ也。元服すれば、成人の道これより備はる。これより幼少なる時の心をすてて、成人の徳に従ひ、ひろくまたび、あつく行ふべし。其年に応じて、徳行そなはらん事を思ひて、つとむべし。もし元服しても、成人の徳なきは、猶、童心ありとて、昔も、これをそしれり。

書を読む法

 聖人の書を経と云。経とは常也。聖人の教えは、万世かはらざる、万民の則なれば、つねと云い、四書五経等を経と云い、賢人の書を伝と云。伝とは聖人の教えをのべて、天下後代につたふる也。四書五経の註、又は周程、張朱、其外、歴代の賢人のつくれる書を、いづれも伝と云。経伝は是古の聖賢の述作り給ふ所なり。其載する所は、天地の理に従ひて、人の道を教え給ふ也。其理至極し、天下万世の教えとなれる鑑なり。天地人と万物との道理、これにもるる事なき故、天地の間、是にまされる宝、更になし。是を神明のごとくにたうとび、うやまふべし。おろそかにし、けがすべからず。

 凡そ書をよむには、必ず先手を洗ひ、心に慎み、容を正しくし、几案のほこりを払ひ、書冊を正しく几上におき、ひざまづきてよむべし。師に、書をよみ習ふ時は、高き几案の上におくべからず。帙の上、或(は)文匣、矮案の上にのせて、よむべし。必ず、人のふむ席上におくべからず。書をけがす事なかれ。書をよみおはらば、もとのごとく、おほ(覆)ひおさむべし。若、急速の事ありてたち去るとも、必ずおさむべし。又、書をなげ、書の上をこゆべからず。書を枕とする事なかれ。書の脳を巻きて、折返へす事なかれ。唾を以、幅を揚る事なかれ。故紙に経伝の詞義、聖賢の姓名あらば、慎みて他事に用ゆべからず。又、君上の御名、父母の姓名ある故紙をもけがすべからず。

 小児の記性(おぼえ)をはかつて、七歳より以上入学せしむ。初は早晨に書をよましめ、食後にはよましめず、其精神をくるしむる事なかれ。半歳の後は、食後にも亦、読ましむべし。

 凡そ書をよむには、いそがはしく、早くよむべからず。詳緩(ゆるやか)に之を読て、字々句々、分明なるべし。一字をも誤るべからず。必ず心到、眼到、口到るべし。此三到の中、心到を先とす。心、此に在らず、見れどもみへず、心到らずして、みだりに口によめども、おぼえず。又、俄かに、しゐて暗によみおほえても、久しきを歴ればわする。只、心をとめて、多く遍数を誦すれば、自然に覚えて、久しく忘れず。遍数を計へて、熟読すべし。一書熟して後、又、一書をよむべし。聖経賢伝の益有る書の外、雑書を見るべからず。心を正しくし、行儀を慎み、妄にいはず、わらはず、妄に外に出入せず、みだりに動作せず、志を学に専一にすべし。つねに暇ををしみて、用もなきに、いたづらに隙をついや(費)すべからず。

 小児の文学の教えは、事しげくすべからず。事しげく、文句多くして、むつかしければ、学間をくるしみて、うとんじきらふ心、出来る事あり。故に簡要を選び、事すくなく教ゆべし。すこしづつ教え、よみ習ふ事をきらはずして、すきこのむやうに教ゆべし。むつかしく、辛労にして、其気を屈せしむべからず。日々のつとめの課程を、善きほどにみじかくさだめて、日々をこたりなくすすむべし。凡そ小児を教ゆるには、必ず師あるべし。若(もし)、外の師なくば、其父兄、みづから日々の課程を定めてよましむべし。父兄、辛労せざれば、教えおこなはれず。

 初て書を読には、まづ文句みじかくして、よみやすく、覚えやすき事を教ゆべし。初より文句長き事を教ゆれば、たいくつ(退屈)しやすし。やすきを先にし、難きを後にすべし。まづ孝弟、忠信、礼義、廉恥の字義を教え、五常、五倫、五教、三綱、三徳、三事、四端、七情、四勿、五事、六芸、両義、二気、三原、四時、四方、四徳、四民、五行、十干、十二支、五味、五色、五音、二十四気、十二月の異名、和名、四書、五経、三史の名目、本朝の六国史の名目、日本六十六州の名、其住せる国の郡の名、本朝の古の帝王の御謚、百官の名、もろこしの三皇、五帝、三王の御名、歴代の国号等を和漢名数の書にかきあつめをけるを、そらによみおぼえさすべし。又、鳥、獣、虫、魚、貝の類、草木の名を多く書集めて、よみ覚えしむべし。此外にもおぼえて善き事多し。そらに覚えざる事は、用にたたず。又、周南、召南の詩、蒙求の本文五百九十八句、性理字訓の本編、三字経、千字類合、千家詩などの句、みじかくおぼえやすき物を教ゆべし。右の名目に、編などを多くよみおぼえて後、経書を教ゆべし。初より文句長き、よみがたき経書を教えて、其気を屈せしむべからず。経書を教ゆるには、先孝経の首章、次に論語学而篇をよましめ、皆熟読して後、其要義をもあらあらとききかすべし。小学、四書は、最初よりよみにくし。故に先右に云所の、文句のみじかきものを多くよませて、次に小学をよませ、後に四書・五経をよましむべし。

 凡そ書をよむには、早く先をよむべからず。毎日返りよみを専(もっぱら)つとむべし。返りよみを数十遍つとめ、をはりて、其先をよむべし。しからずして、只はか(捗)ゆかん事をこのみて、かへりよみすくなければ、必ずわすれて、わが習ひし功も、師の教へし功もすたりて、ひろく数十巻の書をよんでも益なし。一巻にても、よくおぼゆれば、学力となりて功用をなす。必ずよくおぼ(覚)ふべし。書をよんでも学すすまざるは、熟読せずして、おぼえざれば也。才性あれば、八歳より十四歳まで、七年の問に、小学、四書、五経等、皆読をはる。四書、五経熟読すれば、才力いでき、学間の本たつ。其ちからを以って、やうやく年長じて、ひろく群書を見るべし。

 小児に初て書を授くるには、文句を長く教ゆべからず。一句二句教ゆ。又、一度に多く授くべからず。多ければおぼえがたぐ、をぼえても堅固ならず。其上、厭倦んで学をきらふ。必ずたいくつせざるやうに、少づつ授くべし。其教えやうは、はじめは、只一字二字三字つつ字をしらしむべし。其後一句づつ教ゆべし。既に字をしり、句をおぼへば、小児をして自読しむべし。両句を教ゆるには、先一句をよみをぼえさせ、熟読せば、次の句を、又、右のごとくによましめ、既(に)熟読して、前句と後句と通読せしめてやむべし。此の如くする事、数日にして、後又、一両句づつ漸、に従て授くべし。其後授くるに、漸、字多ければ、分つて二三次となして、授け読しめ、其二三次、各熟読して、合せて通読せしむ。若(もし)、其中、おぼえがたき所あらば、其所ばかり、又、数遍よましむ。又、甚だよみやすき所をば、わかちよむ時は、よむべからず。是(れ)功を省すの法なり。

 書を読には、必ず句読を明にし、よみごゑを詳にし、清濁を分ち、訓点にあやまりなく、「てには」を精しくすべし。世俗の疎なる謬(あやまり)に従ふべからず。

 書をよむに、当時、略(ほぼ)熟誦しても、久しくよまざれば、必、忘る。故に書をよみおはつて後、既によみたる書を、時々かへりよむべし。又、毎日前の三四五度に授かりたる所を、今日よみ習ふ所に通して、あとをよむべし。此如くすれば忘れず。

 毎日一の善事を知り、一の善事を行なひて、小を積みてやまざれば、必ず大にいたる。日々の功をおこたり欠べからず。はじめは毎日、日記故事、蒙求の故事などの嘉言、善行を一両事づつ記すべし。又、毎日、数目ある事を二三条記すべし。一日に一事記すれば、一年には三百六十条なり。詩歌をよみおぼゆるも此法なり。一日に一首おぼゆれば、一年に三百六十首也。毎日誦して、日々、怠るべからず、久きをつみては、其功大なり。

 小児に初て書を説きかするに、文句みじかく、文義あさく、分明に、きこえやすく云きかすべし。小児に相応せざる、高く、ふかく、まはり遠く、むづかしく、ききにくき事を、教ゆべからず。又、言葉多く、長く、すべからず。言すくなくして、さとしやすくすべし。まづ孝経の首章、論語の学而篇を早く説きかすべし。是本(もと)をつとむるなり。小学の書をと(説)くには、義理を、あさくかろくとくべし。深く重く説べからず。是小児に教ゆる法也。

 小児、読書の内に、早く文義を所々教べし。孝経にていはば、仲尼とは孔子の字なり、字とは、成人して名づくる、かへ名也。子は師の事を云。曾子は孔子の弟子なり、参(しん)は曾子の名。先王は古の聖王の事。不敏は鈍なる事。又、論語の首章をよむ時は、学ぶとは学問するを云。習とは、学びたる事を、身につとめ習ふなり。悦ぶとは、をもしろきといふ意。楽(たのしむ)とは大きにおもしろき意也。かやうに読書のついでに、文義を教ゆれば、自然に、書を暁し得るものなり。

 古語に、光陰箭の如く、時節流るるが如し。又曰、光陰惜むべし(と)。これを流水にたとふ、といへり。月日のはやき事、としどし(年々)にまさる。一たびゆきてかへらざる事、流水の如し。今年の今日の今時、再かへらず。なす事なくて、なをざりに時日をおくるは、身をいたづらになすなり。をしむべし。大禹は聖人なりしだに、なを寸陰をおしみ給へり。いはんや末世の凡人をや。聖人は尺壁(せきへき)をたうとばずして、寸陰をおしむ。ともいへり。少年の時は、記性つよくして、中年以後、数日におぼゆる事を、只一日・半日にもおぼえて、身をおはるまでわすれず。一生の宝となる。年老て後悔なからん事を思ひ、小児の時、時日をおしみて、いさみつとむべし。かやうにせば、後悔なかるべし。

 書をよみ、学問する法、年わかく記憶つ善き時、四書五経をつねに熟読し、遍数をいか程も多くかさねて、記誦すべし。小児の時にかぎらず、老年にいたりても、つねに循環してよむべし。是義理の学間の根本となるのみならず、又、文章を学ぶ法則となる。次に左伝を数十遍看読すべし。其益多し。是学問の要訣なり。知らずんばあるべからず。

 小児の時、経書の内、とりわき孟子をよく熟誦すべし。是義理の学に益あるのみならず、文章を作る料なり。此書、文章の法則(てほん)となり、筆力を助く。朱子も、孟子も熟誦して文法をさとれりといへり。又、文章を作るためには、礼記の檀弓、周礼の考工記を誦読すべし。是等は皆古人の説なり。又、漢文の内数篇、韓・柳・欧・蘇・曾南豊等の文の内にて、心に叶へるを択びて、三十篇熟誦し、そらに書て忘れざるべし。作文の学、必ず此如くすべし。

 四書を、毎日百字づつ百へん熟誦して、そらによみ、そらにかくべし。字のおき所、助字のあり所、ありしにたがはず、おぼへよむべし。是ほどの事、老らくのとしといへど、つとめてなしやすし。況、少年の人をや。四書をそらんぜば、其ちからにて義理に通じ、もろもろの書をよむ事やすからん。又、文章のつづき、文字のおきやう、助字のあり処をも、よくおぼえてしれらば、文章をかくにも、又助となりなん。かくの如く、四書を習ひ覚えば、初学のつとめ、過半は既に成れりと云べし。論語は一万二千七百字、孟子は三万四千六百八十五字、大学は経伝を合せて千八百五十一字、中庸は三千五百六十八字あり。四書すべて五万二千八百四字なり。一日に百字をよんでそらに記(おぼ)ゆれば、日かず五百廿八日におはる。十七月十八日なれば、一年半にはたらずして其功おはりぬ。早く思ひ立て、かくの如くすべし。これにまされる学問の善き法なし。其れつとめやすくして、其功は甚だ大なり。わがともがら、わかき時、此良法を知らずして、むなしく過し、今八そぢになりて、年のつもりに、やうやう学びやうの道すこし心に思ひしれる故、今更悔甚し。又、尚書の内、純粋なる数篇、詩経、周易の全文、礼記九万九千字の内、其精要なる文字をゑらんで三万字、左伝の最(も)要用なる文を数万言、是も亦日課を定めて百遍熟読せば、文学におゐて、恐らくは世に類なかるべし。是学問の良法なり。

 史は古をしるせる書也、記録の事なり。史書は、往古の迹を考へて、今日の鑑とする事なれば是亦経につぎて必よむべし。経書を学ぶいとまに和漢の史をよみ、古今に通ずべし。古書に通せざるは、くらくして用に達せず。日本の史は、日本紀以下六国史より、近代の野史に至るべし。野史も亦多し。ひろく見るべし。中夏の史は、左伝、史記、漢書以下なるべし。朱子綱目の書は、歴代を通貫し、世教をたすけて、天下万世に益あり。経伝の外、これに及べる好著は有べからず。此一書を出すしで、古の事に通じ、善悪を弁じ、天下国家をおさむる道理明かたり。まことに、世の主なり。学者是をこのんで玩覧すべし。殊に国家をおさむる人のかがみとなり、又、通鑑前編・続編をも見るべし。前編、伏犠より周まで、朱子綱目以前の事をしるせり。続編は宋元の事を記す。朱子綱目以後の事也。これにつづきて、皇明通記、皇明実記などを見れば、古今に貫通す。

 小児の時より、学間のひまをおしみ、あだなる遊びをすべからず。手習ひ、書をよみ、芸を学ぶを以、遊びとすべし。かやうのつとめ、はじめは、おもしろからざれども、やうやく習ひぬれば、のちはなぐさみとなりて、いたづ(煩)がはしからず。凡そよろづの事は、皆いとまを用ひて出くるものなれば、いとま(暇)ほどの身のたからなし。四民ともに同じ。かほどの、おしむべき大せつたるいとまを、むなしくして、時日をつひやし、又は、用にもたたざる益なきわざをなし、無頼の小人にまじはり、ひまをおしまずして、いたづらに、なす事なくて月日をおくる人は、ついに才智もなく、芸能もなくして、何事も人におよばず、人にいやしめらる。少年の時は、気力も記憶もつよければ、ひまをおしみ、書をよみおくべし。此の如くすれば、身おはるまでわすれず、一代のたからとなる。年たけ、よはひ(齢)ふけぬれば、事多くしてひまなく、、気カへりて記憶よはくなり、学問に苦労しても、しるし(験)すくなし。少年の時、此ことはりをよく心得て、ひまをおしみ、つとむべし。わかき時、おこたりて、年おいて後悔すべからず。此事、まへにも既に云つれば、老のくせにて、同じことするは、きく人いとふべけれど、年わかき人に、よく心得させんため、かへすがへすつぐるなり。凡その事、後のため善き事を、専(ら)につとむべし。はじめつとめざれば、必ず後の楽なし。又、後の悔たからん事をはかるべし。はじめにつつしまず、おこたりぬれば、必ず後の悔あり

 小児の書をよむに、文字を多くおほえざれば、書をよむにちからなくして、学問すすまず。又、文字をしらざれば、すべて世間の事に通せず。芸など習ふにも、文字をしらざれば、其理にくらくして、びが事おほし。文字をしれらば、又、其文義を心にかけて通じ知るべし。

和俗童子訓 巻之三 終




中村学園教授:水上 茂樹先生の監修による、同学園デジタル版を
当ホームページに転載しております。この場をお借りして、転載
許可を快諾してくださった 水上教授に厚く御礼申し上げます。また
入力されたスタッフの皆様にも御礼申し上げます。






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