貝原益軒:養生訓(中村学園版)



巻第五

貝原篤信編

五官

(1) 心は人身の主君也。故天君(てんくん)と云(いう)。思ふ事をつかさどる。耳目口鼻形此五は、きくと、見ると、かぐと、物いひ、物くふと、うごくと、各其事をつかさどる職分ある故に、五官と云。心のつかひ物なり。心は内にありて五官をつかさどる。よく思ひて、五官の是非を正すべし。天君を以て五官をつかふは明なり。五官を以(もって)天君をつかふは逆なり。心は身の主なれば、安楽ならしめて苦しむべからず。五官は天君の命をうけ、各官職をよくつとめて、恣(ほしいまま)なるべからず。

(2) つねに居る処は、南に向ひ、戸に近く、明なるべし。陰欝(いんうつ)にしてくらき処に、常に居るべからず、気をふさぐ。又かがやき過たる陽明の処も、つねに居ては精神をうばふ。陰陽の中にかなひ、明暗相半(なかば)すべし。甚(はなはだ)明るければ簾(すだれ)をおろし、くらければ簾をかかぐべし。

(3) 臥(ふす)には必(かならず)東首(ひがしまくら)して生気(しょうげ)をうくべし。北首(きたまくら)して死気をうくべからず。もし君父近きにあらば、あとにすべからず。

(4) 坐するには正坐すべし。かたよるべからず。燕居(えんきょ)には安坐すべし。膝をかゞむべからず。又よりより牀几(しょうぎ)にこしかけ居れば、気めぐりてよし。中夏の人は、つねにかくのごとくす。

(5) 常に居る室も常に用る器も、かざりなく質朴にして、けがれなく、いさぎよかるべし。居室は風寒をふせぎ、身をおくに安からしむべし。器は用をかなへて、事かけざれば事たりぬ。華美を好めばくせとなり、おごりむさぼりの心おこりて、心を苦しめ、事多くなる。養生の道に害あり。坐する処、臥す処、少もすき間あらばふさぐべし。すき間の風と、ふき通す風は、人のはだえに通りやすくして、病おこる。おそるべし。夜臥して耳辺に風の来る穴あらば、ふさぐべし。

(6) 夜ふすには必側(かたわら)にそばたち、わきを下にしてふすべし。仰(あお)のきふすべからず。仰のきふせば気ふさがりて、おそはるゝ事あり。むねの上に手をおくべからず。寝入て気ふさがりて、おそはれやすし。此二(ふたつ)いましむべし。

(7) 夜ふして、いまだね入らざる間は、両足をのべてふすべし。ねいらんとする前に、両足をかがめ、わきを下にして、そばだちふすべし。是を獅子眠(ししめん)と云。一夜に五度いねかへるべし。胸腹の内に気滞らば、足をのべ、むね腹を手を以しきりになで下し、気上る人は、足の大指を、しきりに多くうごかすべし。人によりて、かくのごとくすれば、あくびをしばしばして、滞りたる邪気を吐出す事あり。大に吐出すをいむ。ね入らんとする時、口を下にかたぶけて、ふすべからず。ねぶりて後よだれ出てあしし。あふのきてふすべからず。おそはれやすし。手の両の大指をかがめ、残る四の指にて、にぎりてふせば、手むねの上をふさがずして、おそはれず。後には習となりて、ねぶりの内にもひらかず。此法 、病源候論と云医書に見えたり。夜臥(ふす)時に、のどに痰あらば必はくべし。痰あらばねぶりて後、おそはれくるしむ。老人は、夜臥す時、痰を去る薬をのむべし、と医書にいへるも、此ゆへなるべし。晩食夜食に、気をふさぎ痰をあつむる物、食ふべからず。おそはれん事をおそれてなり。

(8) 夜臥に、衣を以面をおほふべからず。気をふさぎ、気上る。夜臥に、燈をともすべからず。魂魄定まらず。もしともさば、燈をかすかにして、かくすべし。ねむるに口をとづべし。口をひらきてねむれば、真気を失なひ、又、牙歯早くをつ。

(9) 凡(そ)一日に一度、わが首(こうべ)より足に至るまで、惣身のこらず、殊につがひの節ある所、悉(ことごと)く人になでさすりおさしむる事、各所十遍ならしむべし。先百会の穴、次に頭の四方のめぐり、次に両眉の外、次に眉じり、又鼻ばしらのわき、耳の内、耳のうしろを皆おすべし。次に風池、次に項の左右をもむ。左には右手、右には左手を用ゆ。次に両の肩、次に臂(ひじ)骨のつがひ、次に腕、次に手の十指をひねらしむ。次に背をおさへ、うちうごかすべし。次に腰及腎堂をなでさする。次にむね、両乳、次に腹を多くなづる。次に両股、次に両膝、次に脛の表裏、次に足の踝(くるぶし)、足の甲、次に足の十指、次に足の心(うら)、皆、両手にてなでひねらしむ。是(これ)寿養叢書の説也。我手にてみづからするもよし。

(10) 入門に曰(く)、導引の法は、保養中の一事也。人の心は、つねに静なるべし。身はつねに動かすべし。終日安坐すれば、病生じやすし。久く立、久く行より、久く臥、久く坐するは、尤(もっとも)人に害あり。

(11) 導引の法を毎日行へば、気をめぐらし、食を消して、積聚(しゃくじゅ)を生ぜず。朝いまだおきざる時、両足をのべ、濁気をはき出し、おきて坐し、頭を仰(あおのき)て、両手をくみ、向(むこう)へ張出し、上に向ふべし。歯をしばしばたゝき、左右の手にて、項(うなじ)をかはるがはるおす。其次に両肩をあげ、くびを縮め、目をふさぎて、俄(にわか)に肩を下へさぐる事、三度。次に面(かお)を、両手にて、度々なで下ろし、目を、目がしらより目じりに、しばしばなで、鼻を、両手の中指にて六七度なで、耳輪(じりん)を、両手の両指にて挟み、なで下ろす事六七度、両手の中指を両耳に入、さぐり、しばしふさぎて両へひらき、両手をくみ、左へ引ときは、かうべ右をかへり見、右へ引ときは、左へかへりみる。 此如する事各三度。次に手の背にて、左右の腰の上、京門(けいもん)のあたりを、すぢかひに、下に十余度なで下し、次に両手を以、腰を按す。両手の掌(たなごころ)にて、腰の上下をしばしばなで下す。是食気をめぐらし、気を下す。次に手を以、臀の上を、やはらかに打事十余度。次に股膝を撫くだし、両手をくんで、三里(:膝頭の下)の辺をかゝえ、足を先へふみ出し、左右の手を前へ引、左右の足、ともに、此如する事しばしばすべし。次に左右の手を以、左右のはぎ(:すね)の表裏を、なで下す事数度。次に足の心(うら)湧泉(ゆせん)の穴と云、片足の五指を片手にてにぎり、湧泉の穴を左手にて右をなで、右手にて左をなづる事、各数十度。又、両足の大指をよく引、残る指をもひねる。是術者のする導引の術なり。閑暇ある人は日々かくの如す。又、奴婢児童にをしへてはぎをなでさせ、足心(あしのうら)をしきりにすらせ、熱生じてやむ。又、足の指を引(ひか)しむ。朝夕此如すれば、気下り、気めぐり、足の痛を治す。甚(はなはだ)益あり。遠方へ歩行せんとする時、又は歩行して後、足心(あしのうら)を右のごとく按(お)すべし。

(12)膝より下の、はぎのおもてうらを、人をして、手を以、しばしばなでくださせ、足の甲をなで、其後、足のうらを、しきりに多くなで、足の十指を引(ひか)すれば、気を下しめぐらす。みづからするは、尤(もっとも)よし。是良法なり。

(13)気のよくめぐりて快き時に、導引按摩すべからず。又、冬月按摩をいむ事、内経に見えたり。身を労働して、気上る病には、導引、按摩ともにあしゝ。只身をしづかに動かし、歩行する事は、四時ともによし。尤(もっとも)飯後によろし。勇泉(ゆせん)の穴をなづる事も、四時ともによろし。

(14)髪はおほくつけづるべし。気をめぐらし、上気をくだす。櫛の歯しげきは、髪ぬけやすくしてあしゝ。牙歯はしばしばたゝくべし。歯をかたくし、虫はまず。時々両の手を合せ、すりてあたゝめ、両眼をあたゝめのすべし。目を明らかにし、風をさる。よつて髪ぎはより、下額と面を上より下になづる事二十七遍、古人、両手はつねに面に在べしと云へるは、時々両手にて面をなづべしとなり。此の如すれば、気をめぐらし、上気をくだし、面色(かおいろ)をうるはしくす。左右の中指を以、鼻の両わきを多くなで、両耳の根を多くなづべし。

(15)五更におきて坐し、一手にて、足の五指をにぎり、一手にて足の心をなでさする事、久しくすべし。此如して足心(あしのうら)熱せば、両手を用ひて、両足の指をうごかすべし。右の法、奴婢(ぬび)にも命じて、かくのごとくせしむ。或云(あるいはいう)、五更にかぎらず、毎夜おきて坐し、此如する事久しければ、足の病なし。上気を下し、足よはく、立がたきを治す。久しくしておこたらざれば、脚のよはきをつよくし、足の立かぬるをよくいやす。甚しるしある事を古人いへり。養老寿親書(ようろうじゅしんしょ)、及東坡(およびとうば)が説にも見えたり。

(16)臥す時、童子に手を以(もって)合せすらせ、熱せしめて、わが腎堂を久しく摩(なで)しめ、足心(あしのうら)をひさしく摩(なで)しむべし。みつ゛から如此するもよし。又、腎堂の下、臀(しり)の上を、しつ゛かにうたしむべし。

(17)毎夜ふさんとするとき、櫛(くし)にて髪をしきりにけつ゛り、湯にて足を洗ふべし。是よく気をめぐらす。又、臥(ふす)にのぞんで、熱茶に塩を加ヘ、口をすすぐべし。口中を清くし、牙歯(がし)を堅くす。下茶よし。

(18)入門に曰(いわく)、年四十以上は、事なき時は、つねに目をひしぎて宜し。要事なくんば、開くべからず。

(19)衾炉(きんろ)は、炉上に、櫓(やぐら)をまうけ、衾(ふすま)をかけて火を入、身をあたたむ。俗に、こたつと云。是にあたれば、身をあたため過し、気ゆるまり、身おこたり、気を上(のぼ)せ、目をうれふ。只(ただ)中年以上の人は、火をぬるくしてあたり、寒をふせぐべし。足を出して箕踞(ききょ)すべからず。わかき人は用る事なかれ。わかき人は、厳寒の時、只(ただ)炉火に対し、又、たき火にあたるべし。身をあたゝめ過すべからず。

(20)凡(およそ)衣をあつくき、あつき火にあたり、あつき湯に浴し、久しく浴し、熱物を食して、身をあたゝめ過せば、気外(ほか)にもれて、気へり、気のぼる。是皆人の身に甚(はなはだ)害あり、いましむべし。

(21)貴人の前に久しく侍べり、或(あるいは)公がい(くがい:役所)に久しく坐して、足しびれ、にはかに立(たつ)事ならずして、たふれふす事あり。立んとする前より、かねて、みつ゛から足の左右の大指を、しばしば動し、のべかがめすべし。かやうにすれば、しびれなえずして、立がたきのうれひなし。平日、時々両足(りょうそく)の大指を、のべかがめ、きびしくして、ならひとなれば、転筋(てんきん:コムラガエリ)のうれひなし。又、転筋したる時も、足の大指をしばしば動かせばやむ。是急を治するの法なり。しるべし。上気する人も、両足をのべて、大指をしばしば動すべし、気下る。此法、又人に益あり。

(22)頭ノ辺リに火炉をおくべからず。気上る。

(23)東垣(とうえん)が曰(く)、にはかに風寒にあひて、衣うすくば、一身の気を、はりて、風寒をふせぎ、肌に入らしむべからず。

(24)めがねをあいたいと云(いう)。留青日札(りゅうせいにっさつ)と云(いう)書に見えたり。又眼鏡(がんきょう)と云(いう)。四十歳以後は、早くめがねをかけて、眼力を養ふべし。和水晶(わすいしょう)よし。ぬぐふにきぬを以(もって)、両指にて、さしはさみてぬぐふべし。或(あるいは)羅紗を以(もって)ぬぐふ。硝子(びいどろ)はくだけやすし。水晶におとれり。硝子は燈心にてぬぐふべし。

(25)牙歯(がし)をみがき、目を洗ふ法、朝ごとに、まつ゛熱湯にて目を洗ひあたため、鼻中をきよめ、次に温湯にて口をすゝぎ、昨日よりの牙歯(がし)の滞(とどこおり)を吐すて、ほしてかは(わ)ける塩を用ひて、上下の牙歯(がし)と、はぐきをすりみがき、温湯をふくみ、口中をすゝぐ事ニ三十度、其間に、まつ゛別の碗に、温湯を、あら布の小篩(こふるひ)を以(もって)こして入れ置、次に手と面(かお)をあらひ、おはりて、口にふくめる塩湯を、右のあら布の小ぶるひにはき出し、こして碗に入、其塩湯を以(もって) 目を洗ふ事、左右各(おのおの)十五度(たび)、其後べちに入置きたる碗の湯にて、目を洗ひ、口をすすぐべし。是にておはる。毎朝かくのごとくにして、おこたりなければ、久しくして牙歯(がし)うごかず。老てもおちず。虫くはず。目あきらかにして、老にいたりても、目の病なく、夜、細字をよみ書く。是目と歯とをたもつ良法なり。こゝろみて、其しるしを得たる人多し。予も亦(また)、此法によりて、久しく行なふゆへ、そのしるしに、今八十三歳にいたりて、猶(なお)夜、細字をかきよみ、牙歯(がし)固くして一もおちず。目と歯に病なし。毎朝かくのごとくすれば、久しくして後は、ならひてむつ゛かしからず、牙杖(ようじ)にて、牙歯(がし)をみがく事を用ひず。

(26)古人の曰(いわく)、歯の病は胃火(いか)ののぼる也。毎日時々、歯をたゝく事三十六度すべし。歯かたくなり、虫くはず。歯の病なし。

(27)わかき時、歯のつよきをたのみて、堅き物を食ふべからず。梅、楊梅(やまもも)の核(さね)などかみわるべからず。後年に、歯早くをつ。細字を多くかけば、目と歯とを損ず。

(28)牙杖(ようじ)にて、牙根をふかくさすべからず。根うきて、うごきやすし。

(29)寒月はおそくおき、暑月は早くおくべし。暑月も、風にあたり臥すべからず。ねぶりの内に、風にあたるべからず。ねぶりの内に、扇にてあふがしむべからず。

(30)熱湯にて、口をすゝぐべからず。歯を損ず。

(31)千金方曰(く)、食しおはるごとに、手を以(て)、面(かお)をすり、腹をなで、津液(しんえき)を通流すべし。行歩(こうほ)する事数百歩すべし。飲食して即臥せば百病生ず。飲食して仰(あおの)きに臥せば、気痞となる。

(32)医説曰、食して後、体倦(う)むとも、即(ち)寝(いぬ)る事なかれ。身を運動し、二三百歩しづかに歩行して後、帯をとき、衣をくつろぎ、腰をのべて端坐し、両手にて心腹を按摩して、たて横に往来する事、二十遍。又、両手を以、わき腰の間より、おさへなでて下る事、数十遍ばかりにして、心腹の気ふさがらしめず。食滞、手に随つて消化す。

(33)目鼻口は面上の五竅(ごきょう)にて、気の出入りする所、気もれやすし。多くもらすべからず。尾閭(びりょ)は精気の出る所なり。過て、もらすべからず。肛門は糞気の出る所、通利ありて滑泄(こっせつ)をいむ。凡(そ)此七竅皆とぢかためて、多く気をもらすべからず。只耳は気の出入なし。然(れ)ども久しくきけば神をそこなふ。

(34)瓦火桶と云物、京都に多し。桐火桶の製に似て大なり。瓦にて作る。高さ五寸四分、足は此外也。縦のわたり八寸三分、横のわたり七寸、縦横少(し)長短あるべし。或(は)形まるくして、縦横なきもよし。上の形まるき事、桐火桶のごとし。めぐりにすかしまどありて、火気をもらすべし。上に口あり、ふたあり。ふたの広さ、よこ三寸、たて三寸余なるべし。まるきもよし。ふたに取手あり。ふた二三の内、一は取手なきがよし。やはらかなる灰を入置(いれおき)、用ゐんとする時、宵より小なる炭火を二三入て臥さむとする前より、早く衾(ふすま)の下に置、ふして後、足をのべてあたゝむべし。上気する人は、早く遠ざくべし。足あたゝまらば火桶を足にてふみ退け、足を引てかゞめふすべし。翌朝おきんとする時、又足をのべてあたたむべし。又、ふたの熱きを木綿袋に入て、腹と腰をあたゝむ。ふた二三こしらへ置、とりかへて腹、腰をあたゝむべし。取手なきふたを以ては、こしをあたゝむ。こしの下にしくべし。温石(おんじゃく)より速(すみやか)に熱くなりて自由なり。急用に備ふべし。腹中の食滞気滞をめぐらして、消化しやすき事、温石并(ならびに)薬力よりはやし。甚(はなはだ)要用の物なり。此事しれる人すくなし。

二便

(35)うへては坐して小便し、飽ては立て小便すべし。

(36)二便は早く通じて去べし。こらゆるは害あり。もしは不意に、いそがしき事出来ては、二便を去べきいとまなし。小便を久しく忍べば、たちまち小便ふさがりて、通ぜざる病となる事あり。是を転ふ(てんふ:尿閉症)と云。又、淋(:頻尿)となる。大便をしばしば忍べば気痔となる。又、大便をつとめて努力すべからず。気上り、目あしく、心(むね)さわぐ。害多し。自然(じねん)に任すべし。只津液を生じ、身体をうるほし、腸胃の気をめぐらす薬をのむべし。麻仁(まにん)、胡麻、杏仁(きょうにん)、桃仁(とうにん)など食ふべし。秘結する食物、もち(2:3種類理のもちの総称)、柿、芥子(からし)など禁じてくらふべからず。大便、秘するは、大なる害なし。小便久しく秘するは危うし。

(37)常に大便秘結する人は、毎日厠(かわや)にのぼり、努力せずして、成べきほどは少づつ通利すべし。如此すれば、久しく秘結せず。

(38)日月、星辰、北極、神廟に向つて、大小便すべからず。又、日月のてらす地に小便すべからず。凡(そ)天神、地祇、人鬼おそるべし。あなどるべからず。

洗浴

(39)湯浴(ゆあみ)は、しばしばすべからず。温気過て肌開(えひら)け、汗出で気へる。古人、「十日に一たび浴す」。むべなるかな。ふかき盤(たらい)に温湯少し入て、しばし浴すべし。湯あさければ温過(あたたかすぎ)ずして気をへらさず。盤ふかければ、風寒にあたらず。深き温湯に久しく浴して、身をあたため過すべからず。身熱し、気上り、汗出(いで)、気へる。甚害あり。又、甚温なる湯を、肩背に多くそそぐべからず。

(40)熱湯(あつゆ)に浴(ゆあみ)するは害あり。冷熱はみづから試みて沐浴(もくよく)すべし。快(こころよき)にまかせて、熱湯に浴すべからず。気上りてへる。殊に目をうれふる人、こらへたる人、熱湯に浴すべからず。

(41)暑月の外、五日に一度沐(かみあら)ひ、十日に一度浴す。是(これ)古法なり。夏月に非ずして、しばしば浴すべからず。気、快といへども気へる。

(42)あつからざる温湯を少(し)盥(たらい)に入て、別の温湯を、肩背より少しづゝそゝぎ、早くやむれば、気よくめぐり、食を消す。寒月は身あたゝまり、陽気を助く。汗を発せず。此如すれば、しばしば浴するも害なし。しばしば浴するには、肩背は湯をそゝぎたるのみにて、垢を洗はず、只下部(げぶ)を洗ひて早くやむべし。久しく浴し、身を温め過すべからず。

(43)うゑては浴すべからず。飽ては沐(かみあら)ふべからず。

(44)浴場の盥の寸尺の法、曲尺(かね)にて竪(たて)の長二尺九寸、横のわたり二尺。右、何(いずれ)もめぐりの板より内の寸なり。ふかさ一尺三寸四分、めぐりの板あつさ六分、底は猶(なお)あつきがよし。ふたありてよし。皆、杉の板を用ゆ。寒月は、上とめぐりに風をふせぐかこみあるべし。盤(たらい)浅ければ風に感じやすく、冬はさむし。夏も盤浅ければ、湯あふれ出てあしし。湯は、冬もふかさ六寸にすぐべからず。夏はいよいよあさかるべし。世俗に、水風炉(ふろ)とて、大桶の傍に銅炉をくりはめて、桶に水ふかく入(いれ)て、火をたき、湯をわかして浴す。水ふかく、湯熱きは、身を温め過し、汗を発し、気を上せへらす。大に害有(あり)。別の大釜にて湯をわかして入れ、湯あさくして、熱からざるに入り、早く浴しやめて、あたゝめ過さゞれば害なし。桶を出んとする時、もし湯ぬるくして、身あたゝまらずば、くりはめたる炉に、火を少したきてよし。湯あつくならんとせば、早く火を去(さる)べし。此如すれば害なし。

(45)泄痢(せつり)し、及食滞、腹痛に、温湯に浴し、身体をあたたむれば、気めぐりて病いゆ。 甚しるしあり。初発の病には、薬を服するにまされり。

(46)身に小瘡ありて熱湯(あつゆ)に浴し、浴後、風にあたれば肌をとぢ、熱、内にこもりて、小瘡も、肌の中に入て熱生じ、小便通ぜず、腫る。此症、甚危し。おほくは死す。つつしんで、熱湯に浴して後、風にあたるべからず。俗に、熱湯にて小瘡を内にたでこむると云う。左にはあらず、熱湯に浴し、肌表、開きたる故に、風に感じやすし。涼風にて、熱を内にとづる故、小瘡も共に内に入るなり。

(47)沐浴(もくよく)して風にあたるべからず。風にあはゞ、はやく手を以、皮膚をなでするべし。

(48)女人、経水(けいすい)来(きた)る時、頭を洗ふべからず。

(49)温泉は、諸州に多し。入浴して宜しき症あり。あしき症あり。よくもなく、あしくもなき症有。凡(およそ)此三症有。よくゑ(え)らんで浴すべし。湯治(とうじ)してよき病症は、外症なり。打身(うちみ)の症、落馬したる病、高き所より落て痛める症、疥癬(かいせん)など皮膚の病、金瘡(きんそう)、はれ物の久しく癒(いえ)がたき症、およそ外病には神効(しんこう)あり。又、中風(ちゅうぶ)、筋引つり、しゞまり、手足しびれ、なゑたる症によし。内症には相応せず。されども気鬱、不食、積滞(しゃくたい)、気血不順など、凡(およそ)虚寒(きょかん)の病症は、湯に入あたためて、気めぐりて宜しき事あり。外症の速(すみやか)に効(しるし)あるにはしかず、かろく浴すべし。又、入浴して益もなく害もなき症多し。是は入浴すべからず。又、入浴して大に害ある病症あり。ことに汗症(かんしょう)、虚労(きょろう)、熱症に尤(も)いむ。妄(みだり)に入浴すべからず。湯治(とうじ)して相応せず、他病おこり、死せし人多し。慎しむべし。此理をしらざる人、湯治(とうじ)は一切の病によしとおもふは、大なるあやまり也。本草(ほんぞう)の陳蔵器(ちんぞうき)の説、考みるべし。湯治(とうじ)の事をよくとけり。凡(そ)入浴せば実症の病者も、一日に三度より多きをいむ。虚人(きょじん)は一両度なるべし。日の長短にもよるべし。しげく浴する事、甚(はなはだ)いむ。つよき人も湯中に入(り)て、身をあたため過すべからず。はたにこしかけて、湯を杓(ひしゃく)にてそそぐべし。久しからずして、早くやむべし。あたため過(すご)し、汗を出すべからず。大にいむ。毎日かろく浴し、早くやむべし。日数は七日二十七日なるべし。是を俗に一廻(めぐり)二廻と云。温泉をのむべからず。毒あり。金瘡の治のため、湯浴(ゆあみ)してきず癒(いえ)んとす。然るに温泉の相応せるを悦(よろこ)んで飲まば、いよいよ早くいえんとおもひて、のんだりしが、疵、大にやぶれて死せり。

(50)湯治(とうじ)の間、熱性の物を食ふべからず。大酒大食すべからず。時々歩行し、身をうごかし、食気をめぐらすべし。湯治(とうじ)の内、房事(ぼうじ)をおかす事、大にいむ。湯よりあがりても、十余日いむ。灸(きゅう)治も同じ。湯治(とうじ)の間、又、湯治の後、十日ばかり補薬をのむべし。其間、性よき魚鳥の肉を、少(し)づつ食して、薬力をたすけ、脾胃を養ふべし。生冷、性あしき物、食すべからず。又、大酒大食をいむ。湯治(とうじ)しても、後の保養なければ益なし。

(51)海水を汲(く)んで浴するには、井水(せいすい)か河水を半ば入れて、等分にして浴すべし。然らざれば熱を生ず。

(52)温泉ある処に、いたりがたき人は、遠所に汲(くみ)よせて浴す。汲湯(くみゆ)と云。寒月は水の性損ぜずして、是を浴せば、少益あらんか。しかれども、温泉の地よりわき出たる温熱の気を失ひて、陽気きえつきて、くさりたる水なれば、清水の新たに汲めるよりは、性おとるべきかといふ人あり。

養生訓 巻第五終




中村学園教授:水上 茂樹先生の監修による、同学園デジタル版を
当ホームページに転載しております。この場をお借りして、転載
許可を快諾してくださった 水上教授に厚く御礼申し上げます。また
入力されたスタッフの皆様にも御礼申し上げます。






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