貝原益軒:養生訓(中村学園版)



巻第六

貝原篤信編

病を慎しむ

病は生死のかかる所、人身の大事也。聖人の慎(み)給う事、むべなるかな。

(1)古語に、「常に病想を作す」。云意は、無病の時、病ある日のくるしみを、常に思ひやりて、風・寒・暑・湿の外邪をふせぎ、酒食・好色の内欲を節にし、身体の起臥・動静をつつしめば病なし。又、古詩に曰(く)、「安閑の時、常に病苦の時を思へ」。云意は、病なくて安閑なる時に、初(め)病に苦しめる時を、常に思ひ出して、わするべからずと也。無病の時、慎ありて、恣ならざれば、病生ぜず。是病おこりて、良薬を服し、鍼・灸をするにまされり。邵康節の詩に、其病(んで)後、能く薬を服せむより、病(やむ)前、能(く)自(ら)防ぐにしかず。といへるがごとし。

(2) 病なき時、かねてつつしめば病なし。病おこりて後、薬を服しても病癒がたく、癒る事おそし。小慾をつつしまざれば大病となる。小慾をつつしむ事は、やすし。大病となりては、苦しみ多し。かねて病苦を思ひやり、のちの禍(わざわい)をおそるべし。

(3) 古語に、病は少癒るに加はるといえり。病少いゆれば、快きをたのんで、おこたりてつつしまず。少快しとして、飲食、色慾など恣(ほしいまま)にすれば、病かへつておもくなる。少いゑたる時、弥(いよいよ)かたくおそれつつしみて、少のやぶれなくおこたらざれば、病早くいゑて再発のわざはひなし。此時かたくつつしまざれば、後悔すとも益なし。

(4) 千金方に曰(いわく)、冬温なる事を極めず、夏涼きことをきはめず、凡一時快き時は、必後の禍(わざわい)となる。

(5) 病生じては、心のうれひ身の苦み甚し。其上、医をまねき、薬をのみ、灸をし、針をさし、酒をたち、食をへらし、さまざまに心をなやまし、身をせめて、病を治せんとせんよりは、初(はじめ)に内欲をこらゑ、外邪をふせげば、病おこらず。薬を服せず、針灸せずして、身のなやみ、心の苦みなし。初(はじめ)しばしの間、つヽしみしのぶは、少(すこし)の心づかひなれど、後の患(うれい)なきは、大なるしるしなり。後に薬と針灸を用ひ、酒食をこらへ、つヽしむは、その苦み甚しけれど、益少なし。古語に、終わりをつヽしむ事は、始(はじめ)におゐてせよといへり。万の事、始によくつヽしめば、後に悔なし。養生の道、ことさらかくのごとし。

(6) 飲食、色慾の肉欲を、ほしゐまゝにせずして、かたく慎み、風寒暑湿の外邪をおそれ防がば、病なくして、薬を用ひずとも、うれひなかるべし。もし慾をほしゐままにして、つゝしまず、只、脾腎を補ふ薬治と、食治とを頼まば、必(かならず)しるしなかるべし。

(7) 病ある人、養生の道をば、かたく慎しみて、病をば、うれひ苦しむべからず。憂ひ苦しめば、気ふさがりて病くはゝる。病おもくても、よく養ひて久しければ、おもひしより、病いえやすし。病をうれひて益なし。只、慎むに益あり。もし必死の症は、天命の定れる所、うれひても益なし。人をくるしむるは、おろかなり。

(8) 病を早く治せんとして、いそげば、かへつて、あやまりてを病をます。保養はおこたりなくつとめて、いゆる事は、いそがず、その自然にまかすべし。万の事、あまりよくせんとすれば、返つてあしくなる。

(9) 居所(おりどころ)、寝屋(ねや)は、つねに風寒暑湿の邪気をふせぐべし。風寒暑は人の身をやぶる事、はげしくて早し。湿は人の身をやぶる事おそくして深し。故に風寒暑は人おそれやすし。湿気は人おそれず。人にあたる事ふかし。故に久しくしていえず。湿ある所を、早く遠ざかるべし。山の岸近き所を、遠ざかるべし。又、土あさく、水近く、床ひきゝ処に、坐臥すべからず。床を高くし、床の下の壁にまどを開きて、気を通ずべし。新にぬりたる壁に近付て、坐臥すべからず。湿にあたりて病となりて、いえがたし。或(あるいは)疫病をうれふ。おそるべし。文禄の朝鮮軍に、戦死の人はすくなく、疫死多かりしは、陣屋ひきく、まばらにして、士卒、寒湿にあたりし故也とぞ。居所(おりどころ)も寝屋も、高くかはける所よし。是皆、外湿をふせぐなり。一たび湿にあたればいえがたし。おそるべし。又、酒茶湯水を多くのまず、瓜、菓、冷麪を多く食(くら)はざるは、是皆、内湿をふせぐなり。夏月、冷水を多くのみ、冷麪をしばしば食すれば、必(かならず)内湿にやぶられ、痰瘧、泄痢をうれふ。つゝしむべし。

(10) 傷寒を大病と云。諸病の内、尤(もっとも)おもし。わかくさかんなる人も、傷寒、疫癘をわずらひ、死ぬる人多し。おそるべし。かねて風寒暑湿をよくふせぐべし。初発のかろき時、早くつつしむべし。

(11) 中風は、外の風にあたりたる病には非ず、内より生ずる風に、あたれる也。肥白(ひはく)にして気すくなき人、年四十を過て気衰ふる時、七情のなやみ、酒食のやぶれによつて、此病生ず。つねに酒を多くのみて、腸胃やぶれ、元気へり、内熱生ずる故、内より風生じて手足ふるひ、しびれ、なえて、かなはず。口ゆがみて、物いふ事ならず。是皆、元気不足する故なり。故に、わかく気つよき時は、此病なし。もし、わかき人にも、まれにあるは、必(かならず)肥満して、気すくなき人也。酒多くのみ、内かはき熱して、風生ずるは、たとへば、七八月に残暑甚しくて、雨久しくふらざれば、地気さめずして、大風ふくが如し。此病、下戸にはまれ也。もし、下戸にあるは、肥満したる人か、或(あるいは)気すくなき人なり。手足なえしびれて、不仁なるは、くち木の性なきが如し。気血不足して、ちからなく、なへしびるゝ也。肥白(ひはく)の人、酒を好む人、かねて慎あるべし。

(12) 春は陽気発生し、冬の閉蔵にかはり、人の肌膚(きふ)和して、表気やうやく開く。然るに、余寒猶烈しくして、風寒に感じやすし。つゝしんで、風寒にあたるべからず。感冒咳嗽(かんぼうがいそう)の患(うれい)なからしむべし。草木の発生するも、余寒にいたみやすし。是を以て、人も余寒をおそるべし。時にしたがひ、身を運動し、陽気を助けめぐらして、発生せしむべし。

(13) 夏は、発生の気いよいよさかんにして、汗もれ、人の肌膚(きふ)大いに開く故外邪入やすし。涼風に久しくあたるべからず。沐浴の後、風に当るべからず。且夏は伏陰とて、陰気かくれて腹中にある故、食物の消化する事おそし。多く飲食すべからず。温(あたたか)なる物を食ひて、脾胃をあたゝむべし。冷水を飲べからず。すべて生冷の物をいむ。冷麪多く食ふべからず。虚人は尤(もっとも)泄瀉(せっしゃ)のうれひおそるべし。冷水に浴すべからず。暑甚き時も、冷水を以(もって)面目(かおめ)を洗へば、眼を損ず。冷水にて、手足洗ふべからず。睡中に、扇にて、人にあふがしむべからず。風にあたり臥べからず。夜、外に臥べからず。夜、外に久しく坐して、露気にあたるべからず。極暑の時も、極て涼しくすべからず。日に久しくさらせる熱物の上に、坐すべからず。

(14) 四月は純陽の月也。尤 (もっとも) 色慾を禁ずべし。雉 (きじ) 鶏など温熱 (うんねつ) の物、食うべからず。

(15) 四時の内、夏月、尤 (もっとも) 保養すべし。霍乱 (かくらん) 、中暑、傷食 (しょうしょく) 、泄瀉、瘧痢 (ぎゃくり) の病、おこりやすし。生冷の飲食を禁じて、慎んで保養すべし。夏月、此病おこれば、元気へりて大いに労す。

(16) 六七月、酷暑の時は、極寒の時より、元気へりやすし、よく保養すべし。加味生脈散 (かみしょうみゃくさん) 、補気湯、医学六要の新製清暑益気湯など、久しく服して、元気の発泄するを収斂すべし。一年の内時令のために、薬を服して、保養すべきは、此時なり。東垣 (とうえん) が清暑益気湯は湿熱を消散する方也。純補の剤にあらず、其病なくば、服すべからず。

(17) 夏月、古き井、深き穴の中に人を入 (いるる) べからず。毒気多し。古井には先鶏の毛を入て、毛、舞ひ下りがたきは、是毒あり、入 (いる)べからず。火をもやして、入れて後、入(いる)べし。又、醋(す)を熱くわかして、多く井に入(いれ)て後、人入(いる)べし。夏至に井をさらえ、水を改むべし。

(18) 秋は、夏の間肌(はだえ)開け、七八月は、残暑も猶烈しければ、そうり(*理:肌のきめ)いまだとちず。表気いまだ堅からざるに、秋風すでにいたりぬれば、感じてやぶられやすし。慎んで、風涼にあたり過すべからず。病ある人は、八月、残暑退きて後、所々に灸して風邪(ふうじゃ)をふせぎ、陽を助けて痰咳(たんせき)のうれひをまぬがるべし。

(19) 冬は、天地の陽気とぢかくれ、人の血気おさまる時也。心気を閑(しずか)にし、おさめて保つべし。あたゝめ過して陽気を発し、泄(もら)すべからず。上気せしむべからず。衣服をあぶるに、少(すこし)あたゝめてよし。熱きをいむ。衣を多くかさね、又は火気を以(もって)身をあたゝめ過すべからず。熱湯(あつゆ)に浴すべからず。労力して汗を発し、陽気を泄(もら)すべからず。

(20) 冬至には、一陽初て生ず。陽気の微少なるを静養すべし。労動すべからず。此日、公事にあらずんば、外に出(いず)べからず。冬至の前五日、後十日、房事を忌む。又、灸すべからず。続漢書に曰(いわく)、夏至水を改め、冬至に火を改むるは、瘟疫(おんえき)を去なり。

(21) 冬月は、急病にあらずんば、針灸すべからず。尤(もっとも)十二月を忌む。又、冬月按摩をいむ。自身しづかに導引するは害なし。あらくすべからず。

(22) 除日(じょにち)には、父祖の神前を掃除し、家内、殊に臥室のちりをはらひ、夕は燈(ともしび)をともして、明朝にいたり、家内光明ならしめ、香を所々にたき、かまどにて爆竹し、火をたきて、陽気を助くべし。家族と炉をかこみ、和気津々として、人とあらそはず、家人を、いかりのゝしるべからず。父母、尊重を拝祝し、家内、大小上下椒(しょう)酒をのんで歓び楽しみ、終夜いねずして旧(ふる)き歳をおくり、新き年をむかへて、朝にいたる。是を歳を守ると云(いう)。

(23) 熱食して汗いでば、風に当るべからず。

(24) 凡そ人の身、高き処よりおち、木石におされなどして、損傷したる処に、灸をする事なかれ。灸をすれば、くすりを服してもしるしなし。又、兵器にやぶられて、血おほく出たる者は、必(かならず)のんどかはくもの也。水をあたふべからず。甚あしゝ。又、粥をのましむべからず。粥をのめば、血わき出で、必(かならず)死ぬ。是等の事、かねてしらずんばあるべからず。又、金瘡折傷、口開きたる瘡、風にあたるべからず。扇にてもあふぐべからず。、し症(痙攣をおこす病気)となり、或(あるいは)破傷風となる。

(25) 冬、朝(あした)に出て遠くゆかば、酒をのんで寒をふせぐべし。空腹にして寒にあたるべからず。酒をのまざる人は、粥を食ふべし。生薑をも食ふべし。陰霧の中、遠く行べtからず。やむ事を得ずして、遠くゆかば、酒食を以(もって)防ぐべし。

(26) 雪中に跣(はだし)にて行て、甚寒(ひ)えたるに、熱湯(あつきゆ)にて足を洗ふべからず。火に早くあたるべからず。大寒にあたりて、即熱(あつき)物を食飲すべからず。

(27) 頓死の症多し。卒中風(そっちゅうぷ)、中気、中悪、中毒、中暑、凍死、湯火、食傷、乾霍乱(かんかくらん)、破傷風、喉痺、痰厥(たんけつ)失血、打撲、小児の馬脾風等の症、皆卒死す。此外、又、五絶とて、五種の頓死あり。一には自(みずから)くびる。二にはおしにうたる。三には水におぼる。四には夜押厭はる。五には婦人難産。是皆、暴死する症なり。常の時、方書を考へ、又、其治法を、良医にたつねてしり置(おく)べし。かねて用意なくして、俄に所置を失ふべからず。

(28) 神怪、奇異なる事、たとひ目前に見るとも、必(かならず)鬼神の所為とは云がたし。人に心病あり。眼病あり。此病あれば、実になき物、目に見ゆる事多し。信じてまよふべからず。

(29) 保養の道は、みづから病を慎しむのみならず、又、医をよくゑらぶべし。天下にもかへがたき父母の身、わが身を以(もって)庸医の手にゆだぬるはあやうし。医の良拙をしらずして、父母子孫病する時に、庸医にゆだぬるは、不孝不慈に比す。おやにつかふる者も、亦医をしらずんばあるべからず、といへる程子の言、むべなり。医をゑらぶには、わが身医療に達せずとも、医術の大意をしれらば、医の好否(よしあし)をしるべし。たとへば書画を能(よく)せざる人も、筆法をならひしれば、書画の巧拙をしるが如し。

(30) 医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救ふを以(もって)、志とすべし。わが身の利養を専に志すべからず。天地のうみそだて給へる人を、すくひたすけ、万民の生死をつかさどる術なれば、医を民の司命と云、きはめて大事の職分なり。他術はつたなしといへども、人の生命には害なし。医術の良拙は人の命の生死にかゝれり。人を助くる術を以(もって)、人をそこなふべからず。学問にさとき才性ある人をゑらんで医とすべし。医を学ぶ者、もし生れ付鈍にして、その才なくんば、みづからしりて、早くやめて、医となるべからず。不才なれば、医道に通せずして、天のあはれみ給ふ人を、おほくあやまりそこなふ事、つみかふし。天道おそるべし。他の生業多ければ、何ぞ得手なるわざあるべし。それを、つとめならふべし。医生、其術にをろそかなれば、天道にそむき、人をそこなふのみならず、我が身の福(さいわい)なく、人にいやしめらる。其術にくらくして、しらざれば、いつはりをいひ、みづからわが術をてらひ、他医をそしり、人のあはれみをもとめ、へつらへるは、いやしむべし。医は三世をよしとする事、礼記に見えたり。医の子孫、相つゞきて其才を生れ付たらば、世世家業をつぎたるがよかるべし。此如くなるはまれなり。三世とは、父子孫にかゝはらず、師、弟子相伝へて三世なれば、其業くはし。此説、然るべし。もし其才なくば、医の子なりとも、医とすべからず。他の業を習はしむべし。不得手なるわざを以て、家業とすべからず。

(31) 凡(およそ)医となる者は、先儒書をよみ、文義に通ずべし。文義通ぜざれば、医書をよむちからなくして、医学なりがたし。又、経伝の義理に通ずれば、医術の義理を知りやすし。故に孫思ばく (ばく)曰、凡(およそ)大医と為るには先づ儒書に通ずべし。又曰、易を知らざれば以て医と為る可からず。此言、信ずべし。諸芸をまなぶに、皆文学を本とすべし。文学なければ、わざ熟しても理にくらく、術ひきし。ひが事多けれど、無学にしては、わがあやまりをしらず。医を学ぶに、殊に文学を基とすべし。文学なければ、医書をよみがたし。医道は、陰陽五行の理なる故、儒学のちから、易の理を以(もって)、医道を明らむべし。しからざれば、医書をよむちからなくして、医道をしりがたし。

(32) 文学ありて、医学にくはしく、医術に心をふかく用ひ、多く病になれて、其変をしれるは良医也。医となりて、医学をこのまず、医道に志なく、又、医書を多くよまず、多くよんでも、精思の工夫なくして、理に通ぜず、或(あるいは)医書をよんでも、旧説になづみて、時の変をしらざるは、賤工也。俗医、利口にして、医学と療治とは別の事にて、学問は、病を治するに用なしと云て、わが無学をかざり、人情になれ、世事に熟し、権貴の家にへつらひちかづき、虚名を得て、幸にして世に用ひらるゝ者多し。是を名づけて福医と云、又、時医と云。是医道にはうとけれど、時の幸ありて、禄位ある人を、一両人療して、偶中すれば、其故に名を得て、世に用らるゝ事あり。才徳なき人の、時にあひ、富貴になるに同じ。およそ医の世に用らるゝと、用られざるとは、良医のゑらんで定むる所為(しわざ)にはあらず。医道をしらざる白徒(しろうと)のする事なれば、幸にして時にあひて、はやり行はるるとて、良医とすべからず。其術を信じがたし。

(33) 古人、医也者は意也、といへり。云意(こころ)は、意(こころ)精(くわ)しければ、医道をしりてよく病を治す。医書多くよんでも、医道に志なく、意(こころ)粗く工夫くはしからざれば、医道をしらず。病を治するに拙きは、医学せざるに同じ。医の良拙は、医術の精(くわ)しきと、あらきとによれり。されども、医書をひろく見ざれば、医道をくはしくしるべきやうなし。

(34) 医とならば、君子医となるべし、小人医となるべからず。君子医は人のためにす。人を救ふに、志専一なる也。小人医はわが為にす。わが身の利養のみ志し、人をすくふに志専ならず。医は仁術也。人を救ふを以(もって)志とすべし。是人のためにする君子医也。人を救ふ志なくして、只、身の利養を以(もって)志とするは、是わがためにする小人医なり。医は病者を救はんための術なれば、病家の貴賤貧富の隔なく、心を尽して病を治すべし。病家よりまねかば、貴賤をわかたず、はやく行べし。遅々すべからず。人の命は至りておもし、病人をおろそかにすべからず。是医となれる職分をつとむる也。小人医は、医術流行すれば我身にほこりたかぶりて、貧賤なる病家をあなどる。是医の本意を失へり。

(35) 或人の曰(いわく)、君子医となり、人を救はんが為にするは、まことに然るべし。もし医となりて仲景(ちゅうけい)、東垣(とうえん)などの如き富貴の人ならば、利養のためにせずしても、貧窮のうれひなからん。貧家の子、わが利養の為にせずして、只人を救ふに専一ならば、飢寒のうれひまぬがれがたかるべし。答て曰(いわく)、わが利養の為に医となる事、たとへば貧賤なる者、禄のため君につかふるが如し。まことに利禄のためにすといへども、一たび君につかへては、わが身をわすれて、ひとへに君のためにすべし。節義にあたりては、恩禄の多少によらず、一命をもすつべし。是人の臣たる道なり。よく君につかふれば、君恩によりて、禄は求めずして其内にあり。一たび医となりては、ひとへに人の病をいやし、命を助くるに心専一なるべき事、君につかへてわが身をわすれ、専一に忠義をつとむるが如くなるべし。わが身の利養をはかるべからず。然れば、よく病をいやし、人をすくはゞ、利養を得る事は、求めずして其内にあるべし。只専一に医術をつとめて、利養をば、むさぼるべからず。

(36) 医となる者、家にある時は、つねに医書を見て其理をあきらめ、病人を見ては、又、其病をしるせる方書をかんがへ合せ、精(くわ)しく心を用ひて薬方を定むべし。病人を引うけては、他事に心を用ひずして、只、医書を考へ、思慮を精(くわ)しくすべし。凡(およそ)医は医道に専一なるべし。他の玩好あるべからず。専一ならざれば業精(くわ)しからず。

(37) 医師にあらざれども、薬をしれば、身をやしなひ、人をすくふに益あり。されども、医療に妙を得る事は、医生にあらざれば、道に専一ならずして成がたし。みづから医薬を用ひんより、良医をゑらんでゆだぬべし。医生にあらず、術あらくして、みだりにみづから薬を用ゆべからず。只、略(ほぼ)医術に通じて、医の良拙をわきまへ、本草をかんがへ、薬性と食物の良毒をしり、方書をよんで、日用急切の薬を調和し、医の来らざる時、急病を治し、医のなき里に居(おり)、或(あるいは)旅行して小疾をいやすは、身をやしなひ、人をすくふの益あれば、いとまある人は、すこし心を用ゆべし。医術をしらずしては、医の良賤をもわきまへず、只、世に用ひらるゝを良工とし、用ひられざるを賤工とする故に、医説に、明医は時医にしかず、といへり。医の良賤をしらずして、庸医に、父母の命をゆだね、わが身をまかせて、医にあやまられて、死したるためし世に多し。おそるべし。

(38) 士庶人の子弟いとけなき者、医となるべき才あらば、早く儒書をよみ、其力を以(もって)、医書に通じ、明師にしたがひ、十年の功を用て、内経、本草以下、歴代の明医の書をよみ学問し、やうやく医道に通じ、又、十年の功を用ひて、病者に対して、病症を久しく歴見して習熟し、近代の日本の先輩の名医の療術をも考しり、病人に久しくなれて、時変を知り、日本の風土にかなひ、其術ますます精(くわ)しくなり、医学と病功と、前後凡(およそ)二十年の久きをつみなば、必(かならず)良医となり、病を治する事、験ありて、人をすくふ事多からん。然らば、をのづから名もたかくなりて、高家、大人(たいじん)の招請あり、士庶人の敬信もあつくば、財禄を得る事多くして、一生の受用ゆたかなるべし。此如く実によくつとめて、わが身に学功そなはらば、名利を得ん事、たとへば俯して地にあるあくたを、ひろふが如く、たやすかるべし。是士庶の子弟、貧賎なる者の名利を得る好(よき)計(はかりごと)なるべし。この如くなる良工は、是国土の宝なり。公侯は、早くかゝる良医をしたて給ふべし。医となる人、もし庸医のしわざをまなび、、愚俗の言を信じ、医学をせずして、俗師にしたがひ、もろこしの医書をよまず、病源と脈とをしらず、本草に通ぜず、薬性をしらず、医術にくらくして、只近世の日本の医の作れる国字の医書を、二三巻考へ、薬方の功能を少覚え、よききぬきて、我が身のかたちふるまひをかざり、辯説(べんぜつ)を巧にし、人のもてなしをつくろひ、富貴の家に、へつらひしたしみ、時の幸(さいわい)を求めて、福医のしわざを、うらやみならはゞ、身をおはるまで草医なるべし。かゝる草医は、医学すれば、かへつて療治に拙し、と云まはりて、学問ある医をそしる。医となりて、天道の子としてあはれみ給ふ万民の、至りておもき生命をうけとり、世間きはまりなき病を治せんとして、この如くなる卑狭(ひきょう)なる術を行ふは云かひなし。

(39)俗医は、医学をきらひてせず。近代名医の作れる和字の医書を見て、薬方を四五十つかひ覚ゆれば、医道をば、しらざれども、病人に馴て、尋常(よのつね)の病を治する事、医書をよんで病になれざる者にまされり。たとへば、ていはい(*稗:ひえ)の熟したるは、五穀の熟せざるにまされるが如し。されど、医学なき草医は、やゝもすれば、虚実寒熱を取ちがへ、実々虚々のあやまり、目に見えぬわざはひ多し。寒に似たる熱症あり。熱に似たる寒症あり。虚に似たる実症あり。実に似たる虚症あり。内傷、外感、甚相似たり。此如まぎらはしき病多し。根ふかく、見知りがたきむづかしき病、又、つねならざるめづらしき病あり。かやうの病を治することは、ことさらなりがたし。

(40)医となる人は、まづ、志を立て、ひろく人をすくひ助くるに、まことの心をむねとし、病人の貴賎によらず、治をほどこすべし。是医となる人の本意也。其道明らかに、術くはしくなれば、われより、しゐて人にてらひ、世に求めざれども、おのづから人にかしづき用られて、さいはいを得る事、かぎりなかるべし。もし只、わが利養を求るがためのみにて、人をすくふ志なくば、仁術の本意をうしなひて、天道、神明の冥加あるべからず。

(41)貧民は、医なき故に死し、愚民は庸医にあやまられて、死ぬる者多しと、古人いへり。あはれむべし。

(42)医術は、ひろく書を考へざれば、事をしらず。精しく理をきはめざれば、道を明らめがたし。博(ひろき)と精(くわしき)とは医を学ぶの要なり。医を学ぶ人は、初より大に志ざし、博くして又精しかるべし。二ながら備はらずんばあるべからず。志小きに、心あらくすべからず。

(43)日本の医の中華に及ばざるは、まづ学問のつとめ、中華の人に及ばざれば也。ことに近世は国字(かな)の方書多く世に刊行せり。古学を好まざる医生は、からの書はむづかしければ、きらひてよまず。かな書の書をよんで、医の道是にて事足りぬと思ひ、古の道をまなばず。是日本の医の医道にくらくして、つたなきゆへなり。むかしの伊路波(いろは)の国字(かな)いできて、世俗すべて文盲になれるが如し。

(44)歌をよむに、ひろく歌書をよんで、歌学ありても歌の下手はあるもの也。歌学なくして上手は有まじきなりと、心敬法師いへり。医術も亦かくの如し。医書を多くよんでも、つたなき医はあり。それは医道に心を用ずして、くはしならざればなり。医書をよまずして、上手はあるまじき也。から・やまとに博学多識にして、道しらぬ儒士は多し。博く学ばずして、道しれる人はなきが如し。

(45) 医は、仁心を以て行ふべし。名利を求むべからず。病おもくして、薬にて救ひがたしといへども、病家より薬を求むる事切ならば、多く薬をあたへて、其心ををなぐさむべし。わがよく病を見付て、生死をしる名を得んとて、病人に薬をあたへずして、すてころすは情けなし。医の薬をあたへざれば、病人いよいよちからをおとす。理なり。あはれむべし。

(46) 医を学ぶに、ふるき法をたづねて、ひろく学び、古方を多く考ふべし。又、今世の時運を考へ、人の強弱をはかり、日本の土宜(どぎ)と民俗の風気を知り、近古わが国先輩の名医の治せし迹(あと)をも考へて、治療を行ふべし。いにしへに本づき、今に宜しくば、あやまりすくなかるべし。古法をしらずして、今の宜に合せんとするを鑿(うがつ)と云。古法にかゝはりて、今の宜に合ざるを泥(なずむ)と云。其あやまり同じ。古にくらく、今に通ぜずしては、医道行はるべからず。聖人も、故を温ね新を知以て師とすべし、と、のたまへり。医師も亦かくの如くなるべし。

(47) 薬の病に応ずるに適中あり、偶中あり。適中は良医の薬必応ずる也。偶中は庸医の薬不慮(はからざるに)相応ずるなり。是其人に幸ある故に、術はつたなけれども、幸にして病に応じたる也。もとより庸医なれば、相応ぜざる事多し。良医の適中の薬を用ふべし。庸医は、たのもしげなし。偶中の薬はあやふし。適中は能(よく)射る者の的にあたるが如し。偶中は拙き者の不慮に、的に射あつるが如し。

(48) 医となる者、時の幸を得て、富貴の家に用いらるゝ福医をうらやみて、医学をつとめず、只、権門につねに出入し、へつらひ求めて、名利を得る者多し。医術のすたりて拙くなり、庸医の多くなるは此故なり。

(49) 諸芸には、日用のため無益なる事多し。只、医術は有用の事也。医生にあらずとも少学ぶべし。凡儒者は天下の事皆しるべし。故に、古人、医も儒者の一事といへり。ことに医術はわが身をやしなひ、父母につかへ、人を救ふに益あれば、もろもろの雑芸よりも最(もっとも)益多し。しらずんばあるべからず。然ども医生に非ず、療術に習はずして、妄(みだり)に薬を用ゆべからず。

(50) 医書は、内経本草(ないけいほんぞう)を本とす。内経を考へざれば、医術の理、病の本源をしりがたし。本草に通ぜざれば、薬性をしらずして方を立がたし。且(かつ)、食性をしらずして宜禁(ぎきん)を定がたく、又、食治の法をしらず。此二書を以(もって)医学の基(もとい)とす。二書の後、秦越人(しんえつじん)が難経、張仲景が金匱要略(きんきようりゃく)、皇甫謐(こうほひつ)が甲乙経、巣元方が病源候論、孫思ばくが千金方、王とうが外台秘要、羅謙甫(らけんほ)が衛生宝鑑、陳無択が三因方、宋の恵民局の和剤(かざい)局方証類、本草序例、銭仲陽が書、劉河間が書、朱丹溪が書、李東垣が書、楊しゅんが丹溪心法、劉宗厚が医経小学、玉機微義、熊宗立が医書大全、周憲王の袖珍方、周良采が医方選要、薛立斎(せつりゅうさい)が医案、王璽(おうじ)が医林集要、楼英が医学綱目、虞天民が医学正伝、李挺が医学入門、江篁南(こうこうなん)が名医類案、呉崑が名医方考、きょう挺賢が書数種、汪石山が医学原理、高武が鍼灸聚英、李中梓(りちゅうし)が医宗必読、頤生微論、薬性解、内経知要あり。又薛立斎が十六種あり。医統正脈は四十三種あり。歴代名医の書をあつめて一部とせり。是皆、医生のよむべき書也。年わかき時、先儒書を記誦し、其力を以右の医書をよんで能記すべし。

(51) 張仲景は、百世の医祖也。其後、歴代の明医すくなからず。各発明する処多しといへ共、各其説に偏僻の失あり。取捨すべし。孫思(ばく)は、又、養生の祖なり。千金方をあらはす。養生の術も医方も、皆、宗とすべし。老、荘、を好んで異術の人なれど、長ずる所多し。医生にすゝむるに、儒書に通じ、易を知るを以す。盧照鄰に答へし数語、皆、至理あり。此人、後世に益あり。医術に功ある事、皇甫謐、葛洪、陶弘景等の諸子に越たり。寿(いのち)百余歳なりしは、よく保養の術に長ぜし効(しるし)なるべし。

(52) むかし、日本に方書の来りし初は、千金方なり。近世、医書板行せし初は、医書大全なり。此書は明の正統十一年に熊宗立編む。日本に大永の初来りて、同八年和泉の国の医、阿佐井野宗瑞、刊行す。活板也。正徳元年まで百八十四年也。其後、活字の医書、やうやく板行す。寛永六年巳後、扁板鏤刻(るこく)の医書漸く多し。

(53) 凡諸医の方書偏説多し。専一人を宗とし、一書を用ひては治を為しがたし。学者、多く方書をあつめ、ひろく異同を考へ、其長ずるを取て其短なるをすて、医療をなすべし。此後、才識ある人、世を助くるに志あらば、ひろく方書ゑらび、其重複をけづり、其繁雑なるを除き、其粋美なるをあつめて、一書と成さば、純正なる全書となりて、大なる世宝なるべし。此事は、其人を待て行はるべし。凡近代の方書、医論、脈法、薬方同じき事、甚多し。殊(ことに)きょう挺賢が方書部数、同じ事多くして、重出しげく煩はし。無用の雑言亦多し。凡病にのぞんでは、多く方書を検する事、煩労なり。急病に対し、にはかに広く考へて、其相応ぜる良方をゑらびがたし。同事多く、相似たる書を多くあつめ考るも、いたづがはし。才学ある人は、無益の事をなして暇をつひやさんより、かゝる有益の事をなして、世を助け給ふべし。世に其才ある人、豈なかるべきや。

(54) 局方発揮、出て局方すたる。局方に古方多し。古を考ふるに用べし。廃(す)つべからず。只、鳥頭附子の燥剤を多くのせたるは、用ゆべからず。近古、日本に医書大全を用ゆ。きょう挺賢が方書流布して、東垣が書及医書大全、其外の諸方をも諸医用ずして、医術せばくあらくなる。三因方、袖珍方、医書大全、医方選要、医林集要、医学正伝、医学綱目、入門、方考、原理、奇効良方、証治準縄等、其外、方書を多く考へ用ゆべし。入門は、医術の大略備れる好書也。(きょう)廷賢が書のみ偏に用ゆべからず。(きょう)氏が医療は、明季の風気衰弱の時宜に頗かなひて、其術、世に行はれし也。日本にても亦しかり。しかるべき事は、ゑらんで所々取用ゆべし。悉くは信ずべからず。其故にいかんとなれば、雲林が医術、其見識ひきし。他人の作れる書をうばひてわが作とし、他医の治せし療功を奪てわが功とす。不経の書を作りて、人に淫ををしえ、紅鉛などを云穢悪の物をくらふ事を、人にすゝめて良薬とす。わが医術をみづから衒ひ、自ほむ。是皆、人の穢行なり。いやしむべし。

(55) 我よりまへに、其病人に薬を与へし医の治法、たとひあやまるとも、前医をそしるべからず。他医をそしり、わが術にほこるは、小人のくせなり。医の本意にあらず。其心ざまいやし。きく人に思ひ下さるゝも、あさまし。

(56) 本草の内、古人の説まちまちにして、一やうならず。異同多し。其内にて考へ合せ、択(えら)び用ゆべし。又、薬物も食品も、人の性により、病症によりて、宜、不宜あり。一概に好否を定めがたし。

(57) 医術も亦、其道多端なりといへど、其要三あり。一には病論、二には脈法、三には薬方、此三の事をよく知べし。運気、経絡などもしるべしといへども、三要の次也。病論は、内経を本とし、諸名医の説を考ふべし。脈法は、脈書数家を考ふべし。薬方は、本草を本として、ひろく諸方書を見るべし。薬性にくはしからずんば、薬方を立がたくして、病に応ずべからず。又、食物の良否をしらずんば、無病有病共に、保養にあやまり有べし。薬性、食性、皆本草に精からずんば、知がたし。

(58) 或曰、病あつて治せず、常に中医を得る、といへる道理、誠にしかるべし。然らば、病あらば只上医の薬を服すべし。中下の医の薬は服すべからず。今時、上医は有がたし、多くは中、下医なるべし。薬をのまずんば、医は無用の物なるべしと云。答曰、しからず、病あつて、すべて治せず。薬をのむべからずと云は、寒熱、虚実など、凡病の相似て、まぎらはしくうたがはしき、むづかしき病をいへり。浅薄なる治しやすき症は、下医といへども、よく治す。感冒咳嗽(かんぼうがいそう)に参蘇飲(じんそいん)、風邪を発散するに香蘇散、敗毒散、かつ香、正気散。食滞に平胃散、香砂平胃散、かやうの類は、まぎれなくうたがはしからざる病なれば、下医も治しやすし。薬を服して害なかるべし。右の症も、薬しるしなき、むづかしき病ならば、薬を用ずして可也。

養生訓 巻第六終




中村学園教授:水上 茂樹先生の監修による、同学園デジタル版を
当ホームページに転載しております。この場をお借りして、転載
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