貝原益軒:養生訓(中村学園版)



巻第七

貝原篤信編

薬を用ふ

(1)人身、病なき事あたはず。病あれば、医をまねきて治を求む。医に上中下の三品あり。上医は病を知り、脈を知り、薬を知る。此三知を以(て)病を治して十全の功あり。まことに世の宝にして、其功、良相(りょうしょう)につげる事、古人の言のごとし。下(か)医は、三知の力なし。妄(みだり)に薬を投じて、人をあやまる事多し。夫(れ)薬は、補瀉寒熱(ほしゃかんねつ)の良毒の気偏なり。その気(き)の偏(へん)を用(い)て病をせむる故に、参ぎ(:薬用人参)の上薬をも妄(みだり)に用ゆべからず。其病に応ずれば良薬とす。必其しるしあり。其病に応ざぜれば毒薬とす。たゞ益なきのみならず、また人に害あり。又、中医あり。病と脈と薬をしる事、上医に及ばずといへ共、薬は皆気の偏にして、妄に用ゆべからざる事をしる。故に其病に応ぜざる薬を与へず。前漢書に班固(はんこ)が曰(く)、「病有て治せずば常に中医を得よ」。云意(いうこころ)は、病あれども、もし其病を明らかにわきまへず、その脈を許(つまびらか)に察せず、其薬方を精(くわ)しく定めがたければ、慎んでみだりに薬を施さず。こゝを以(て)病あれども治せざるは、中品の医なり。下医(かい)の妄に薬を用(い)て人をあやまるにまされり。故に病ある時、もし良医なくば、庸医(ようい)の薬を服して身をそこなふべからず。只保養をよく慎み、薬を用ひずして、病のをのづから癒(いゆ)るを待べし。如此すれば、薬毒にあたらずして、はやくいゆる病多し。死病は薬を用ひてもいきず。下医は病と脈と薬をしらざれども、病家の求(もとめ)にまかせて、みだりに薬を用ひて、多く人をそこなふ。人を、たちまちにそこなはざれども、病を助けていゆる事おそし。中医は、上医に及ばずといへども、しらざるを知らずとして、病を慎んで、妄(みだり)に治せず。こゝを以(もって)、病あれども治せざるは中品の医なりといへるを、古来名言とす。病人も亦、此説を信じ、したがって、応ぜざる薬を服すべからず。世俗は、病あれば急にいゑん事を求て、医の良賤をゑらばず、庸医の薬をしきりにのんで、かへつて身をそこなふ。是身を愛すといへども、実は身を害する也。古語に曰、「病の傷は猶癒(いやす)べし、薬の傷は最も医(くす)し難し」。然らば、薬をのむ事、つゝしみておそるべし。孔子も、季康子が薬を贈れるを、いまだ達せずとて、なめ給はざるは、是疾をつゝしみ給へばなり。聖人の至教、則(のり)とすべし。今、其病源を審(つまびらか)にせず、脈を精(くわ)しく察せず、病に当否を知らずして、薬を投ず。薬は、偏毒あればおそるべし。

(2)孫思ばく曰、人、故なくんば薬を餌(くらう)べからず。偏(ひとえ)に助くれば、蔵気不平にして病生ず。

(3)劉仲達(りゅうちゅうたつ)が鴻書(こうしょ)に、疾(やまい)あつて、もし名医なくば薬をのまず、只病のいゆるを、しづかにまつべし。身を愛し過し、医の良否をゑらばずして、みだりに早く、薬を用る事なかれ。古人、病あれども治せざるは中医を得ると云、此言、至論也といへり。庸医の薬は、病に応ずる事はすくなく、応ぜざる事多し。薬は皆、偏性(へんしょう)ある物なれば、其病に応ぜざれば、必(ず)毒となる。此故に、一切の病に、みだりに薬を服すべからず。病の災(わざわい)より薬の災多し。薬を用ずして、養生を慎みてよくせば、薬の害なくして癒(いえ)やすかるべし。

(4)良医の薬を用るは臨機応変とて、病人の寒熱虚実の機にのぞみ、其時の変に応じて宜に従ふ。必(ず)一法に拘はらず。たとへば、善く戦ふ良将の、敵に臨んで変に応ずるが如し。かねてより、その法を定めがたし。時にのぞんで宜にしたがふべし。されども、古法をひろくしりて、その力を以(て)今の時宜に(じぎ)にしたがひて、変に応ずべし。古(いにしえ)をしらずして、只今の時宜に従はんとせば、本(もと)なくして、時宜に応ずべからず。故(ふるき)を温(たず)ねて新をしるは、良医なり。

(5)脾胃(ひい)を養ふには、只穀肉を食するに相宜(あいよろ)し。薬は皆気の偏なり。参ぎ、朮甘(じゅつかん)は上薬にて毒なしといへども、病に応ぜざれば胃の気を滞(とどこお)らしめ、かへつて病を生じ、食を妨げて毒となる。いはんや攻撃のあらくつよき薬は、病に応ぜざれば、大に元気をへらす。此故に病なき時は、只穀肉を以(て)やしなふべし。穀肉の脾胃をやしなふによろしき事、参ぎの補にまされり。故に、古人の言に薬補は食補にしかずといへり。老人は殊に食補すべし、薬補は、やむ事を得ざる時用ゆべし。

(6)薬をのまずして、おのづからいゆる病多し。是をしらで、みだりに薬を用て薬にあてられて病をまし、食をさまたげ、久しくいゑずして、死にいたるも亦多し。薬を用る事つつしむべし。

(7)病の初発の時、症(しょう)を明に見付(みつけ)ずんば、みだりに早く薬を用ゆべからず。よく病症を詳(つまびらか)にして後、薬を用ゆべし。諸病の甚しくなるは、多くは初発の時、薬ちがへるによれり。あやまつて、病症にそむける薬を用ゆれば、治しがたし。故に療治の要は、初発にあり。病おこらば、早く良医をまねきて治すべし。症により、おそく治(じ)すれば、病ふかくなりて治しがたし。扁鵲(へんじゃく)が斉候に告げたるが如し。

(8)丘処機(きゅうしょき)が、衛生の道ありて長生の薬なし、といへるは、養生の道はあれど、むまれ付かざるいのちを、長くする薬はなし。養生は、只むまれ付(き)たる天年をたもつ道なり。古(いにしえ)の人も術者にたぶらかされて、長生の薬とて用ひし人、多かりしかど、其しるしなく、かへつて薬毒にそこなはれし人あり。是長生の薬なき也。久しく苦労して、長生の薬とて用ゆれども益なし。信ずべからず。内慾を節にし、外邪をふせぎ、起居をつゝしみ、動静を時にせば、生れ付(き)たる天年をたもつべし。是養生の道あるなり。丘処機が説は、千古の迷(まよい)をやぶれり。此説信ずべし。凡(そ)うたがふべきをうたがひ、信ずべきを信ずるは迷をとく道なり。

(9)薬肆(やくし:薬屋)の薬に、好否あり、真偽あり。心を用ひてゑらぶべし。性あしきと、偽薬とを用ゆべからず。偽薬とは、真ならざる似せ薬也。拘橘(くきつ)を枳穀(きこく)とし、鶏腿児(けいたいじ)を柴胡(さいこ)とするの類(たぐい)なり。又、薬の良否に心を用ゆべし。其病に宜しき良方といへども、薬性あしければ功なし。又、薬の製法に心を用ゆべし。薬性よけれ共、修(こしらえ)、治方に背(そむ)けば能なし。たとへば、食物も其土地により、時節につきて、味のよしあしあり。又、よき品物も、料理あしければ、味なくして、くはれざるが如し。こゝを以(て)その薬性のよきをゑらび用ひ、其製法をくはしくすべし。

(10)いかなる珍味も、これを煮る法ちがひてあしければ、味あしゝ。良薬も煎法ちがへば験(しるし)なし。此(の)故、薬を煎ずる法によく心を用ゆべし。文火とは、やはらかなる火也。武火とは、つよき火なり。文武火とは、つよからずやはらかならざる、よきかげんの火なり。風寒を発散し、食滞を消導(しょうどう)する類(るい)の剛剤(ごうざい)を利薬と云(う)。利薬は、武火にてせんじて、はやくにあげ、いまだ熱せざる時、生気のつよきを服すべし。此(の)如(く)すれば、薬力つよくして、邪気にかちやすし。久しく煎じて熟すれば、薬に生気の力なくして、よわし。邪気にかちがたし。補湯は、やはらかなる文火にて、ゆるやかに久しく煎じつめて、よく熟すべし。此如ならざれば、純補(じゅんぽ)しがたし。こゝを以(て)利薬は生に宜しく熟に宜しからず。補薬は熟に宜しくして、生に宜しからず。しるべし、薬を煎ずるに此二法あり。

(11)薬剤一服の大小の分量、中夏(ちゅうか)の古法を考がへ、本邦の土宜にかなひて、過不及(かふきゅう)なかるべし。近古、仲井家(なからいけ)には、日本の土地、民俗の風気に宜しとて、薬の重さ八分を一服とす。医家によりて一匁(もんめ)を一服とす。今の世、医の薬剤は、一服の重さ六七分より一匁に至る。一匁より多きは稀(まれ)なり。中夏の薬剤は、医書を考ふるに、一服三匁より十匁に至(る)。東垣(とうえん)は、三匁を用ひて一服とせし事あり。中夏の人、煎湯の水を用る事は少く、薬一服は大なれば、煎汁(せんじしる)甚(だ)濃(く)して、薬力つよく、病を冶する事早しと云(う)。然るに日本の薬、此如小服なるは何ぞや。曰(く)、日本の医の薬剤小服なる故三あり。一には中華の人は、日本人より生質健(すこやか)に腸胃(ちょうい)つよき故、飲食多く、肉を多く食ふ。日本人は生(うまれ)つき薄弱にして、腸胃よわく食すくなく、牛鳥、犬羊の肉を食ふに宜しからず。かろき物をくらふに宜し。此故に、薬剤も昔より、小服に調合すと云(う)。是一説なり。されども中夏の人、日本の人、同じく是人なり。大小強弱少(し)かはる共、日本人、さほど大(き)におとる事、今の医の用る薬剤の大小の如く、三分の一、五分の一には、いたるべからず。然れば日本の薬、小服なる事、此如なるべからずと云(う)人あり。一説に或人の曰(く)、日本は薬種ともし。わが国になき物多し。はるかなるもろこし、諸蕃国の異舶に、載せ来るを買て、価(あたい)貴とし。大服なれば費(ついえ)多し。こゝを以(て)薬剤を大服に合せがたし。ことに貧医は、薬種をおしみて多く用ひず。然る故、小服にせしを、古来習ひ来りて、富貴の人の薬といへども小服にすと云(う)。是一説也。又曰、日本の医は、中華の医に及ばず。故に薬方を用る事、多くはその病に適当せざらん事を畏る。此故に、決定(けつじょう)して一方を大服にして用ひがたし。若(し)大服にして、其病に応ざぜれば、かへつて甚(だ)害をなさん事おそるべければ、小服を用ゆ。薬その病に応ぜざれども、小服なれば大なる害なし。若(し)応ずれば、小服にても、日をかさねて小益は有ぬべし。こゝを以(て)古来、小服を用ゆと云(う)。是又一説也。此三説によりて日本の薬、古来小服なりと云(う)。

(12)日本人は、中夏の人の健(すこやか)にして、腸胃のつよきに及ばずして、薬を小服にするが宜しくとも、その形体、大小相似たれば、その強弱の分量、などか、中夏の人の半(ば)に及ぶべからざらんや。然らば、薬剤を今少(し)大にするが、宜しかるべし。たとひ、昔よりあやまり来りて、小服なりとも、過(あやま)つては、則(ち)改るにはばかる事なかれ。今の時医の薬剤を見るに、一服此如小にしては、補湯といへども、接養の力なかるべし。況(や)利湯(とう)を用る病は、外、風寒肌膚(きふ)をやぶり、大熱を生じ、内、飲食腸胃に塞(ふさが)り、積滞(しゃくたい)の重き、欝結(うっけつ)の甚しき、内外の邪気甚(はなはだ)つよき病をや。小なる薬力を以(て)大なる病邪にかちがたき事、たとへば、一盃(ぱい)の水を以(て)一車薪の火を救ふべからざるが如し。又、小兵を以(て)大敵にかちがたきが如し。薬方、その病によく応ずとも、かくのごとく小服にては、薬に力なくて、効(しるし)あるべからず。砒毒(ひどく)といへども、人、服する事一匁許(ばかり)に至りて死すと、古人いへり。一匁よりすくなくしては、砒霜(ひそう)をのんでも死なず、河豚(ふぐ)も多くくらはざれば死なず。つよき大毒すらかくの如し。況(や)ちからよはき小服の薬、いかでか大病にかつべきや。此理を能(く)思ひて、小服の薬、効なき事をしるべし。今時の医の用る薬方、その病に応ずるも多かるべし。しかれども、早く効を得ずして癒(いえ)がたきは、小服にて薬力たらざる故に非ずや。

(13)今ひそかにおもんぱかるに、利薬は、一服の分量、一匁五分より以上、二匁に至るべし。その間の軽重は、人の大小強弱によりて、増減すべし。

(14)補薬一服の分量は、一匁より一匁五分に至るべし。補薬つかえやすき人は、一服一匁或(あるいは)一匁二分なるべし。是又、人の大小強弱によりて増減すべし。又、攻補兼(かね)用(う)る薬方あり、一服一匁二三分より、一匁七八分にいたるべし。

(15)婦人の薬は、男子より小服に宜し。利湯は一服一匁二分より一匁八分に至り、補湯は一匁より一匁五分にいたるべし。気体強大ならば、是より大服に宜し。

(16)小児の薬、一服は、五分より一匁に至るべし。是又、児の大小をはかつて増減すべし。

(17)大人の利薬を煎ずるに、水をはかる盞(さかずき)は、一盞(さん)に水を入るゝ事、大抵五十五匁より六十匁に至るべし。是(これ)盞の重さを除きて水の重さなり。一服の大小に従つて水を増減すべし。利薬は、一服に水一盞半入(れ)て、薪をたき、或(あるいは)かたき炭を多くたきて、武火(つよび)を以(て)一盞にせんじ、一盞を二度にわかち、一度に半盞、服すべし。滓(かす)はすつべし。二度煎ずべからず。病つよくば、一日一夜に二服、猶(なお)其上にいたるべし。大熱ありて渇する病には、其宜(ぎ)に随つて、多く用ゆべし。補薬を煎ずるには、一盞に水を入(る)る事、盞の重さを除き、水の重さ五十匁より五十五匁に至る。是又、一服の大小に随(い)て、水を増減すべし。虚人の薬小服なるには、水五十匁入(いる)る盞を用ゆべし。壮人の薬、大服なるには水五十五匁入(る)る盞を用ゆべし。一服に水二盞入(れ)て、けし炭を用ひ、文火(とろび)にてゆるやかにせんじつめて一盞とし、かすには、水一盞入(れ)て半盞にせんじ、前後合せて一盞半となるを、少(し)づつ、つかへざるやうに、空腹に、三四度に、熱服す。補湯は、一日に一服、若(し)つかえやすき人は、人により、朝夕はのみがたし、昼間二度のむ。短日は、二度はつかえて服しがたき人あり、病人によるべし。つかえざる人には、朝夕昼間一日に一服、猶(なお)其上も服すべし。食滞あらば、補湯のむべからず。食滞めぐりて後、のむべし。

(18)補薬は、滞塞(たいそく)しやすし。滞塞すれば害あり益なし。利薬を服するより、心を用ゆべし。もし大剤にして気塞(ふさ)がらば、小剤にすべし。或(は)棗(なつめ:利尿、強壮)を去り生姜(しょうきょう)を増すべし。補中益気湯などのつかえて用(い)がたきには、乾姜(かんきょう)、肉桂(にくけい)を加ふべき由、薜立斉(せつりゅうさい)が医案にいへり。又、症により附子(ぶし)、肉桂(にくけい)を少(し)加へ、升麻(しょうま)、柴胡(さいこ)を用るに二薬ともに火を忌(い)めども、実にて炒(り)用ゆ。是正伝惑問の説也。又、升麻、柴胡(さいこ)を去(り)て桂姜(けいきょう)を加ふる事あり。李時珍(りじちん)も、補薬に少(し)附子(ぶし)を加ふれば、その功するどなり、といへり。虚人の熱なき症に、薬力をめぐらさん為ならば、一服に五釐(りん)か一分加ふべし。然れども病症によるべし。壮人には、いむべし。

(19)身体短小にして、腸胃小なる人、虚弱なる人は、薬を服するに、小服に宜し。されども、一匁より小なるべからず。身体長大にして、腸胃ひろき人、つよき人は、薬、大服に宜し。

(20)小児の薬に、水をはかる盞(さかずき)は、一服の大小によりて、是も水五十匁より、五十五匁入(る)ほどなる盞を用ゆ。是又、盞の重を除きて、水の重さなり。利湯は、一服に水一盞入(り)、七分に煎じ、二三度に用ゆ。かすはすつべし。補湯には、水一盞半を用て、七分に煎じ、度々に熱服す。是又、かすはすつべし。或(は)かすにも水一盞入(れ)、半盞に煎じつめて用ゆべし。

(21)中華の法、父母の喪は必(ず)三年、是天下古今の通法なり。日本の人は体気、腸胃、薄弱なり。此故に、古法に、朝廷より期の喪を定め給ふ。三年の喪は二十七月也。期の喪は十二月なり。是日本の人の、禀賦(ひんぷ)の薄弱なるにより、其宜を考へて、性にしたがへる中道なるべし。然るに近世の儒者、日本の土宜をしらず、古法にかゝはりて、三年の喪を行へる人、多くは病して死せり。喪にたへざるは、古人是を不孝とす。是によつて思ふに、薬を用るも亦同じ。国土の宜をはかり考へて、中夏の薬剤の半(なかば)を一服と定めば宜しかるべし。然らば、一服は、一匁より二匁に至りて、其内、人の強弱、病の軽重によりて多少あるべし。凡(およそ)時宜をしらず、法にかゝはるは、愚人のする事なり。俗流にしたがひて、道理を忘るゝは小人(しょうじん)のわざなり。

(22)右、薬一服の分量の大小、用水の多少を定むる事、予、医生にあらずして好事の誚(そしり)、僣率(せんそつ)の罪、のがれたしといへども、今時(こんじ)、本邦の人の禀賦(ひんぷ)をはかるに、おそらくは、かくの如(ごとく)にして宜しかるべし。願くば有識の人、博く古今を考へ、日本の人の生れ付(つき)に応じ、時宜にかなひて、過不及の差(たがい)なく、軽重大小を定め給ふべし。

(23)煎薬に加ふる四味あり。甘草(かんぞう)は、薬毒をけし、脾胃を補なふ。生姜(しょうきょう)は薬力をめぐらし、胃を開く。棗(なつめ)は元気を補ひ、胃をます。葱白(そうはく)は風寒を発散す。是入門にいへり。又、燈心草(とうしんそう)は、小便を通じ、腫気を消す。

(24)今世、医家に泡薬(ひたしやく)の法あり。薬剤を煎ぜずして、沸湯(ふっとう)にひたすなり。世俗に用る振薬(ふりやく)にはあらず。此法、振薬にまされり。其法、薬剤を細(こまか)にきざみ、細なる竹篩(たけふるい)にてふるひ、もれざるをば、又、細にきざみ粗末とすべし。布の薬袋をひろくして薬を入れ、まづ碗を熱湯にてあたゝめ、その湯はすて、やがて薬袋を碗に入(れ)、其上より沸湯を少(し)そゝぎ、薬袋を打返して、又、其上より沸湯を少(し)そゝぐ。両度に合せて半盞(はんさん)ほど熱湯をそゝぐべし。薬の液(しる)の自然(じねん)に出るに任せて、振出すべからず。早く蓋をして、しばし置べし。久しくふたをしおけば、薬汁(やくじゅう)出過(ぎ)てちからなし。薬汁出で、熱湯の少(し)さめて温(か)になりたるよきかんの時、飲(む)べし。かくの如くして二度泡(ひた)し、二度のみて後、其かすはすつべし。袋のかすをしぼるべからず。薬汁濁(にごり)てあしし。此法薬力つよし。利薬には、此煎法も宜し。外邪、食傷(しょくしょう)、腹痛、霍乱(かくらん)などの病には、煎湯よりも此法の功するどなり、用ゆべし。振薬(ふりやく)は用ゆべからず。此法、薬汁早く出(で)て薬力つよし。たとへば、茶を沸湯に浸して、其にえばなをのめば、其気つよく味もよし。久しく煎じ過せば、茶の味も気もあしくなるが如し。

(25)世俗には、振薬(ふりやく)とて、薬を袋に入て熱湯につけて、箸にてはさみ、しきりにふりうごかし、薬汁を出して服す。是は、自然に薬汁出(いず)るにあらず。しきりにふり出す故、薬湯にごり、薬力滞(とどこおり)やすし。補薬は、常の煎法の如く、煎じ熟すべし。泡薬に宜からず。凡(そ)煎薬を入る袋は、あらき布はあしゝ。薬末もりて薬汁にごれば、滞りやすし。もろこしの書にて、泡薬の事いまだ見ずといへども、今の時宜によりて、用るも可也。古法にあらずしても、時宜よくかなはゞ用ゆべし。

(26)頤生微論(いせいびろん)に曰、「大抵散利の剤は生に宜(し)。補養の剤は熱に宜(し)」。入門に曰、「補湯は熟を用須。利薬は生を嫌はず」。此法、薬を煎ずる要訣(けつ)なり。補湯は、久しく煎じて熟すれば、やはらかにして能(よく)補ふ。利薬は、生気のつよきを用て、はげしく病邪をうつべし。

(27)補湯は、煎湯熱き時、少づゝのめばつかえず。ゆるやかに験(げん)を得べし。一時に多く服すべからず。補湯を服する間、殊(に)酒食を過(すご)さず、一切の停滞する物くらふべからず。酒食滞塞(たいそく)し、或(あるいは)薬を服し過し、薬力めぐらざれば、気をふさぎ、服中滞り、食を妨げて病をます。しるしなくして害あり。故に補薬を用る事、その節制むづかし。良医は、用(い)やう能(よく)してなづまず。庸医は用やうあしくして滞る。古人は、補薬を用るその間に、邪をさる薬を兼(ね)用(もち)ゆ。邪気されば、補薬にちからあり。補に専一なれば、なづみて益なく、かへつて害あり。是古人の説なり。

(28)利薬は、大服にして、武火(つよび)にて早く煎じ、多くのみて、速に効(しるし)をとるべし。然らざれば、邪去がたし。局方に曰、補薬は水を多くして煎じ、熱服して効をとる。

(29)凡(そ)丸薬は、性尤(も)やはらかに、其功、にぶくしてするどならず。下部(げぶ)に達する薬、又、腸胃の積滞(しゃくたい)をやぶるによし。散薬は、細末せる粉薬也。丸薬よりするどなり。経絡にはめぐりがたし。上部の病、又、腸胃の間の病によし。煎湯は散薬より其功するどなり。上中下、腸胃、経絡にめぐる。泡(ひたし)薬は煎湯より猶(なお)するどなり。外邪、霍乱、食傷、腹痛に用(う)べし。其功早し。

(30)入門にいへるは、薬を服するに、病、上部にあるには、食後に少づゝ服す。一時に多くのむべからず。病、中部に在(る)には、食遠に服す。病、下部にあるには、空心にしきりに多く服して下に達すべし。病、四肢、血脈にあるには、食にうゑて日中に宜し。病、骨髄に在には食後夜に宜し。吐逆(とぎゃく)して薬を納(め)がたきには、只一すくひ、少づゝ、しづかにのむべし。急に多くのむべからず。是薬を飲法也。しらずんば有(る)べからず。

(31)又曰、薬を煎ずるに砂かん(しゃかん)を用ゆべし。やきものなべ也。又曰、人をゑらぶべし。云意(いうこころ)は、心謹信なる人に煎じさせてよしと也。粗率(そそつ)なる者に任すべからず。

(32)薬を服するに、五臓四肢に達するには湯(とう)を用ゆ。胃中にとゞめんとせば、散を用ゆ。下部の病には丸(がん)に宜し。急速の病ならば、湯を用ゆ。緩々なるには散を用ゆ。甚(だ)緩(ゆる)き症には、丸薬に宜し。食傷、腹痛などの急病には煎湯を用ゆ。散薬も可也。丸薬はにぶし。もし用ひば、こまかにかみくだきて用ゆべし。

(33)中華の書に、薬剤の量数をしるせるを見るに、八解散など、毎服二匁、水一盞(さん)、生薑(しょうきょう)三片、棗(なつめ)一枚煎じて七分にいたる。是は一日夜に二三服も用ゆべし。或は方によりて、毎服三匁、水一盞(さん)半、生薑(しょうきょう)五片、棗一枚、一盞に煎じて滓(かす)を去る。香蘇散(こうそさん)などは、日に三服といへり。まれには滓(かす)を一服として煎ずと云。多くは滓(かす)を去(さる)といへり。人参養胃湯(にんじんよういとう)などは、毎服四匁、水一盞半、薑(きょう)七片、烏梅(うばい)一箇、煎じて七分にいたり、滓を去。参蘇飲(じんそいん)は毎服四匁、水一盞、生薑七片、棗一箇、六分に煎ず。霍香生気散(かつこうしょうきさん)、敗毒散(はいどくさん)は、毎服二匁、水一盞、生薑(しょうが)三片、棗一枚、七分に煎ず。寒多きは熱服し、熱多きは温服(おんぷく)すといへり。是皆、薬剤一服の分量は多く、水を用る事すくなし。然れば、煎湯甚(だ)濃(く)なるべし。日本の煎法の、小服にして水多きに甚(だ)異(かわ)れり。局方に、小児には半餞を用ゆも児の大小をはかつて加減すといへり。又、小児の薬方、毎服一匁、水八分、煎じて六分にいたる、といへるもあり。医書大全、四君子湯方(ほう)後(のちに)曰、「右きざむこと麻豆の大(の)如(し)。毎服一匁、水三盞、生薑五片、煎じて一盞に至る。是一服を十匁に合せたる也」。水は甚(だ)少し。

(34)中夏の煎法(せんぽう)右の如し。朝鮮人に尋ねしにも、中夏の煎法と同じと云。

(35)宋の沈存中(しんぞんちゅう)が筆談と云書に曰、近世は湯を用ずして煮散を用ゆといへり。然れば、中夏には、此法を用るなるべし。煮散の事、筆談に其法詳(つまびらか)ならず。煮散は薬を麁末(そまつ)とし、細布の薬袋のひろきに入(れ)、熱湯の沸上(わきあが)る時、薬袋を入、しばらく煮て、薬汁出たる時、早く取り上げ用(い)るなるべし。麁末の散薬を煎ずる故、煮散と名づけしにや。薬汁早く出(で)、早く取上げ、にゑばなを服する故、薬力つよし。煎じ過せば、薬力よはく成てしるしなり。此法、利湯を煎じて、薬力つよかるべし。補薬には此法用いがたし。煮散の法、他書においてはいまだ見ず。

(36)甘草(かんぞう)をも、今の俗医、中夏の十分一用ゆるは、あまり小にして、他薬の助(たすけ)となりがたかるべし。せめて方書に用たる分量の五分一用べしと云人あり。此言、むべなるかな。人の禀賦(ひんぷ)をはかり、病症を考へて、加へ用ゆべし。日本の人は、中華の人より体気薄弱にして、純補(じゅんぽ)をうけがたし。甘草、棗など斟酌(しんしゃく)すべし。李中梓(りちゅうし)が曰、甘草性緩なり。多く用ゆべからず。一は、甘きは、よく脹(ちょう)をなすをおそる。一は、薬餌(やくじ)功なきをおそる。是甘草多ければ、一は気をふさぎて、つかえやすく、一は、薬力よはくなる故なり。

(37)生薑(しょうきょう)は薬一服に一片、若し風寒発散の剤、或(は)痰を去る薬には、二片を用ゆべし。皮を去べからず。かわきたるとほしたるは用るべからず。或曰、生薑(しょうきょう)補湯には二分、利湯には三分、嘔吐の症には四分加ふべしと云。是生(なま)なる分量なり。

(38)棗は、大なるをゑらび用ひてたねを去(り)、一服に半分入用ゆべし。つかえやすき症には去べし。利湯には、棗を用べからず。中華の書には、利湯にも、方によりて棗を用ゆ。日本の人には泥(なず)みやすし、加ふべからず。加ふれば、薬力ぬるくなる。中満、食滞の症及(び)薬のつかえやすき人には、棗を加ふべからず。龍眼肉も、つかえやすき症には去べし。

(39)中夏の書、居家必用(きょかひつよう)、居家必備(きょかひつび)、斉民要術(せいみんようじゅつ)、農政全書、月令広義(がつりょうこうぎ)等に、料理の法を多くのせたり。其のする所、日本の料理に大いにかはり、皆、肥濃膏腴(ひのうこうゆ)、油膩(ゆに)の具、甘美の饌(せん)なり。其食味甚(だ)おもし。中土の人は、腸胃厚く、禀賦(ひんぷ)つよき故に、かゝる重味を食しても滞塞せず。今世、長崎に来る中夏人も、亦此如と云。日本の人は壮盛(そうせい)にても、かたうの饌食をくらはば飽満し、滞塞して病おこるべし。日本の人の饌食は、淡くしてかろきをよしとす。肥濃甘美の味を多く用ず。庖人の術も、味かろきをよしとし、良工とす。これ、からやまと風気の大に異る処なり。然れば、補薬を小服にし、甘草を減じ、棗を少、用る事むべなり。

(40)凡(そ)薬を煎ずるに、水をゑらぶべし。清くして味よきを用ゆ。新に汲む水を用ゆべし。早天に汲む水を井華水と云。薬を煎ずべし。又、茶と羹(あつもの)をにるべし。新汲水は、平旦ならでも、新に汲んでいまだ器に入ざるを云。是亦用ゆべし。汲で器に入、久しくなるは用ゆべからず。

(41)今世の俗は、利湯をも、煎じたるかすに、水一盞入て半分に煎じ、別にせんじたると合せ服す。利湯は、かくの如く、かすまで熟し過しては、薬力よはくして、病をせむるにちからなし。一度煎じて、其かすはすつべし。

(42)生薑(しょうきょう)を片とするは、生薑根(こん)には肢(また)多し。其内一肢(また)をたてに長くわるに、大小にしたがひて、三片或(は)四片とすべし。たてにわるべし。或(は)問、生薑(しょうきょう)、医書に其おもさ幾分と云ずして、幾片と云は何ぞや。答曰、新にほり出せるは、生にしておもく、ほり出して日をいたるは、かはきてかろければ、其重さ幾分と定(さだめ)がたし。故に幾分と云ずして幾片と云。

(43)棗は、樹頭に在(り)てよく熟し、色の青きが白くなり、少(し)紅まじる時とるべし。青きはいまだ熟せず、皆、紅なるは熟し過て、肉たゞれてあしゝ。色少あかくなり、熟し過ざる時とり、日に久しくほし、よくかはきたる時、むしてほすべし。生にてむすべからず。なまびもあしゝ。薬舗(くすりや)及(び)市廛(てん)にうるは、未熟なるをほしてうる故に性あしゝ。用ゆべからず。或(は)樹上にて熟し過るもたゞれてあしゝ。用ゆべからず。棗樹は、わが宅に必(ず)植べし。熟してよき比(ころ)の時とるべし。

(44)凡(そ)薬を服して後、久しく飲食すべからず。又、薬力のいまだめぐらざる内に、酒食をいむ。又、薬をのんでねむり臥すべからず。ねむれば薬力めぐらず、滞(とどこお)りて害となる。必(ず)戒むべし。

(45)凡(そ)薬を服する時は、朝夕の食、常よりも殊につゝしみゑらぶべし。あぶら多き魚、鳥、獣、なます、さしみ、すし、肉(しし)ひしほ、なし物、なまぐさき物、ねばき物、かたき物、一切の生冷の物、生菜の熟せざる物、ふるくけがらはしき物、色あしく臭(か)あしく味変じたる物、生なる菓(このみ)、つくりたる菓子、あめ、砂糖、もち、だんご、気をふさぐ物、消化しがたき物、くらふべからず。又、薬をのむ日は、酒を多くのむべからず。のまざるは尤(もっとも)よし。酒力、薬にかてばしるしなし。醴(あまざけ)ものむべからず。日長き時も、昼の間、菓子点心(てんじん)などくらふべからず。薬力のめぐる間は、食をいむべし。点心をくらへば、気をふさぎて、昼の間、薬力めぐらず。又、死人、産婦など、けがれいむべき物を見れば、気をふさぐ故、薬力めぐりがたく、滞やすくして、薬のしるしなし。いましめてみるべからず。

(46)補薬を煎ずるには、かたき木、かたき炭などのつよき火を用ゆべからず。かれたる蘆(あし)の火、枯竹、桑柴(くわしば)の火、或(は)けし炭(ずみ)など、一切のやはらかなる火よし。はげしくもゆる火を用ゆれば、薬力を損ず。利薬を煎ずるには、かたき木、かたき炭などの、さかんなるつよき火を用ゆべし。是薬力をたすくるなり。

(47)薬一服の大小、軽重は、病症により、人の大小強弱によつて、増減すべし。補湯は、小剤にして少づゝ服し、おそく効(しるし)をとるべし。多く用ひ過せば、滞りふさがる。発散、瀉下(しゃげ)、疎通の利湯は、大剤にしてつよきに宜し、早く効(しるし)をとるべし。

(48)薬を煎ずるは、磁器よし、陶(やきもの)器也。又、砂罐(しゃかん)と云。銅をいまざる薬は、ふるき銅器もよし。新しきは銅(あかがね)気多くしてあしゝ。世俗に薬鍋(やくか)と云は、銅厚くして銅(あかがね)気多し。薬罐(やかん)と云は、銅うすくして銅(あかがね)気すくなし。形小なるがよし。

(49)利薬を久しく煎じつめては、消導(しょうどう)発散すべき生気の力なし。煎じつめずしてにん(:にえばな)を失はざる生気あるを服して、病をせむべし。たとへば、茶をせんじ、生魚を煮、豆腐を煮るが如し。生熟の間、よき程のにえばなを失はざれば、味よくしてつかえず。にんを失へば、味あしくして、つかえやすきが如し。

(50)毒にあたりて、薬を用るに、必(かならず)熱湯を用ゆべからず。熱湯を用ゆれば毒弥(いよいよ)甚し。冷水を用ゆべし。これ事林広記(じりんこうき)の説なり。しらずんばあるべからず。

(51)食物の毒、一切の毒にあたりたるに、黒豆、甘草(かんぞう)をこく煎じ、冷になりたる時、しきりにのむべし。温熱なるをのむべからず。はちく竹の葉を、加ふるもよし。もし毒をけす薬なくば、冷水を多く飲べし。多く吐瀉(としゃ)すればよし。是古人急に備ふる法なり。知(しる)べし。

(52)酒を煎湯に加ふるには、薬を煎じて後、あげんとする時加ふべし。早く加ふるあしゝ。

(53)腎は、水を主(つかさ)どる。五臓六腑の精をうけてをさむ故、五臓盛(さかん)なれば、腎水盛なり。腎の臓ひとつに、精あるに非ず。然れば、腎を補はんとて専(もっぱら)腎薬を用ゆべからず。腎は下部にあつて五臓六腑の根とす。腎気、虚すれば一身の根本衰ろふ。故に、養生の道は、腎気をよく保つべし。腎気亡びては生命を保ちがたし。精気をおしまずして、薬治と食治とを以(もって)、腎を補はんとするは末なり。しるしなかるべし。

(54)東垣が曰く、細末の薬は経絡にめぐらず。只、胃中臓腑の積(しゃく)を去る。下部の病には、大丸を用ゆ。中焦(ちゅうしょう)の病は之に次ぐ。上焦を治するには極めて小丸にす。うすき糊(のり)にて丸(がん)ずるは、化しやすきに取る。こき糊にて丸ずるは、おそく化して、中下焦に至る。

(55)丸薬、上焦の病には、細にしてやはらかに早く化しやすきがよし。中焦の薬は小丸(しょうがん)にして堅かるべし。下焦の薬は大丸にして堅きがよし。是、頤生微論(いせいびろん)の説也。又、湯は久き病に用ゆ。散は急なる病に用ゆ。丸(がん)はゆるやかなる病に用る事、東垣(とうえん)が珍珠嚢(ちんしゅのう)に見えたり。

(56)中夏の秤(はかり)も、日本の秤と同じ。薬を合(あわ)するには、かねて一服の分量を定め、各品の分釐(ぶんり)をきはめ、釐等(りんだめ)を用ひてかけ合すべし。薬により軽重甚(だ)かはれり、多少を以(て)分量を定めがたし。

(57)諸香(こう)の鼻を養ふ事、五味の口を養ふがごとし。諸香は、是をかげば生気をたすけ、邪気をはらひ、悪臭をけし、けがれをさり、神明に通ず。いとまありて、静室に坐して、香をたきて黙坐するは、雅趣をたすけて心を養ふべし。是亦、養生の一端なり。香に四品あり。たき香あり、掛香あり、食香あり、貼(つけ)香あり。たき香とは、あはせたきものゝ事也。からの書に百和香(ひやつかこう)と云。日本にも、古今和歌集の物の名に百和香をよめり。かけ香とは、かほり袋、にほひの玉などを云。貼香とは、花の露、兵部卿など云類の、身につくる香也。食香とは、食して香よき物、透頂香(とうちんこう)、香茶餅(こうさべい)、団茶(だんさ)など云物の事也。

(58)悪気をさるに、蒼朮(そうじゅつ)をたくべし。こすい(:ちぐさ)の実をたけば、邪気をはらふ。又、痘瘡のけがれをさる。蘿も(:こえんどろ)の葉をほしてたけば、糞小便の悪気をはらふ。手のけがれたるにも、蘿もの生葉をもんでぬるべし。腥(なまぐさ)き臭(におい)あしき物を、食したるに、こすいをくらへば悪臭さる。蘿ものわか葉を煮て食すれば、味よく性よし。

(59)大便、瀉(しゃ)しやすきは大いにあしし。少(し)秘するはよし。老人の秘結するは寿(ながいき)のしるし也。尤(も)よし。然(れ)共、甚秘結するはあしし。およそ人の脾胃につかえ、食滞り、或(は)腹痛し、不食し、気塞(ふさが)る病する人、世に多し。是多くは、大便通じがたくして、滞る故しかり。つかゆるは、大便つかゆる也。大便滞らざるやうに治(じ)すべし。麻仁(まにん)、杏仁(きょうにん)、胡麻などつねに食すれば、腸胃うるほひて便結せず。

(60)上中部の丸薬は早く消化するをよしとす。故に、小丸を用ゆ。早く消化する故也。今、新なる一法あり。用ゆべし。末薬をのりに和(か)してつねの如くに丸せず、線香の如く、長さ七八寸に、手にてもみて、引のべ、線香より少(し)大にして、日にほし、なまびの時、長さ一分余に、みじかく切て丸せず、其まゝ日にほすべし。是一づゝ丸したるより消化しやすし。上中部を治するに、此法宜し。下部に達する丸薬には、此法宜しからず。此法、一粒づゝ丸ずるより、はか行きて早く成る。

養生訓 巻第七終




中村学園教授:水上 茂樹先生の監修による、同学園デジタル版を
当ホームページに転載しております。この場をお借りして、転載
許可を快諾してくださった 水上教授に厚く御礼申し上げます。また
入力されたスタッフの皆様にも御礼申し上げます。






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