貝原益軒:養生訓(中村学園版)



巻第八

貝原篤信編

老を養ふ

(1)人の子となりては、其おやを養ふ道をしらずんばあるべからず。其心を楽しましめ、其心にそむかず、いからしめず、うれへしめず。其時の寒暑にしたがひ、其居室と其祢所(そのねどころ)をやすくし、其飲食を味よくして、まことを以て養ふべし。

(2)老人は、体気おとろへ、胃腸よはし。つねに小児を養ふごとく、心を用ゆべし。飲食のこのみ、きらひをたづね、其寒温の宜きをこゝろみ、居室をいさぎよくし、風雨をふせぎ、冬あたゝかに、夏涼しくし、風・寒・暑・湿の邪気をよく防ぎて、おかさしめず、つねに心を安楽ならしむべし。盗賊・水火の不意なる変災あらば、先(まず)両親を驚かしめず、早く介保(かいほう)し出(いだ)すべし。変にあひて、病おこらざるやうに、心づかひ有べし。老人は、驚けば病おこる。おそるべし。

(3)老の身は、余命久しからざる事を思ひ、心を用る事わかき時にかはるべし。心しづかに、事すくなくて、人に交はる事もまれならんこそ、あひ似あひてよろしかるべけれ。是も亦、老人の気を養ふ道なり。

(4)老後は、わかき時より月日の早き事、十ばいなれば、一日を十日とし、十日を百日とし、一月を一年とし、喜楽して、あだに、日をくらすべからず。つねに時日をおしむべし。心しづかに、従容(しょうよう)として余日を楽み、いかりなく、慾すくなくして、残躯をやしなふべし。老後一日も楽しまずして、空しく過ごすはおしむべし。老後の一日、千金にあたるべし。人の子たる者、是を心にかけて思はざるべんけや。

(5)今の世、老て子に養はるゝ人、わかき時より、かへつていかり多く、慾ふかくなりて、子をせめ、人をとがめて、晩節をもたず、心をみだす人多し。つゝしみて、いかりと慾とをこらえ、晩節をたもち、物ごとに堪忍ふかく、子の不孝をせめず、つねに楽しみて残年をおくるべし。是老後の境界(きょうがい)に相応じてよし。孔子、年老血気衰へては得るを戒しめ給ふ。聖人の言おそるべし。世俗、わかき時は頗(すこぶる)つゝしむ人あり。老後はかへつて、多慾にして、いかりうらみ多く、晩節をうしなうふ人多し。つゝしむべし。子としては是を思ひ、父母のいかりおこらざるやうに、かねて思ひはかり、おそれつゝしむべし。父母をいからしむるは、子の大不孝也。又子として、わが身の不孝なるを、おやにとがめられ、かへつておやの老耄(ろうもう)したる由を、人につぐ。是大不孝也。不孝にして父母をうらむるは、悪人のならひ也。

(6)老人の保養は、常に元気をおしみて、へらすべからず。気息を静にして、あらくすべからず。言語(げんぎょ)をゆるやかにして、早くせず。言(ことば)すくなくし、起居行歩をも、しづかにすべし。言語あらゝかに、口ばやく声高く、よう言(ようげん)すべからず。怒なく、うれひなく、過ぎ去たる人の過を、とがむべからず。我が過を、しきりに悔ゆべからず。人の無礼なる横逆を、いかりうらむべからず。是皆、老人養生の道なり。又、老人の徳行のつゝしみなり。

(7)老ては気すくなし。気をへらす事をいむべし。第一、いかるべからず。うれひ、かなしみ、なき、なげくべからず。喪葬の事にあづからしむべからず。死をとぶらふべからず。思ひを過すべからず。尤多言をいむ。口、はやく物云べからず。高く物いひ、高くわらひ、高くうたふべからず。道を遠く行くべからず。重き物をあぐべからず。是皆、気をへらさずして、気をおしむなり。

(8)老人は体気よはし。是を養ふは大事なり。子たる者、つゝしんで心を用ひ、おろそかにすべからず。第一、心にそむかず、心を楽しましむべし。是志を養ふ也。又、口腹の養におろそかなるべからず。酒食精(くわ)しく味よき物をすゝむべし。食の精(くわ)しからざる、あらき物、味あしき物、性あしき物をすゝむべからず。老人は、胃腸よはし、あらき物にやぶられやすし。

(9)衰老の人は、脾胃よはし。夏月は、尤慎んで保養すべし。暑熱によつて、生冷の物をくらへば泄瀉(せつしゃ)しやすし。瘧痢(ぎゃくり)もおそるべし。一たび病すれば、大(い)にやぶれて元気へる。残暑の時、殊におそるべし。又、寒月は、老人は陽気すくなくして寒邪にやぶられやすし。心を用てふせぐべし。

(10)老人はことに生冷、こはき物、あぶらけねばく、滞りやすき物、こがれてかはける物、ふるき物、くさき物をいむ。五味偏なる物、味よしとても、多く食ふべからず。夜食を、殊に心を用てつゝしむべし。

(11)年老ては、さびしきをきらふ。子たる者、時々侍べり、古今の事、しずかに物がたりして、親の心をなぐさむべし。もし朋友妻子には和順にして、久しく対談する事をよろこび、父母に対する事をむづかしく思ひて、たえだえにしてうとくするは、是其親を愛せずして他人を愛する也。悖徳(はいとく)と云べし。不孝の至也。おろかなるかな。

(12)天気和暖(かだん)の日は、園圃(えんぼ)に出、高き所に上り、心をひろく遊ばしめ、欝滞(うつたい)を開くべし。時時草木を愛し、遊賞せしめて、其意(こころ)を快くすべし。されども、老人みづからは、園囿(えんゆう)、花木に心を用ひ過して、心を労すべからず。

(13)老人は気よはし。万(よろず)の事、用心ふかくすべし。すでに其事にのぞみても、わが身をかへりみて、気力の及びがたき事は、なすべからず。

(14)とし下寿(かじゅ)をこゑ、七そぢにいたりては、一とせをこゆるも、いとかたき事になん。此ころにいたりては、一とせの間にも、気体のおとろへ、時々に変りゆく事、わかき時、数年を過るよりも、猶はなはだけぢめあらはなり。かくおとろへゆく老の身なれば、よくやしなはずんば、よはひを久しくたもちがたかるべし。又、此としごろにいたりては、一とせをふる事、わかき時、一二月を過るよりもはやし。おほからぬ余命をもちて、かく年月早くたちぬれば、此後のよはひ、いく程もなからん事を思ふべし。人の子たらん者、此時、心を用ひずして孝をつくさず、むなしく過なん事、おろかなるかな。

(15) 老ての後は、一日を以て十日として日々に楽しむべし。常に日をおしみて、一日もあだにくらすべからず。世のなかの人のありさま、わが心にかなはずとも、凡人なれば、さこそあらめ、と思ひて、わが子弟をはじめ、人の過悪を、なだめ、ゆるして、とがむべからず。いかり、うらむべからず。又、わが身不幸にして福うすく、人われに対して横逆なるも、うき世のならひ、かくこそあらめ、と思いひ、天命をやすんじて、うれふべからず。つねに楽しみて日を送るべし。人をうらみ、いかり、身をうれひなげきて、心をくるしめ、楽しまずして、むなしく過ぬるは、愚かなりと云べし。たとひ家まどしく、幸(さいわい)なくしても、うへて死ぬとも、死ぬる時までは、楽しみて過すべし。貧しきとて、人にむさぼりもとめ、不義にして命をおしむべからず。

(16) 年老ては、やうやく事をはぶきて、すくなくすべし。事をこのみて、おほくすべからず。このむ事しげゝれば、事多し。事多ければ、心気つかれて楽(たのしみ)をうしなふ。

(17) 朱子六十八歳、其子に与ふる書に、衰病の人、多くは飲食過度によりて、くはゝる。殊に肉多く食するは害あり。朝夕、肉は只一種、少食すべし。多くは食ふべからず。あつものに肉あらば、さいに肉なきがよし。晩食には、肉なきが尤(も)よし。肉の数、多く重ぬるは滞りて害あり。肉をすくなくするは、一には胃を寛くして、気を養ひ、一には用を節にして、財を養ふといへり。朱子の此言、養生にせつなり。わかき人も此如すべし。

(18) 老人は、大風雨、大寒暑、大陰霧の時に外に出(いず)べからず。かゝる時は、内に居て、外邪をさけて静養すべし。

(19) 老ては、脾胃の気衰へよはくなる。食すくなきに宜し。多食するは危し。老人の頓死するは、十に九は皆食傷なり。わかくして、脾胃つよき時にならひて、食過れば、消化しがたく、元気ふさがり、病おこりて死す。つゝしみて、食を過すべからず。ねばき飯(いい)、こはき飯、もち、だんご、( めん )類、糯(もち)の飯、獣の肉、凡(およそ)消化しがたき物を多くくらふべからず。

(20)衰老の人、あらき物、多くくらふべからず。精(くわ)しき物を少くらふべしと、元の許衡(きょこう)いへり。脾胃よはき故也。老人の食、此如なるべし。

(21)老人病あらば、先(まず)食治(しょくち)すべし。食治応ぜずして後、薬治を用ゆべし。是古人の説也。人参、黄ぎ(おうぎ)は上薬也。虚損の病ある時は用ゆべし。病なき時は、穀肉の養(やしない)の益ある事、参ぎの補に甚(はなはだ)まされり。故に、老人はつねに味美(よ)く、性よき食物を少づゝ用て補養すべし。病なきに、偏なる薬をもちゆべからず。かへつて害あり。

(22)朝夕の飯、常の如く食して、其上に又、こう餌(もちだんご)、めん類など、わかき時の如く、多くくらふべからず。やぶられやすし。只、朝夕二時の食、味よくして進むべし。昼間、夜中、不時の食、このむべからず。やぶられやすし。殊(ことに)薬をのむ時、不時に食すべからず。

(23)年老ては、わが心の楽(たのしみ)の外、万端、心にさしはさむべからず。時にしたがひ、自楽しむべし。自楽むは世俗の楽に非(あら)ず。只、心にもとよりある楽を楽しみ、胸中に一物一事のわづらひなく、天地四時、山川の好景、草木の欣栄(きんえい)、是又、楽しむべし。

(24)老後、官職なき人は、つねに、只わが心と身を養ふ工夫を専(もっぱら)にすべし。老境に無益のつとめのわざと、芸術に、心を労し、気力をついやすべからず。

(25)朝は、静室に安坐し、香をたきて、聖経(せいきょう)を少(し)読誦(どくじゅ)し、心をいさぎよくし、俗慮をやむべし。道かはき、風なくば、庭圃(ていほ)に出て、従容(しょうよう)として緩歩(かんぽ)し、草木を愛玩し、時景を感賞すべし。室に帰りても、閑人を以薬事をなすべし。よりより几案硯中(きあんけんちゅう)のほこりをはらひ、席上階下の塵を掃除すべし。しばしば兀坐して、睡臥すべからず。又、世俗に広く交るべからず。老人に宜しからず。

(26)つねに静養すべし。あらき所作をなくすべからず。老人は、少の労動により、少の、やぶれ、つかれ、うれひによりて、たちまち大病おこり、死にいたる事あり。つねに心を用ゆべし。

(27)老人は、つねに盤坐(ばんざ)して、凭几(しょうぎ)をうしろにおきて、よりかゝり坐すべし。平臥を好むべからず。。

幼を育ふ

(28)小児をそだつるは、三分の飢と寒とを存すべしと、古人いへり。いふ意(こころ)は、小児はすこし、うやし(飢)、少(し)ひやすべしとなり。小児にかぎらず、大人も亦かくの如くすべし。小児に、味よき食に、あかしめ(飽)、きぬ多くきせて、あたゝめ過すは、大にわざはひとなる。俗人と婦人は、理にくらくして、子を養ふ道をしらず、只、あくまでうまき物をくはせ、きぬあつくきせ、あたゝめ過すゆへ、必病多く、或(あるいは)命短し。貧家の子は、衣食ともしき故、無病にしていのち長し。

(29)小児は、脾胃もろくしてせばし。故に食にやぶられやすし。つねに病人をたもつごとくにすべし。小児は、陽さかんにして熱多し。つねに熱をおそれて、熱をもらすべし。あたため過せば筋骨よはし。天気よき時は、外に出して、風日にあたらしむべし。此如すれば、身堅固にして病なし。はだにきする服は、ふるき布を用ゆ。新しききぬ、新しきわたは、あたゝめ過してあしゝ。用ゆべからず。

(30)小児を保養する法は、香月牛山医士のあらはせる育草(やしないぐさ)に詳(つまびらか)に記せり。考みるべし。故に今こゝに略せり。

(31) 鍼をさす事はいかん。曰く、鍼をさすは、血気の滞をめぐらし、腹中の積(しゃく)をちらし、手足の頑痺(がんひ)をのぞく。外に気をもらし、内に気をめぐらし、上下左右に気を導く。積滞(しゃくたい)、腹痛などの急症に用て、消導(しょうどう)する事、薬と灸より速(か)なり。積滞なきにさせば、元気をへらす。故に正伝或問に、鍼に瀉(しゃ)あつて補なしといへり。然れども、鍼をさして滞を瀉し、気めぐりて塞らざれば、其あとは、食補も薬補もなしやすし。内経(ないけい)に、かく々(:かくかく)の熱を刺すことなかれ。渾々の脈を刺(す)事なかれ。鹿々(ろくろく)の汗を刺事なかれ。大労の人を刺事なかれ。大飢の人をさす事なかれ。大渇の人、新に飽る人、大驚の人を刺事なかれ、といへり。又曰、形気不足、病気不足の人を刺事なかれ、是、内経の戒(いましめ)なり。是皆、瀉有て、補無きを謂也。と正伝にいへり。又、浴(ゆあみ)して後、即時に鍼すべからず。酒に酔へる人に鍼すべからず。食に飽て即時に鍼さすべからず。針医も、病人も、右、内経の禁をしりて守るべし。鍼を用て、利ある事も、害する事も、薬と灸より速なり。よく其利害をえらぶべし。つよく刺て痛み甚しきはあしゝ。又、右にいへる禁戒を犯せば、気へり、気のぼり、気うごく、はやく病を去んとして、かへつて病くはゝる。是よくせんとして、あしくなる也。つゝしむべし。

(32) 衰老の人は、薬治、鍼灸、導引、按摩を行ふにも、にはかにいやさんとして、あらくすべからず。あらくするは、是即効を求むる也。たちまち禍となる事あり。若(もし)当時快しとても後の害となる。

灸法

(33) 人の身に灸をするは、いかなる故ぞや。曰く、人の身のいけるは、天地の元気をうけて本(もと)とす。元気は陽気なり。陽気はあたゝかにして火に属す。陽気は、よく万物を生ず。陰血も亦元気より生ず。元気不足し、欝滞してめぐらざれば、気へりて病生ず。血も亦へる。然る故、火気をかりて、陽をたすけ、元気を補へば、陽気発生してつよくなり、脾胃調ひ、食すゝみ、気血めぐり、飲食滞塞せずして、陰邪の気さる。是灸のちからにて、陽をたすけ、気血をさかんにして、病をいやすの理なるべし。

(34) 艾草(もぐさ)とは、もえくさの略語也。三月三日、五月五日にとる。然共(しかれども)、長きはあし故に、三月三日尤(もっとも)よし。うるはしきをゑらび、一葉づゝつみとりて、ひろき器(うつわもの)に入、一日、日にほして、後ひろくあさき器に入、ひろげ、かげぼしにすべし。数日の後、よくかはきたる時、又しばし日にほして早く取入れ、あたゝかなる内に、臼にてよくつきて、葉のくだけてくずとなれるを、ふるひにてふるひすて、白くなりたるを壷か箱に入、或袋に入おさめ置て用べし。又、かはきたる葉を袋に入置、用る時、臼にてつくもよし。くきともにあみて、のきにつり置べからず。性よはくなる。用ゆべからず。三年以上、久しきを、用ゆべし。用て灸する時、あぶり、かはかすべし。灸にちからありて、火もゑやすし。しめりたるは功なし。

(35) 昔より近江の胆吹山(いぶきやま)下野の標芽(しめじ)が原を艾草の名産とし、今も多く切てうる。古歌にも、此両処のもぐさをよめり。名所の産なりとも、取時過て、のび過たるは用ひがたし。他所の産も、地よくして葉うるはしくば、用ゆべし。

(36) 艾ちゅうの大小は、各其人の強弱によるべし。壮(さかん)なる人は、大なるがよし、壮数も、さかんなる人は、多きによろし。虚弱にやせたる人は、小にして、こらへやすくすべし。多少は所によるべし。熱痛をこらゑがたき人は、多くすべからず。大にしてこらへがたきは、気血をへらし、気をのぼせて、甚害あり。やせて虚怯(きょこう)なる人、灸のはじめ、熱痛をこらへがたきには、艾(ちゅう)の下に塩水を多く付、或(あるいは)塩のりをつけて五七壮灸し、其後、常の如くすべし。此如すれば、こらへやすし。猶もこらへがたきは、初(はじめ)五六壮は、艾を早く去べし。此如すれば、後の灸こらへやすし。気升(のぼ)る人は一時に多くすべからず。明堂灸経(めいどうきゅうけい)に、頭と四肢とに多く灸すべからずといへり、肌肉うすき故也。又、頭と面上と四肢に灸せば、小きなるに宜し。

(37) 灸に用る火は、水晶を天日にかゞやかし、艾を以下にうけて火を取べし。又、燧(ひうち)を以白石或水晶を打て、火を出すべし。火を取て後、香油を燈(ともしび)に点じて、艾(ちゅう)に、其燈の火をつくべし。或香油にて、紙燭をともして、灸(ちゅう)を先(まず)身につけ置て、しそくの火を付くべし。松、栢(かしわ)、枳(きこく)、橘(みかん)、楡(にれ)、棗(なつめ)、桑(くわ)、竹、此八木の火を忌べし。用ゆべからず。

(38) 坐して点せば、坐して灸す。臥して点せば、臥して灸す。上を先に灸し、下を後に灸す。少を先にし、多きを後にすべし。

(39)灸する時、風寒にあたるべからず。大風、大雨、大雪、陰霧、大暑、大寒、雷電、虹(げい)、にあはゞ、やめて灸すべからず。天気晴て後、灸すべし。急病はかゝはらず。灸せんとする時、もし大に飽、大に飢、酒に酔、大に怒り、憂ひ、悲み、すべて不祥の時、灸すべからず。房事は灸前三日、灸後七日いむべし。冬至の前五日、後十日、灸すべからず。

(40) 灸後、淡食にして血気和平に流行しやすからしむ。厚味を食(くい)過すべからず。大食すべからず。酒に大に酔べからず。熱(めん)、生冷、冷酒、風を動の物、肉の化しがたき物、くらふべからず。

(41) 灸法、古書には、其大さ、根下三分ならざれば、火気達せずといへり。今世も、元気つよく、肉厚くして、熱痛をよくこらふる人は、大にして壮数も多かるべし。もし元気虚弱、肌肉浅薄(きにくせんぱく)の人は、艾ちゅうを小にして、こらへよくすべし。壮数を半減ずべし。甚熱痛して、堪へがたきをこらゆれば、元気へり、気升(のぼ)り、血気錯乱す。其人の気力に応じ、宜に随(したが)ふべし。灸の数を、幾壮と云は、強壮の人を以て、定めていへる也。然れば、灸経にいへる壮数も、人の強弱により、病の軽重によりて、多少を斟酌すべし。古法にかゝはるべからず。虚弱の人は、灸ちゅう小にしてすくなかるべし。虚人は、一日に一穴、二日に一穴、灸するもよし。一時に多くすべからず。

(42) 灸して後、灸瘡(きゅうそう)発せざれば、其病癒がたし。自然にまかせ、そのまゝにては、人により灸瘡発せず。しかる時は、人事をもつくすべし。虚弱の人は灸瘡発しがたし。古人、灸瘡を発する法多し。赤皮の葱(ひともじ)を三五茎(きょう)青き所を去て、糠のあつき灰中(はいのなか)にてむし、わりて、灸のあとをしばしば熨(うつ)すべし。又、生麻油を、しきりにつけて発するもあり。又、灸のあとに、一、二壮、灸して発するあり。又、焼鳥、焼魚、熱物を食して発する事あり。今、試るに、熱湯を以しきりに、灸のあとをあたゝむるもよし。

(43) 阿是の穴は、身の中、いずれの処にても、灸穴にかゝはらず、おして見るに、つよく痛む所あり。是その灸すべき穴なり。是を阿是の穴と云。人の居る処の地によりて、深山幽谷の内、山嵐の瘴気、或は、海辺陰湿ふかき処ありて、地気にあてられ、病おこり、もしは死いたる。或疫病、温瘧(おんぎゃく)、流行する時、かねて此穴を、数壮灸して、寒湿をふせぎ、時気に感ずべからず。灸瘡にたえざる程に、時々少づゝ灸すれば、外邪おかさず、但禁灸の穴をばさくべし。一処に多く灸すべからず。

(44) 今の世に、天枢脾兪(てんすうひのゆ)など、一時に多く灸すれば、気升(のぼ)りて、痛忍(こら)へがたきとて、一日一二荘灸して、百壮にいたる人あり。又、三里を、毎日一壮づゝ百日づゝけ灸する人あり。是亦、時気をふせぎ、風を退け、上気を下し、衂(はなぢ)をとめ、眼を明にし、胃気をひらき、食をすゝむ。尤益ありと云。医書において、いまだ此法を見ず。されども、試みて其効(しるし)を得たる人多しと云。

(45) 方術の書に、禁灸の日多し。其日、その穴をいむと云道理分明ならず。内経に、鍼灸の事を多くいへども、禁鍼、禁灸の日をあらはさず。鍼灸聚英(しんきゅうじゅえい)に、人神、尻神(こうしん)の説、後世、術家の言なり。素問難経(そもんなんけい)にいはざる所、何ぞ信ずるに足らんや、といへり。又、曰く、諸の禁忌、たゞ四季の忌む所、素問に合ふに似たり。春は左の脇、夏は右の脇、秋は臍(ほそ)、冬は腰、是也。聚英に言所はかくの如し。まことに禁灸の日多き事、信じがたし。今の人、只、血忌日(ちいみび)と、男子は除の日、女子は破の日をいむ。是亦、いまだ信ずべからずといへ共、しばらく旧説と、時俗にしたがふのみ。凡(およそ)術者の言、逐一に信じがたし。

(46) 千金方に、小児初生に病なきに、かねて針灸すべからず。もし灸すれば癇をなす、といへり。癇は驚風(きょうふう)なり。小児もし病ありて、身柱(ちりけ)、天枢など灸せば、甚いためる時は除去(のぞきさり)て、又、灸すべし。若(もし)熱痛の甚きを、そのまゝにてこらへしむれば、五臓をうごかして驚癇(きょうかん)をうれふ。熱痛甚きを、こらへしむべからず。小児には、小麦の大さにして灸すべし。

(47) 項(うなじ)のあたり、上部に灸すべからず。気のぼる。老人気のぼりては、くせになりてやまず。

(48) 脾胃虚弱にして、食滞りやすく、泄瀉(せつしゃ)しやすき人は、是陽気不足なり。殊に灸治に宜し。火気を以土気を補へば、脾胃の陽気発生し、よくめぐりてさかんになり、食滞らず、食すゝみ、元気ます。毎年二八月に、天枢、水分、脾兪(ひのゆ)、腰眼(ようがん)、三里を灸すべし。京門(けいもん)、章門もかはるがはる灸すべし。脾の兪、胃の兪もかはるがはる灸すべし。天枢は尤しるしあり。脾胃虚し、食滞りやすき人は、毎年二八月、灸すべし。臍中より両旁(りょうぼう)各二寸、又、一寸五分もよし。かはるがはる灸すべし。灸(ちゅう)の多少と大小は、その気力に随ふべし。虚弱の人老衰の人は、灸(ちゅう)小にして、壮数もすくなかるべし。天枢などに灸するに、気虚弱の人は、一日に一穴、二日に一穴、四日に両穴、灸すべし。一時に多くして、熱痛を忍ぶべからず。日数をへて灸してもよし。

(49) 灸すべき所をゑらんで、要穴に灸すべし。みだりに処多く灸せば、気血をへらさん。

(50) 一切の頓死、或夜厭(おそはれ)死したるにも、足の大指の爪の甲の内、爪を去事、韮葉(にらの葉)ほど前に、五壮か七壮灸すべし。

(51) 衰老の人は、下部に気すくなく、根本よはくして、気昇りやすし。多く灸すれば、気上りて、下部弥(いよいよ)空虚になり、腰脚よはし。おそるべし。多く灸すべからず。殊に上部と脚に、多く灸すべからず。中部に灸すとも、小にして一日に只一穴、或二穴、一穴に十壮ばかり灸すべし。一たび気のぼりては、老人は下部のひかへよはくして、くせになり、気升る事やみがたし。老人にも、灸にいたまざる人あり。一概に定めがたし。但、かねて用心すべし。

(52) 病者、気よはくして、つねのひねりたる灸ちゅうを、こらへがたき人あり。切艾(きりもぐさ)を用ゆべし。紙をはゞ一寸八分ばかりに、たてにきりて、もぐさを、おもさ各三分に、秤にかけて長くのべ、右の紙にてまき、其はしを、のりにてつけ、日にほし、一ちゅうごとに長さ各三分に切て、一方はすぐに、一方はかたそぎにし、すぐなる方の下に、あつき紙を切てつけ、日にほして灸ちゅうとし、灸する時、塩のりを、その下に付て灸すれば、熱痛甚しからずして、こらへやすし。灸ちゅうの下にのりを付るに、艾の下にはつけず、まはりの紙の切口に付る。もぐさの下に、のりをつくれば、火下まで、もえず。此きりもぐさは、にはかに熱痛甚しからずして、ひねりもぐさより、こらへやすし。然れ共、ひねり艾より熱する事久しく、きゆる事おそし。そこに徹すべし。

(53) 癰疽(ようそ)及諸瘡腫物(しょうそうしゅもつ)の初発に、早く灸すれば、腫(はれ)あがらずして消散す。うむといへ共、毒かろくして、早く癒やすし。項(うなじ)より上に発したるには、直に灸すべからず。三里の気海(きかい)に灸すべし。凡(およそ)腫物(しゅもつ)出て後、七日を過ぎば、灸すべからず。此灸法、三因方以下諸方書に出たり。医に問て灸すべし。

(54) 事林(じりん)広記に、午後に灸すべしと云へり。

養生訓 巻第八終


後 記

右にしるせる所は、古人の言をやはらげ、古人の意をうけて、おしひろめし也。又、先輩にきける所多し。みづから試み、しるしある事は、憶説といへどもしるし侍りぬ、是養生の大意なり。其条目の詳なる事は、説つくしがたし。保養の道に志あらん人は、多く古人の書をよんでしるべし。大意通しても、条目の詳なる事をしらざれば、其道を尽しがたし。愚生、昔わかくして書をよみし時、群書の内、養生の術を説ける古語をあつめて、門客にさづけ、其門類をわかたしむ。名づけて頤生輯要と云。養生に志あらん人は、考がへ見給ふべし。ここにしるせしは、其要をとれる也。

八十四翁 貝原篤信書

正徳三巳癸年 正月吉日




中村学園教授:水上 茂樹先生の監修による、同学園デジタル版を
当ホームページに転載しております。この場をお借りして、転載
許可を快諾してくださった 水上教授に厚く御礼申し上げます。また
入力されたスタッフの皆様にも御礼申し上げます。






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