KUMAGUSU MINAKATA

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南 方 熊 楠

熊楠肖像  和歌山県が生んだ世界的な博物学者南方熊楠。

 その頭脳と行動力は、近代日本の黎明期である明治時代、そして、大正、昭和の初期の時代にあって、幅の広い国際的な業績の数かずを残し、柳田国男をして"日本人の可能性の極限"と評させた。

 南方熊楠は、海外で15年におよぶ独自の研究生活を送り、1900年(明治33)に帰国して、以後郷土和歌山県に住み、とくに1904年からは田辺に定住して、亡くなる1941年(昭和16)まで37年間の後半生をこの地で過ごした。その間、粘菌や民俗の研究に没頭し、自然保護などにも尽力し、偉大な学者とあがめられ、また、たいへんな奇人とみられていた反面、「南方先生」とか「南方さん」と呼ばれて、町の人々に親しまれた。

 田辺市では、南方熊楠邸の保存と偉業の顕彰のために、”南方熊楠邸保存顕彰会”を組織し、多くの方々の協力を得てその取り組みを進めてきました。
 このページでは、巨人南方熊楠翁を紹介します。

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●南方熊楠邸保存顕彰会発行・市民読本「南方熊楠」のミラーサイト

●南方熊楠ファンクラブ「熊楠ワークス」他 市民読本以外
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