没後50周年記念

南方熊楠タイトル

市民読本 南方熊楠

南方熊楠邸保存顕彰会編集
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目次


はじめに

 

幼少年期

 

在米時代

 

在英時代

 

帰国直後

 

熊野での生活

 

田辺定住

 

神社合祀
反対運動


上京前後

 

進講・進献

 

晩年

 

業績

 

南方熊楠
関係図書

 

熊楠入門
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南方熊楠略年譜

1867年(慶応3)
4月15日和歌山市橋丁南方弥兵衛の次男として生まれる。
1883年(明治16)
和歌山中学校(現桐蔭高校)卒業。
1884年(明治17)
東京大学予備門(現東大)に入学。
1886年(明治19)
大学予備門を中退、同年12月渡米。
1887年(明治20)
ミシガン州立農学校へ入学。
1888年(明治21)
10月同校退学、アナバー市に移る。この頃ミシガン州産諸菌
(151種)を集める。
1891年(明治24)
キューバに渡り、植物採集を続け、地衣新種 "グアレクタ・クバナ"
を発見。
1892年(明治25)
9月渡英、翌年天文学に関する論文を「ネイチャー」に寄せる。
1895年(明治28)
大英博物館の嘱託となり、東洋図書目録を編さん。
1897年(明治30)
孫逸仙(孫文)と交際を深める。
博物館蔵書の抜書を継続し、全53巻に達する。
1899年(明治32)
大英博物館をはなれる。この頃「ノーツ・アンド・キュウリーズ」
に寄稿をはじめる。
1900年(明治33)
ロンドンより帰朝、和歌山市内に居住。
1902年(明治35)
植物採集のため、那智・勝浦へ移る。
1904年(明治37)
田辺・中屋敷町多屋家の持家を借りる。
1906年(明治39)
闘鶏神社宮司田村宗造四女松枝と結婚。
1907年(明治40)
この頃より田辺抜書を継続、全60冊におよぶ。長男熊弥生まれる。
1909年(明治42)
神社合祀反対運動をはじめる。
1910年(明治43)
田辺・中屋敷町藤木八平の別宅へ転居。
1911年(明治44)
10月13日長女文枝生まれる。
1916年(大正5)
田辺・中屋敷町36番地に敷地約400坪の家を求め終生住む。
1917年(大正6)
自宅の柿の木で粘菌新属を発見。
1921年(大正10)
粘菌新属を”ミナカテルラ”と命名される。
1922年(大正11)
南方植物研究所設立資金募集のため上京。
1926年(大正15)
『南方随筆』刊行。イタリアのプレサドラ大僧正の菌図譜出版に
際し、名誉委員に推される。
1929年(昭和4)
6月1日紀南行幸に際し田辺湾神島にて進講。
1930年(昭和5)
6月1日神島に行幸を記念して自詠自筆の記念碑を建立する。
1935年(昭和10)
12月24日神島が国の史跡名勝天然記念物に指定される。
1941年(昭和16)
12月29日没。享年75歳。市内稲成町の真言宗高山寺に葬られる。

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