はじめに



和歌山県が生んだ世界的な博物学者南方熊楠は、海外で15年におよぶ独自の研究生活を送り、1900年(明治33)に帰国して、以後郷土和歌山県に住み、とくに1904年からは田辺に定住して、亡くなる1941年(昭和16)まで37年間の後半生をこの地で過ごした。その間、粘菌や民俗の研究に没頭し、自然保護などにも尽力し、偉大な学者とあがめられ、また、たいへんな奇人とみられていた反面、「南方先生」とか「南方さん」と呼ばれて、町の人々に親しまれた。
しかし、没後50余年になる今日、直接本人に接した人も少なくなり、その履歴や業績もさほど知られていない。そこで、広く多くの人々に理解してもらうため、南方熊楠の生涯を簡略に跡づけてみることにしたい。


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