養生訓飲食下
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洋彰庵版 養生訓巻第四 飲食下

洋彰庵 利吉



1倹約と養生の合致

蘇東坡はいう。「早晩(朝夕)の飲食、一爵一肉(一ぱいの酒と一きれの肉)に過ぎず。尊客あれば之を三にす。減らすべくして、増すべからず。我をよぶ者あれば、是を以てつぐ。一に曰く、分を案じて以て福を養なう。二に曰く、胃を寛(ゆる)くして以て気を養なう。三に曰く、費をはぶきて以て財を養なう」と。東坡のこの方法は、倹約と養生との両面のためになることで、実践すべきであろう。


2一品の副食で済ませる実例

朝夕の食事では副食を一品にするがよい。それに醤(味噌の類)か、肉塩(塩から)か、あるいは漬物かを一品つけ加えてもよい。吸物は富んだひとでもつねに一種類でよい。客の接待に二種を用いるのは、本汁がもし気にいらなかったならば二の汁をすすめるためなのである。いつもは無用である。 唐の高侍朗(唐代の官僚)という人は、その兄弟ともに吸物と肉とを二品にしないで、朝夕一品だけにした。夕食にはただ蔔匏(ほくほう=大根と夕顔)を食べたと伝えられる。范忠宣(范純仁、北宋の政治家)という金持で身分の高い人でも、日頃は肉を続けては食べなかった。これは倹約と養生という両面の模範とすべきであろう。


3味すぐれたものの煮かた

松茸、筍、豆腐などの味のすぐれたものは、ただ一種類を煮て食べるがよい。ほかのものといっしょに煮ると味がわるくなるという。これは李笠翁の『閑情寓奇』に書かれている。味がわるくなると胃腸に相応しないで養分とならない。


4餠とだんごの食べ方

餠、だんごなどは、できたてであっても、煮るかもしくは焼いて食べないと消化しにくい。蒸したものよりは煮たほうがやわらかでよく消化する。餠は数日たってから焼いたり煮たりして食べるのがよい。


5朝食と夕食の関係

朝食が脂っこいものであったら、夕食は必ず淡薄なものがよい。夕食が豊腴(味濃を多くとる)であったなら、次の朝食は軽くするのがよい。


6新鮮な食物(食材吟味)

いろいろの食物は陽の気のある新鮮なものを食べるがよい。毒がないからである。収穫から日数が経過し、陰の気が鬱滞したものは食べてはいけない。害になる。煮過して、煮たての香味を失ったものも同様である。


7食物の陰と陽と

どんな食物でも陰気が鬱滞するものには毒がある。食べてはいけない。『論語』の「郷党篇」に述べている聖人の召し上がらないものはすべて陽の気をなくして陰物となったものである。穀物や肉類なども蓋をして時がたつと陰の気が生じて味が変化する。魚や鳥の肉なども長くおいたものや塩づけにして時がたったものは、色、臭、味が変る。これはみな生気ある陽の気を失うからである。野菜なども同じで、長くおいたものは生気をなくして味が変る。このようなものはみな陰物である。胃腸に害がある。かりに害はなくとも補養にはならない。水なども汲みたてのものは陽気盛んで、生気がある。時間がたつにしたがって陰物となり、生気を失ってしまう。いっさい飲食物が生気を失い味と臭と色香とが少しでも変わったものは食べてないほうがよい。天日にほして色が変わったものや塩づけにして損じないものなどは、陰物ではないから食べても害にならない。しかし乾物の気のぬけたものや塩づけの古いもので、色、臭、味の変化したものはみな陰物であり、食べてはいけない。


8陰の食物

夏期、暑いときに長く蓋をしておき、そのために熱気にむれて気味がわるくなったものは食べてはいけない。冬期、霜にうたれた菜や軒の下にはえた菜などみな食べてはならぬ。これらはすべて陰であるからである。


9瓜を食べる時季節

瓜類は涼風のふく日とか、とくに秋の冷える日に食べてはいけない。夏の暑い盛りに食べるのがよい。


10火毒を除去して食す事

炙餠(火で焼いた餠)や炙肉は、一度あぶったあとに熱湯に少しひたして火毒をとり除いて食べるがよい。そうしないと唾液をかわかしてしまう。また能喉痺(よくこうひ=慢性扁桃腺炎)病むことになる。


11茄子の性

茄子は性がよくない、と本草などの書物に書いてある。生のものは毒があるので食してはいけない。煮たものでも瘧痢(下痢)、傷寒(とくに冬におこる熱の高い病気)などには特にによくない。そのほかの病気には皮をむいて切り、米のとぎ汁にひたして、一晩か半日たってやわらかく煮て食べれば害はない。葛粉は水でこねて線条に切って、水で煮て、さらに味噌汁に鰹魚の粉末を加えてふたたび煮て食べる。下痢を止めて胃を補う。保養に益となる。


12大根・人参・芋などの調理法

胃の虚弱なひとは、大根、人参、芋、山芋、牛蒡などを薄く切ってよく煮て食べるがよい。大きくしかも厚く切ったものや、十分に煮ていないものはみな脾胃をわるくする。一度うす味噌かうす醤油で煮て、その汁にひたして半日か一晩おいて、ふたたび前の汁で煮ると、大きく切ったものでも害がなく味もよい。鶏肉や猪の肉などもこのようにして煮るのがよい。


13大根の効用

らふ(=大根)は野菜の中でもっとも上等なものである。常に食べるのがよい。葉っぱの堅いところを取り去り軟葉と根とを味噌でよく煮て食べる。そうすると、脾を補い痰を取り去り、気の循環をよくする。大根の生の辛いものを食べると気がへるが、食滞のあるときは少し食べても害はない。


14菜の調理と食べる時期

菘(菜)は京都では、はたけ菜、水菜の類であって田舎ではそれを京菜という。いわゆる蕪(かぶ)の類である。世間では誤ってほりいり菜という。味はよいがその性はよくない。仲景(張仲景)はいう。「薬中に甘草ありて、菘を食えば、病除かず。根は九、十月の比食えば味淡くして可なり。うすく切てくらうべし。あつく切りたるは気をふさぐ。十一月以後、胃虚の人くらえば、滞塞す」と。


15果物の食べ方

いろいろな果物や干菓子などはあぶって食べれば害はない。味もよい。まくは瓜は種子をとって蒸して食べる。味もよく胃にも害にはならない。熟した柿も木練(木で甘くなる柿、いわゆる甘柿)も皮とともに熱湯で温めて食べるがよい。また乾柿もあぶって食べるのがよい。どれも脾胃の虚弱なひとにも害はない。梨子は大寒である。だから蒸して煮て食べれば性はやわらぐものの、胃が弱く冷えるひとは食べてはいけない。


16食べてよいものわるいもの

ひとの病状によって食べてよいものとわるいものとが違っている。だからよくそのものの性を考えて、その病状への良否を厳密に決めるがよい。また女性が懐妊しているあいだは、食べてはいけないものが多い。十分に守らせなければならない。


17豆腐の食べ方

豆腐には毒があって気をふさぐ。しかし、新しいものを煮て、その煮えたての味をたもっているときに早く取りあげて、生大根のおろしを加えて食べれば害はない。


18食事のとり方

前に食べたものが消化しないうちは、あとの食事をとってはいけない。


19薬服用中と味つけ

薬を服用するときは。あまいもの、脂っこいもの、獣肉、果物、餠、だんご、生もの、冷えたものなどすべて気をふさぐものは食べてはいけない。薬を飲むときに多食すると薬の力が滞って効果がない。酒はほんの一杯にとどめること。補薬を飲む日は特ににこれらのものを避けるがよい。とにかく薬を飲む日は、味の薄いものを食べて薬の効果をよくし、薬の力を損じないようにする。


20大根・山芋などの食べ方

大根、菘(菜)、山芋、芋、くわい、人参、南瓜、白ねぎなどの甘い菜は、大きく切って煮て食べるとつかえて気を塞ぎ、その上に腹痛を起こすことがある。薄く切って食べるがよい。あるいは辛いものを加えるか、ものによっては酢を少し加えるのもよい。再度煮ることがよいことは12項ですでに書いた。またこのようなものは、一時に二、三品を食べてはいけない。甘い菜類やそのほかつかえやすいものは続けて食してはいけない。生の魚、脂ぎった肉、味の濃いものなどもつづけて食べてはいけない。


21生姜と眼病

薑(はじかみ=生姜)を八、九月ごろに食べると、翌春になって眼病になるという。


22醤油で煮たあと、冷えたのは食べるな

豆腐、こんにゃく、山芋、芋、くわい、蓮根などを醤油で煮たものは、冷えて温かでなくなったら食べてはいけない。


23腹鳴りと朝食

夜明けのころ、腹がごろごろ鳴って、食物がつかえて腹中が不快であったならば朝食を減らすがよい。とくに気をふさぐものや、肉、果物などは食べないほうがよい。こんなときに酒はもちろん飲んではいけない。


24飲酒のあと

飲酒したあとで酒気が残っていたならば、餠、だんご、諸穀物など、干菓子、果物、甘ざけ、にごり酒、脂っこいもの、甘いもの、気をふさぐものなど食べてはいけない。酒気が循環し、醒めてから飲食することだ。


25鳥獣の肉と調理

鳥獣の堅い肉は、前日から醤油や味噌汁で煮て、その汁をもって翌日ふたたび煮ると、かりに大切りのものでも柔らかくなって味がよい。しかもつかえることがない。大根もまた同じである。


26鶻突羮(こつとつこう)の食用価値

鶻突羮とは鮒を薄切りにして、山椒など加え味噌で長く煮たものをいう。脾胃を補う。脾の虚弱なひとや下血(血便)する病人などによい。大切りにしたものは気をふさいでわるい。


27果実の食べごろ

いろいろな果実は、まだ熟していないものを食べてはいけない。果実の中には双葉の仁があるが、それには毒がある。山椒の口を閉じて開かないものにも毒がある。


28怒りと食事

怒ったあとですぐに食事をしてはいけない。また食事のあとで怒ってはいけない。また心配ごとをもって食事をしてはいけないし、食後に心配してもいけない。


29消化と食事

腹の中の食物がまだ消化しないうちにふたたび食べると、いくら性のよい食物でも毒になる。腹の中が空虚になってから食べるのがよい。何度も記載しておく。


30夜食の分量

長い冬の夜しかもひどく寒いときに、もし夜食をして寒さを防ごうと思ったならば、夕食の酒や飯をほどよく減らすのがよい。またやむを得ないでひとの招待を受けて、夜話に人の家にいき、ごちそうになるならば、晩飯の酒食をあらかじめ減じておくことである。こうして少なめに夜の飲食をするならば、さほど身体の害にはならない。夜食は朝夕の普通の食事よりも食欲が出やすい。食欲にまかせて腹いっぱい食べてはいけない。


31湯茶の多飲をさける

朝夕の食事に塩分を少なくすると、のどがかわかず湯茶を多く飲まなくてもよい。そうすれば脾に湿を生ずることなく、胃の気が発生しやすくなる。


32中国・朝鮮の人と日本人

中国や朝鮮のひとは、脾胃が強い。飯を多く食べ、六畜(馬、牛、羊、犬、豚、鳥)の肉を多く食べても害にはならない。日本人は彼らと違って、穀物や肉を多く食べると身体をわるくする。これは日本人が他国の人びとよりも体気が弱いからである。


33空腹と果物

空腹時に生の果物を食べてはいけない。また菓子なども多く食べてはいけない。脾胃の陽気を損ねるからである。


34労働と多食

労働しすぎて疲労しているときに多食すると、かならず横になって眠りたくなる。食べてすぐに眠ると、食気がふさがって身体全体に循環せず、消化しにくくなって病気になる。それゆえに労働してひどく疲れたときは、すぐに食べてはいけない。疲労がとれてから食べるのがよい。それは食べてすぐに眠らないためでもある。


35多飲、多食の患い

『古今医統』(明代の医者徐春甫の著書)には「百病の横夭(早死)は、多く飲食による。飲食の患いは、色欲に過ぎたり」と書いてある。色欲は絶つことができるが、飲食は半日でも絶てない。それゆえに飲食によって身体をわるくすることが多い。食が多いと腹にたまり、飲が多いと痰癖(痰が貯留)になりやすい。


36病人の望みをかなえる法

病人がひどく欲する食物がある。食べて害になるものや、冷水などは、どんなに欲しても与えてはならないが、病人が強く食べたがるものは、飲みこませないで、口の中で味わわせてその願望をみたしてやることも、養生の方法である。飲食を味わうのは舌である。喉ではない。口の中で噛み、しばらくそのままにして舌で味わってからは、飲みこんでも吐き出しても味を知るということでは同じであろう。穀物、肉、吸物、酒は腹に入って内臓を養う。このほかの食物は養いのためではないので、味わうだけで腹に入れなくてもよい。食べて身体に有害な食物でも、味わうだけならば害はない。 冷水も同じである。ほどよく口にふくんで、舌で味を知って吐き出せば害はない。水をふくむと口中の熱がとれ、牙歯を堅くする。しかし欲に負けやすく慎みのないひとにはこの方法はよくない。


37多食してはいけない食物

多く食べてはいけない食物は、次のようなものである。餠の類、だんご、ちまき、干菓子、ひやむぎ、麺類、まんじゅう、そばきり、砂糖、甘酒、焼酎、小豆、酢、醤油、鮒、どじょう、はまぐり、うなぎ、えび、たこ、いか、さば、ぶり、塩から、鯨、生大根、人参、山芋、菘根、かぶら、脂肪の多いもの、味の濃いもの。


38老人・虚弱者の食べてはいけないもの

老人や虚弱なひとが食べてはいけない食物。それは次のとうりである。いっさいの冷たい生もの、堅いもの、ねばっこいもの、脂肪の多いもの、ひやむぎ、冷たくて堅い餠、だんご、ちまき、冷えたまんじゅう、その皮、堅い飯、生の味噌、甘酒のつくりのよくないものと冷たい甘酒、鯨、いわし、しび(まぐろ)、かます、いろいろな果物などで、それらはすべて脾胃に生ずる気をそこなうものである。


39皆が食べてはいけないもの

誰でも食べてはいけないもの。それは生の冷たいもの、堅いもの、熟していないもの、ねばっこいもの、古くなって味の変化したもの、製法が疑問なるもの、塩からいもの、酢の多すぎたもの、煮たての味を失ったもの、臭いのわるいもの、色のわるいもの、味の変化したもの、魚肉の古いもの、肉の腐敗したもの、豆腐の古いもの、味のわるいものや煮たての味を失ったもの、冷たいもの、素麺に油のはいったもの、すべての半煮えのもの、灰汁の混じっている酒、酸味のある酒、時がこないで熟していないもの、すでに時期のすぎたものなどは食べてはいけない。 夏期に雉肉を食べてはいけない。魚や鳥の皮の堅いもの、脂肪の多いもの、ひどく生臭いもの、魚の目が両方ちがうもの、腹の下が赤いもの、自然死した鳥で足が伸びないもの、毒矢にあたって死んだ獣、毒を食べて死んだ鳥、肉の干したもの、雨だれ水にぬれたもの、米びつの中に入れておいた肉、肉汁を器物に入れて気をとじ込めたものなどすべて毒がある。肉、干した肉、塩づけの肉、夏をすぎて臭と味のわるい肉などみな食べてはいけない。


40食医の官

古代、中国に食医という官があった。食事療法によって百病を治すという。いまでも食事の養生がなくてよいはずはない。とくに老人は脾胃が弱いので、食養生がもっともよいことになる。薬の使用はやむえないときだけに限るがよい。


41同食の禁

いわゆる食い合わせてわるいものが多いので、ここに記して注意したい。 豚肉に、生姜・そば・胡すい・いり豆・梅・牛肉・鹿の肉・すっぽん・鶴・鶉などがわるい。
牛肉に、黍・にら・生姜・栗などかいけない。
兎肉に、生姜・橘の皮・芥子・鶏・鹿・かわうそなどがいけない。
鹿に、生の菜・鶏・雉・蝦などがいけない。
鶏肉と卵に、芥子・にんにく・生葱・糯米・すもも・魚汁・鯉・兎・かわうそ・すっぽん・雉などがいけない。
雉肉に、そば・きくらげ・胡桃・鮒・なまずなどがいけない。
野鴨に、胡桃・きくらげがいけない。
鴨の卵に、あんず・亀の肉がわるく、雀肉にはあんず・あじ味噌がわるい。
鮒に、芥子・にら・飴・鹿・せり・雛・雉などがいけない。
魚鮓に、麦のあじ味噌・にんにく・緑豆(マメ科の植物)などがわるく、
すっぽんの肉にはひゆ菜・芥菜・桃・鴨肉などがわるい。
蟹に、柿・橘・なつめがわるく、すももには蜜がわるい。
橙や橘にはかわうそ、なつめには葱、枇杷には熱い麺類、
楊梅には生葱、銀杏に鰻、瓜類に油餠、黍や米には蜜がいけない。
緑豆に榧の実を食べ合わせると死ぬ。
ひゆにわらび、乾筍に砂糖、紫蘇の茎葉と鯉、草石蚕(ちょうろぎ、野菜の一種)に魚類、
なますに瓜・冷水、菜瓜になますなどはいけない。
また酢につけた肉に髪が入っているのを知らずに食べると害になる。
麦のあじ味噌と蜂蜜とを同時に食べてはいけない。
越瓜(南越にとれた瓜。皮が白い)と酢づけの肉。
酒のあとに茶を飲んではいけない。腎をそこねるからである。酒後に、芥子や辛いものを食べると筋肉や骨をゆるくする。茶と榧とを一緒に食べれば身体がだるくなる。
和俗(日本の社会)では、わらびの粉を餠にして、緑豆をあんにして食べるとひとを殺すという。またこのしろ(たなごに似た魚)を木棉子の火で焼いて食べるとひとを殺すし、胡椒と沙菰米とを同時に食べるとひとを殺すともいう。
また胡椒と桃・すもも・楊梅とを同食してはならない。
またいう。松茸を米びつの中に入れておいたものを食べてはならない、と。
また南瓜をなますに合わせて食してはいけないともいう。


42薬と食物

黄ぎ(マメ科の植物、強壮剤)を服用したひとは酒を多く飲んではいけない。甘草(同じくマメ科の植物、鎮咳、解毒剤)を飲んだひとは菘菜を食べてはいけない。地黄(薬草)を服用するには、大根とにんにくと葱の三つの白いものをさけること。菘は食べてもよい。荊芥(シンケイ科の植物、発汗剤)を飲むときには生の魚をさける。土茯苓(ユリ科の植物、利尿剤)を飲むには茶がわるい。おおかたこれらのことはかたく禁じなければならない。薬と食物とは、ともに恐れ忌むのは自然の理である。番木鼈(マチン科の植物、東インド原産で猛毒をふくむ)の種子で鳥を殺し、磁石が針を吸いつけるのも、みな天然自然の性である。この理を疑ってはならない。


43肥料と食物

すべての食物のうちで、畠に栽培された菜がもっとも汚れている。その根や葉に長くしみこんだ人糞の肥料はすぐにはとれないからだ。食べるためには、まず水桶をきめておき、それにたっぷり水をいれて菜をひたし、その上からおもりをおいて、一夜もしくは一日ののちにとり出し、刷毛でその根、葉、茎を十分にこすって洗い、きれいにして食べるがよい。これは、近年、李笠翁の『閑情寓奇』に書いてあることを知った。中国では神を祭るのに畠でとれた菜を用いないで、山や川辺にできた自然の菜を用いている。畠の菜でも瓜、茄子、ゆうがお、冬瓜などは汚れてはいない。


飲 酒

44酒は天の美禄

酒は天から与えられた美禄である。ほどよく飲めば陽気を助け、血気をやわらげて食物の消化をよくし、心配ごとをとり去り、興を生じてたいそう利益になる。ところが、多く飲むとひとを害する。酒ほどひとを害するものはないのである。たとえば水や火は人間をよく助けるが、同時に災をもたらすようなものである。邵堯夫(邵雍、北宋の学者)の詩に、「美酒飲んで微酔せしめて後」と書いてあるが、これは酒を飲むの妙をいいえていると時珍がいう。少し飲み、ほどよく酔うことは、酒の禍もなく、酒の味と趣を得て楽しみが多い。ひとの病いは酒害によって生ずるものが多い。酒を多く飲んで飯を少なくするひとは短命である。このように多く飲むと天からの美禄もかえって身をほろぼす。悲しいことである。


45多飲の戒め

酒は各人にそれぞれの適量がある。ほどよく飲めば益が多く、多飲すれば損失が多い。生来謹厳なひとも多く飲めば、欲深くなってみぐるしく、平常心を失い乱れてしまう。言行ともども狂ったようで日頃とは似ても似つかぬものとなる。身をかえりみて反省して慎まなければならない。 青年時代から反省して自分を戒め、父兄も早く子弟を戒めることが必要である。長いあいだには性になってしまう。癖になってしまえば生涯改まらないものだ。生来あまり飲まないひとは、一、二杯で酔い気持よく楽しい。多く飲むひととこの楽しみは同じはずである。酒を多く飲めば害が多い。 白楽天の詩に、「一飲一石なる者は、いたずらに多を以って貴しとなす。其の酩酊の時に及んで、我とまた異なることなし。笑って謝す多飲の者。酒銭(酒代)いたずらにみずから費やす」というのはもっともなことである。


46食後の酒

だいたい酒は、朝夕の食後に飲むならば害はない。昼と夜とのあいだの空腹時に飲んではいけない。みな害になる。朝の空腹時に飲むのは、ことに脾胃をわるくする。


47酒の温度

およそ酒は、夏冬ともに冷酒でも熱すぎてもよくない。ほどよく温かい酒を飲むのが よい。熱い酒を飲むと気がのぼり、冷たい酒は痰を集めて胃をそこなう。丹渓は「酒は、冷飲に宣し」という。しかし、多く飲むひとが冷飲するとかならず脾胃を痛める。少し飲むひとでも冷たい酒を飲むと、食気をとどこおらせて消化をわるくする。 とにかく酒を飲むのは、その温気をもって陽気をたすけ、食物の消化を促進するためである。冷飲はこの二つの働きがないので利益にならない。温かい酒は陽をたすけて気の循環をよくするのに最適である。


48温めなおした酒

酒を温めすぎてその美味を失ったもの、あるいは温めたものが冷えたもの、温めなおしたものなどはみな脾胃をそこなう。飲んではいけない。


49酒のすすめ方

酒をひとにすすめるに、酒豪でも度をこすと苦しませてしまうので、もしそのひとの酒量を知らなかったならば、少しすすめて飲ませてみるがよい。そのひとが辞退して飲まなければ、そのひとに任せて無理じいしないがよい。量が不足で機嫌がわるくなったとしても身体に害はない。飲みすぎてはかならず害になる。客に馳走をするときも、むやみに酒をすすめて苦しませるのは思いやりがない。深酔いさせるのは禁物である。客は主人がすすめなくても、日頃よりは多く飲んで酔うものだ。主人は酒をむやみにすすめず、また客はいたずらに遠慮しないで、ほどよく酔って喜びを合わせてともに楽しむことが最もよいことである。


50濁酒と醴酒と

市販している酒で灰汁を入れたものがあるが、それには毒がある。また酸味があるものも飲んではいけない。長いあいだ保存した酒で味の変化したものも毒がある。飲んではならぬ。濁酒の濃いものは脾胃にとどこおって気をふさぐので、飲んではいけない。混じり気なく芳醇な酒を、朝夕の食後に少しのんで微酔するのがよい。醴酒は清潔に造ったものならば、少し熱くして飲めば胃を温める。製法のわるいものを冷たいまま飲んではいけない。


51酒と命

『五湖漫聞』という書物に、多くの長寿者の姓名と年齢をのせて、「その人の老に至りて衰えず。これを問うにみな酒を飲まず」と書いてある。いま自分の土地の人びとを観察してみると、とくに長命のひとは十人中九人まではたしかに酒を飲まないひとである。多飲するひとが長生きなのは珍しい。 酒はほろ酔い程度に飲めば長生きの薬になるであろう。


52酒と甘味

酒を飲むときに甘いものを食べてはいけない。また飲酒のあとに辛いものもいけない。ひとの筋骨をゆるめるからである。酒を飲んだあとにさらに焼酎を飲んではいけない。あるいは両酒合わせて飲むと、同じく筋骨ををゆるめるし、煩悶することになる。


53焼酎の飲み方

焼酎には大毒があるので多く飲んではいけない。火をつけると燃えやすいのをみても、ひどく熱をもっていることが理解できるであろう。夏期は伏陰(陰気)が身体の中にあり、服装も薄物であるし、酒毒が早く肌にもれてしまうゆえに、少量ならば飲んでも害はない。夏以外は飲んではいけない。焼酎を原料として造った薬酒は多く飲んではいけない。毒に当てられる。薩摩(鹿児島県西部)のあわもり、肥前(佐賀県)の火の酒などは、焼酎よりも辛く、きつく、熱い。外国からきた酒は飲んではならぬ。酒性がわからず怪しいからである。焼酎を飲んでいるときも、飲んだあとでも熱いものを食べてはいけない。辛いものや焼味噌などもよくない。また熱湯も飲んではいけない。大寒のときでも焼酎を温めて飲んではいけない。大いに害がある。京都の南蛮酒も焼酎を原料として造ったものであるから、焼酎の禁めと同じである。焼酎の毒に当たったならば、緑豆の粉、砂糖、葛粉、塩、紫雪などすべて冷水で飲むがよい。温かい湯で飲んではいけない。


飲茶ならびに煙草

54茶の効用

茶は上古にはなかった。中世になって中国から渡ってきた。そののち、人びとが賞味して日用欠くことのできない大切なものとなった。茶はもともと性が冷であって気を下し、眠気をさますのである。 陳蔵器(唐代の医者『本草拾遺』十巻がある)は、長く飲むとやせてあぶらをもらすといった。また母けい、蘇東坡、李時珍らも、茶の性がよくないといっている。しかし今日では、人びとは朝から晩まで茶を多く飲んでいる。飲むことが習慣になると、身体を痛めないのだろうか。だが茶はもともと冷物であるから、一度に多くを飲んではいけない。抹茶は用いるときに炒ったり煮たりしないので強い。煎茶は使用するときに炒ったり煮たりするゆえにやわらかである。だから、日頃は煎茶を飲むがよい。食事のあとに熱い茶を少し飲んで食物を消化させ、渇きをいやすのがよい。塩を入れて飲んではいけない。腎をわるくする。空腹のときに茶を飲んではいけない。脾胃をそこねる。濃い茶を多く飲んではいけない。新しく生じた気をそこなうからである。 中国の茶は性が強い。製造のときに煮ないからである。虚弱なひとや病人は、今年の新茶を飲んではいけない。眼病、上気、下血、嘔吐、下痢などの病いを起こしやすい。新茶は正月ごろから飲むのがよい。ひとによってはその年の九、十月ころから飲んでも害はない。新茶の毒に当ったならば、香蘇散、不換金、正気散などを症状に応じて使用するのがよい。あるいは白梅(梅ぼし)、甘草、砂糖、黒豆、生姜などを用いるのもよい。


55茶の冷と酒の温

茶の性は冷である。酒の性は温である。だから酒は気をのぼらせるが茶は気をさげる。酒に酔えば眠り、茶を飲めば眠気がとれる。その性が正反対であるからである。


56湯茶は多く飲むな

吸物も湯茶も、ともに多く飲んではいけない。多く飲むと脾胃に湿ができる。脾胃は湿を嫌う。湯茶や吸物などを少なく飲めば、脾胃の陽気が盛んに発生して顔色がよくなり麗しくなる。


57茶と水と

薬と茶とを煎ずるには水を選ばなければならない。清らかで味の甘いのがよい。雨水を使っても味がよい。雨の中に清潔な器を庭においてとる。地下から汲んだ水よりもよい。が、長くたもつことができない。雪水はもっともよいのである。


58茶の煎じ方

茶を煎じる方法は、弱い火で炒って強い火で煎じる。煎じるときは、堅い炭で燃えているものを盛んにおこして煎じる。沸騰したときに冷水をさす。このようにすると茶の味がよい。強い火で炒ってはいけない。弱く、やわらかな火で煎じてはいけない。以上はみな中国の『茶経』に書いてある。 湯がわくときによく苡(じゅつだま)の生葉を加えて煎じると香もよく味もよい。性もよくなる。『本草綱目』に「暑月煎じてのめば、胃を暖め、気血をます」と記してある。


59奈良茶粥

大和の国では、みな奈良茶粥を毎日食べている。飯に煎茶を注いだものである。小豆、ささげ、そら豆、緑豆、陣皮(みかんの皮)、栗子、零余子などをくわえて用いる。食欲を増進させ、胸のとおりをよくする。


60煙草の害

たばこは天正・慶長年間の近年になって、他国から渡ってきた。淡婆姑は日本語ではなく、外国語である。近世の支那の書に多く書いてある。また烟草ともいう。朝鮮では南草という。日本ではこれを莨とうとするのは誤りである。煙草と莨とうとは別のものである。煙草の性は毒である。煙を飲んで目がまわり倒れることがある。習慣になるとそれほどの害はなく、少しは益もあるといわれるが、損失が多い。病気になることもある。また火災の心配もある。習慣になると癖づき、むさぼって、ついにやめられなくなる。こうなると、家僕を労す。最初から近づかないのがもっともよい。貧しい者はそのために出費が多くなるので、いっそう貧しくなる。


慎色欲

61色欲の自制

『素問』に「腎者五臓の本」と書いてある。養生の道は腎を養うことを重んじなければならない。腎を養うことは薬をたよりにしてはいけない。ただ精気をたもって、減らさず、腎気を整えて動かさないようにするのがよい。
『論語』にいう。「若いときは血気方に荘なり。これを戒むること色にあり」、と。聖人の戒は守ることだ。血気が盛んであるのを頼んで、色欲を慎まないと、かならず礼法にそむいて法外を行ない、恥をかいて面目を失うことがある。あとで後悔してもしょうがない。まえもって後悔しないように礼法をかたく守るのがよい。
精気を浪費し、元気をへらすのは寿命を短くするもとである。恐ろしいことである。若いときから男女の欲が深くして、精気を多く減らしたひとは、生まれながらに身体は強いだろうけれども、下部の元気が少なくなり、五臓の根本(腎)が弱くなってきっと短命になるであろう。大いに慎まなければならない。
飲食の欲と男女のそれとはひとの大欲である。だからついつい自制できなくなりやすいので、この二事には特に注意しなければならない。これを慎まなければ脾腎の真気がへっていくから、いかに補薬しても補食してもその効果はない。老人はとくに脾腎の真気を養いたもたなければならない。薬の助けに頼ってはいけない。


62交接の回数と年齢

男女の交接の周期は孫思ばくの『千金方』に述べてある。それは、「人、年二十の者は四日に一たび泄らす。三十の者は八日に一たび泄らす。四十の者は十六日に一たび泄らす。五十の者は二十日に一たび泄らす。六十の者は精をとじて泄らさず。もし体力さかんならば、一月に一たび泄らす。気力すぐれて盛んなる人、欲念をおさえ、こらえて、久しく泄らさざれば、腫物を生ず。六十を過ぎて欲念おこらずは、とじて泄らすべからず。若く盛んなる人も、もしよく忍んで、一月に二度もらして、欲念おこらずは、長生なるべし」というものである。
いまこの事について考えるに、『千金方』に述べていることは一般に通用する法である。だから、もし性虚弱なひとや食欲の少ない力の弱いひとは、一般の限度に関わりなく、精気を惜しんで交接をできるだけ慎むがよい。色欲に心を奪われると、わるいことに癖づいてやめられないものだ。法を無視する態度を恥じなければならない。ついには身を失う結果をまねく。慎まなければならない。 『千金方』に二十歳以前の若者にふれていないのは意味のあることである。それは二十歳以前は血気が発生して、まだ身体ができ上がっていないので、こうした未完の発育時にしばしば泄らすと、成長の気をそこねて生命のもと(一生の根本)が弱くなるからである。


63情欲は若いときに慎む

若くして盛んなひとは、とくに男女の欲を慎んで過失の少ないように心がけなければならない。欲望を起こさず、腎気を動かしてはいけない。房事を気持ちよくするために、烏頭附子などの熱薬興奮剤を飲んではいけない。


64二十歳前後

『達成録』に「男子、年いまだ二十ならざる者、精気いまだ足らずして、欲火うごきやすし」、という。たしかに交接は慎まなければならない。


65房中補益の説

孫真人の『千金方』に、房中に役立つ方法が述べてある。「年四十に至らば、房中の術を行うべし」といって、詳しくその方法を説いている。その大意は、四十歳以後はしだいに血気が衰えるので、精気を泄らさないで交接する。このようにすると元気は減ることなく、かえって血気がよく循環して身体に補益するというのである。孫思ばくの説く意を推察してみると、四十歳以上のひとはまだ血気が衰えてはおらず、情欲の我慢はむずかしい。といって、精気をしばしば泄らすと大いに元気を消耗するから、交接のみで精気を泄らしてはいけない。四十歳以後は腎気がようやく衰えるので泄らさなくても、壮年のように精気が動かないで滞ることはない。この方法は行いやすい。この方法を実行すると、泄らさないで情欲を満足させることができる。そうであるから、この方法は気を循環させ、しかも精気をたもつ良法ということができよう。時にしたがってこの方法を実行すれば、情欲も満たされてしかも精気をたもつということになるのではなかろうか。
これは古人の教えで、情欲を無理に制しないで精気をたもつ良法というべきであろう。ひとの身体は脾胃の養生が本というけれども、腎気が堅固で盛んであれば、丹田(下腹部)の火熱があがり、脾土の気も温かくなって盛んになる。それゆえに古人は「脾を補うは腎を補うにしかず」という。若いときから精気を惜しみ、四十歳をすぎてからはできるだけ精気を泄らさないでたもつことは、生命の根源を養う道である。この方法は孫思ばくが後世に教えた秘訣であって、明白に『千金方』に書いてあるが、後世の人びとは、その術が保養に益があって無害であることを知らない。
丹渓のような大医でさえも、偏見をもって孫真人がこの説を立てた本意を解しないで信じない。彼はこの良術を非難して、その著書『格到余論』の中で、「聖腎の心、神仙の骨なくんば、いまだ為し易からず。もし房中を以て補とせば、ひとを殺す事多からん」といっている。聖腎や神仙(神通力を得た仙人)は世間にほとんどいないのであるから、丹渓の説にしたがえば、この方法は行われないことになる。丹渓の説は、疑うことがはなはだ多い。彼の学識は高く博いが、識見は公平でなく偏しているといえよう。


66腎の働きと情欲

情欲を起こさないで腎気を動かさなければ害はない。もし情欲をおこして、腎気が動いてきたのに精気を我慢して泄らさないでいると、下腹部に気がとどこおって瘡せつ(はれもの)ができる。早く入浴して下腹部を温めると、滞っていた気が循環して、腫物などの心配もない。この方法を心得ていると役にたつであろう。


67房室での禁止事項

房室で禁止すべきことは多い。とくに天変地異の災を畏れて戒めること。日蝕、月蝕、雷電、大風、大雨、大暑、大寒、虹げい(虹)、地震などのときは房事をしない。最初の春雷のときも夫婦の営を禁止する。また土地についていえば、すべての神前はもちろんのこと、太陽、月、星の下、神祠(社)の前、自分の父祖の祭られている前、聖賢の像の前などはみな畏れなければならない。
さらに自分の身体の状態についても禁じなければならない場合がある。病中、病後、元気がまだもとに復しないとき、とくに傷寒、時疫(はやり病)、瘧疾(一定時間に発熱するマラリヤ)ののち、腫物、よう疽(性のわるいできもの)などのまだ癒っていないとき、心配ごとで衰弱したとき、疲労したとき、飢えたりのどの渇いたとき、ひどく酔ったとき、大食したとき、身体を動かし、遠路を歩きすぎて疲れたとき、怒り、悲しみ、憂い、驚いたときなどはみな交接をしてはいけない。冬至の前五日間、冬至ののち十日間は静養して精気を泄らしてはならない。また女子の生理が終わらないときもいけない。これは天神、地祗に対して畏れ慎むというばかりでなく、自分の身体の病気をわるくしないためでもある。もし、こうした慎みを失うと、神のとがめのあることを知らなければならない。
男女ともに病気になり短命に終わる。生まれてくる子もまた、醜く、心の正しくなく、時には奇形になることもある。禍があって福がない。 古人は胎教といって、女性が懐妊したときから慎む方法を考えている。だが房室の禁戒は胎教の前にあるのだ。これは天地神明の御覧になることで、もっとも畏れなければならないことであろう。自分の身体のみでなく、妻子にまで禍が及ぶので畏れなければならない。胎教の前にこの戒めがなければならないのである。


68房事と尿意

小便を我慢して房事を行ってはいけない。竜脳、麝香などの薬を服用して房室に入ってはいけない。


69懐妊と夫婦関係

『医学入門』(明代の医者李挺の著。全八巻)に、「婦人懐胎の後、交合して欲火を動かすべからず」と説いてある。


70腎は五臓の本・脾は滋養の源

腎は五臓のもと、脾は滋養の源である。それゆえに、人間の身体は脾腎を中心とする。草木に根本あるが如し。保養して堅固にしなければならない。根本が丈夫であれば身体は健康である。


   



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