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洋彰庵版 養生訓第8巻(養老・育幼・鍼・灸法)

洋彰庵 利吉


養老



1老いた親を養うの途

ひとの子として生まれたからには、自分の親を養う道を知らなければならない。親の心を楽しませ、親の心にそむかず、怒らせることなく、心配をかけない。そのときの寒暑に応じて、その居室と寝室とを快適にし、飲食の味をよくして、真心をもって養わなければならない。


2子供のように老人を養う

老人は体気が衰えて胃腸が弱くなっている。日頃から子供を養うように心を配ってあげること。飲食の好み、嫌いをたずね、適当な温度を保ち、居室を清潔にし、風雨を防ぎ、冬は暖かく夏は涼しくして、風・寒・暑・湿の邪気をよく防いで、(疾患に)犯されないようにし、常に心を安楽にあるよう心がけてあげること。盗賊・水害・火災などの不意の災難があったときは、まず両親を驚かさないように助け出し、介抱すること。異変にあっては病にに配慮しなければならない。老人は驚くと病気になりやすいので注意しなければならない。


3老いては心静かに

老いの身は余命も短いと思い込みやすいので、心配ごとが若いときとは違ってくる。心を静かに、雑事を少なくし、人との交際も少なくすることが、老人に適している。これもまた老人の気を養う道である。


4心を楽しく

老後は若いときの十倍に相当する早さで日月が過ぎていく、一日を十日とし、十日を百日とし、一月を一年として喜楽し、無駄な日を暮らすようなことがあってはいけない。つねに時間を惜しまなければならない。心静かにして従容として残った生涯を楽しみ、怒ることなく、欲を少なくし、残躯を養うべきである。老後は一日でも、楽しまないで空しくすごすことは惜しまなければならぬ。 老後の一日は千金に値する。


5晩年の節度をたもつ

今の世は老いて子に養われているひとが、若いときより怒りやすく、欲深くて、子を責め、他人をとがめて、晩年の節度をたもたないで、心をみだすひとが多い。自ら慎んで怒りと欲とを我慢し、晩年の節度をたもち、物事に寛大で、子供の親不孝を責めないで、いつも楽しんで残った年月を送るがよい。これは老後の境遇に応じた生き方であろう。孔子は、年老血気衰へては、得るを戒め給う。聖人の言葉は畏れて厳守することである。世間では、若いときは慎んで節度を守るひとがいるが、老後に多欲になり、怒りやうらみが多くなり、晩年に節度を失うひとが多い。心得て慎むべきである。 子としては、この点を念頭において、父母が怒らないように日頃から気をつかい、畏れ慎まなければならない。父母を怒らせるのは子として大いなる不孝である。また子として不孝を親にとがめられて、親が耄碌したからとがめるのだ、と人に告げるのは最大の親不孝である。不孝にして父母を恨むのは悪人の習いなり。


6老人の保養

老人の保養は何よりも元気を惜しんで減らさないことである。静かに呼吸をし、話もゆっくりと言葉少なくし、起居・歩行をも静かにするがよい。荒々しい言葉で、早口で、声高く、よう言(声をはりあげていう)してはいけない。怒らず憂うることなく、すぎ去った他人の過失をとがめてはいけない。自分の過失をもいくたびも後悔しない。ひとの無礼な横逆を怒り恨んではならない。これもみな老人の養生の道、老人の徳行の慎みでもある。


7気を惜しむ

老いると気が少なくなる。気を減らすことをさける。まず第一に怒ってはならない。憂い、悲しみ、泣き、嘆いてはいけない。葬儀に出席したり死を弔わさせてはいけない。また思いすごさせてもいけない。最もいけないのは、多くを話すことである。早く喋ってはいけない。高声で話したり、高笑いしたり、声高く歌ったりしてはいけない。遠い道を歩きすぎてはいけない。早足で道を歩いてはいけない。重いものを持ちあげてはいけない。これはみな気を減らさず気を惜しむためである。


8酒食を吟味する

老人は体気が弱い。これを養うことが大切である。子たるものはこの点をよく配慮すること。まず何よりも、親の心にそむかないで心を楽しませてあげるべきで、これは志を養うということである。 また口腹の養(栄養)に気をつけなければならない。酒食はよく吟味して味のよいものを勧めること。食物で粗雑なもの、味の悪いもの、性の悪いものなどを勧めてはならない。老人は胃腸が弱いので、粗雑で刺激の強いものに(からだが)傷つきやすいのである。


9寒暑の外邪に用心

衰弱した老人は脾胃が弱い。夏期はもっとも注意して保養しなければならない。暑いために生の冷たいものを食べると、下痢をしやすい。瘧痢(高熱をともなう下痢)は恐ろしい。ひとたび病気をすると、身体が損なわれて元気が減ってしまう。残暑のときはとくに用心しなければならない。また寒期は老人は陽気が少ないので、寒邪に傷つきやすい。用心して予防しなければならない。


10老人と五味

老人は、とくに生で冷えたもの、堅いもの、脂っこいもの、消化しにくいもの、こげて乾いたもの、古いもの、くさいものなどがいけない。五味のかたよったものは味がよくても多く食べてはいけない。夜食はことに注意し、慎んだほうがよい。


11老人と寂寞

年老いてから寂しいのは良くない。子たるものは、ときどき傍にいて、古いことや現在の出来ごとを静かに話しながら、親の心を慰めるがよい。友人や妻子には和順で、長く対談するが、父母に対しては、堅苦しく、とだえがちに敬遠するのは、自分の親を愛さないで他人を愛することである。 これは悖徳(道理にそむくこと)であってきわめて不孝で、愚かなことである。


12温暖の日の散歩

温暖な天気の日は、庭園や田畑に出たり、高い所にあがったりして心をひろく遊ばせ、気の停滞を開放させるのがよい。ときどき花木を愛し、観賞させてあげる、その心を快適にさせるのもよい。けれども、老人が自分で庭や畑や花木に心を奪われて心労することがあってはよくない。


13万事無理をしない

老人は気が弱い。万事について用心深くするのがよい。すでにその事にとりかかっていても、自分の身を省みて、気力の及ばないことは行なってはならない。


14七十歳をすぎる頃

年齢が下寿(六十歳)をこえて七十歳になったならば、一年を無事に過ごすことも難しくなる。老人もこの頃になると一年のあいだでも体力・気力の衰えが時と共に変わっていく。その変化は、若いときの数年が経過するよりも明瞭である。衰えていく老いの身であるから、よく養生しなければ天寿を全うすることはできない。またこの年になると、一年の経過は早く感じられる。残り多くもない命であって、こんなに年月が早くすぎていけば、余命は本当に少ない。ひとの子たるもの、心を用いて孝行せずに、虚しく過ごさせることはもっとも愚かなことである。


15日々を楽しむ

老いてからは、一日をもって十日として毎日を楽しむがよい。つねに一日を惜しみ、虚しく暮らしてはいけない。世状が自分の心にかなわなくても、凡人だから無理もないと思い、自分の子弟はもちろん、ひとの過失をも許し、とがめてはいけない。怒ったり、恨んだりしてもいけない。また自分が不幸で福うすく、他人が横逆であっても、浮世の習いはこうしたものだと諦め、天命として憂い悩んではいけない。つねに楽しんで日を送るがよい。はかなく年月をすごすことを惜しむこと。惜しむべき大切な年月を、楽しまないで虚しく過ごすのは愚かである。たとえ家が貧しく不幸にして飢えて死ぬとしても、死ぬときまでは楽しんで過ごしたほうがよい。貧乏だからといって、ひとに貪りを求めて、不義の輩になってまで命を惜しんではならない。


16心労をさける

老人になったならば、徐々に事を省いて少なくする。事を好み多く関わってはいけない。好むことが多くあると事も多くなる。事が多いと心気疲れてして楽しみを失ってしまう。


17朱子の食養生

朱子(宋代の大儒)は六十八歳のとき、その子に与えた書に以下に記載の如く示した。 「衰病の人、多くは飲食過度によりて、病い加わる。殊に肉多く食するは害あり。朝夕、肉はただ一種、小食すべし、多くくらうべからず。あつものに肉あらば、さい(副食)に肉なきがよし。晩食には肉なきがもっともよし。肉の数、多く重ぬるは滞りて害あり。肉をすくなくするは、一には胃を寛くして気を養い、一には用を節にして財を養なう」 朱子のこの言葉は養生の要点である。若いひともこのようにすべきに思う。


18老人と外出時の用心

老人は大風雨、大寒暑、大陰霧(深い霧)のときは外出してはならない。こうしたときは家にいて外邪をさけて静養するがよい。


19老人と小食

老いると脾胃の気が衰えて弱くなる。食事は少なめがよい。多食することは危険である。老人の急死のほとんどが食べすぎによる。若くて脾胃が強かったときの習いで、食べすぎると消化不良を起こして元気塞がり病起こり死ぬ。慎んで過食しないようにすることだ。ねばっこい飯、堅い飯、餠だんご、麺類、おこわ、獣肉などの消化しにくいものを多く食べてはいけない。


20老人の食事

「衰老の人、あらき物多くくらうべからず。精しき物を少しくらうべし」、と元の許衡はいう。老人は脾胃が弱いからで、老人の食はこのようでなくてはならない。


21老人と食餌療法

老人が病になったならば、ます食餌療法を試みる。それで回復しないときは薬で治療するがよい。 これは古人の説である。人参や黄ぎは上等の薬である。虚損(衰弱の烈しい病気)の病のときは使用するがよい。病気のないときは、穀肉の養が、上等の薬よりはるかに益がある。だから老人は、いつも味のよい、性のよい食物を少しずつ用いて補養するのがよい。病ないときに偏薬(すべての薬はもともと体に変調を起こす)を用いてはいけない。かえって害になる。


22間食をさける

朝夕の食事は日頃のように食べ、その上にまた、こう餌(こなもち)や麺類などの(間食)を多く食べてはいけない。消化不良を起こしやすい。ただ朝夕二回の食事は味を良くして食べてもよい。昼間や夜中、その他の食事を好んではいけない。身体をそこないやすいからである。とくに薬を飲むときは臨時に食を取ってはいけない。


23老人と楽しみ

年をとったならば、自分の心の楽しみの他には気をつかわなくて良い。時流に従って自ら楽しむがよい。自分で楽しむというのは、世俗の楽しみではない。ただ心にある楽しみを楽しんで、胸中に何のわずらいもなく、天地四季、山川のよい眺め、草木の繁るを楽しむがよい。


24心身を養う

老後に官職のないひとは、つねに心と身体とを養う工夫を心がけること。老境に入って無益な努力と芸術に心を労して、気力を浪費してはいけない。


25世俗から去り、静閑を楽しむ

朝は静かな部屋に安坐し、香をたいて、聖人の経書を少し声を出して読み、心を清め俗念をとり払うがよい。道が乾いて風のないときは、庭に出てゆっくりと歩いて、草木を愛玩し、そのときの風景を観賞するがよい。部屋に帰ってきても、閑人として楽なことをすればよい。ときに机や硯の埃をはらい、席上や階下の塵を掃除する。いつも兀坐(ぼんやりと坐ること)したり、横になって眠ったりしてはいけない。老人には無理になるので、世俗とひろく交際してはいけない。


26静養第一

つねに静養するがよい。無謀な所作はしない。老人は少しの労働で、少しの損傷、疲労、憂いから大病を起こして死に至ることがある。常に配慮していなければならない。


27あぐらをかくこと

老人はつねに盤坐(あぐら)をかいて坐り、うしろに床几(腰かけの一種)をおいて、それに よりかかって坐るがよい。横になってやすむことを好んではならない。


育幼

28三分の飢と寒の中で

(28原文)小児をそだつるは、三分の飢と寒とを存すべしと、古人いへり。いふ意(こころ)は、小児はすこし、うやし(飢)、少(し)ひやすべしとなり。小児にかぎらず、大人も亦かくの如くすべし。小児に、味よき食に、あかしめ(飽)、きぬ多くきせて、あたゝめ過すは、大にわざはひとなる。俗人と婦人は、理にくらくして、子を養ふ道をしらず、只、あくまでうまき物をくはせ、きぬあつくきせ、あたゝめ過すゆへ、必病多く、或(あるいは)命短し。貧家の子は、衣食ともしき故、無病にしていのち長し。
現代訳大意
小児を育てるには三分の飢餓と寒さがあるほうが良いと昔の人はいう。その意味は、子供は少し空腹がらせ、少し冷たい思いをさせるほうが良いということだ。子供だけではなく、大人もこうした苦労をさせるがよい。子供に美味な食物を飽きるほど食べさせ、上等の着物を厚着させ暖めすぎるのは、のちに大きな禍いになる。俗人と婦人とは理に疎く子を養育する道を知らない。ただ腹いっぱい美味な食物を与え、着物を厚く着せて暖めすぎるので、子供は多病になって命を短くする。貧家の子供は衣食ともに乏しいので、かえって病気にならず長命である。


29小児は外に出せ

小児は脾胃がもろくて狭い(内腔が?)。ゆえに食べ物に傷つきやすい。つねに病人を介護するのと同じように心がけなければならない。小児は陽が盛んで熱が高い。だから常に熱を恐れて熱を発散させる必要がある。暖めすぎると筋骨が弱くなる。天気のよいときは外に出して、風や日光に当てるとよい。このように育てると、身体が丈夫になって病気をしない。肌に着せる着物は、古い布を用いる。新しい布や新しい綿は、身体を暖めすぎてよくない。だから使用してはいけない。


30小児の保養法の詳細

小児を保養する法は香月牛山(益軒の弟子、筑前の医者)の著書『育草』に詳細に述べられている。参考にするがよい。それについては、いまここでは省略する。


31鍼の効用

鍼の効用はどうであろうか。答えは、血気の滞りを循環させて、腹中の積(停滞)を散らし、手足の頑固なしびれをとり除くことである。また外に気を漏らして内に気を巡らし、しかも上下左右に気を誘導する作用がある。積滞や腹痛などの急病に用いると、薬や灸よりも早く消導(毒を消し回復に導く)するため有用である。積滞のないのに鍼を刺すと、かえって元気を減らす。それゆえに、『正伝或問』に「鍼に瀉あって補なし」という。しかし鍼を刺してとどこおりを吐き出させ、気をめぐらせてふさがらぬようにすれば、そのあとは食補も薬補もしやすくなる。
『内経』には「かく々(盛んなる)の熱を刺すことなかれ。渾々(ながれる)の脈を刺すことなかれ。漉々(したたる)の汗を刺すことなかれ。大労(大いに疲労している)の人を刺すことなかれ。大飢(大いに空腹)の人を刺すことなかれ。大渇(大いにのどのかわいている)の人、新に飽ける人、大驚の人を刺すことなかれ」、と記載されている。また次のようにもいう。「形気不足、病気不足の人を刺すことなかれ」これらは『内経』の戒めである。『正伝』では「これ皆、瀉ありて補なきを謂うなり」といっている。
入浴してからすぐに鍼をしてはいけない。酒に酔った人に鍼は禁物である。食べおわって満腹している人を、すぐに刺してはいけない。鍼医も病人も以上の『内経』の禁を知り守ること。
鍼を用いて生ずる利害は、薬や灸よりもすみやかに現われる。だからよくその利害を検討しなければならない。強く刺してひどく痛む鍼はよくない。また上記禁戒をおかすと気がへり、気が頭にのぼり、気が動いて、かえって病気が加わる。大いに用心しなければいけない。


32衰弱した老人と鍼

老人で衰弱しているひとは、薬治・鍼灸・導引・按摩を行うのに、早くなおしたいと願い、激しく行なってはいけない。激しくするのは即効を求めるからである。すぐに禍いをひき起こすことがある。もし、そのときは快適であったとしても、あとで害になる。


灸法

33灸の効用

ひとの身体に灸をするのは、どのような理由からであろうか。それについていう。人間が生きているのは、天地の元気を受けてそれを根本にしているからである。元気は陽気である。陽気は暖かで火に属している。また陽気はよく万物を生成する。ところで陰血もまた元気から生じる。元気が不足し て停滞してめぐらないと、気がへって病気が起こる。血もまた同じようにへる。それゆえに火気をかりて陽を助け、元気を補充すると、陽気が発生して強くなり、脾胃が調整されて食がすすみ、血気がよく循環し、飲食がとどこおらないで、陰邪の気が去るといわれる。これが灸の効力で、陽を助けて気血を盛んにし、病気を回復させる原理なのであろう。


34艾葉の製法

灸法については一部省略しました 前文詳細は中村学園版を参照してください。
艾葉(もえくさ=もぐさ)とは、燃え草の略語である。三月三日、五月五日に採る。


35艾葉の名産地

昔から近江の胆吹山、下野の標茅ガ原などが艾葉の名産地として知られ、いまでも多く切売りしている。古歌にもこの両処のもぐさについて詠んでいる。


36艾ちゅうの大小

艾ちゅう(もぐさの芯)の大小は、各自(すえてもらう人)の強弱によって決める。気血減り、気がのぼって害にならない程度の量ですえる。『明堂灸経』(正しくは『黄帝明堂灸経』)には「頭と四肢とに多く灸すべからず」と書いてある。肌の肉が薄いからである。また頭と顔と四肢などに灸をするならば、小さいのがよい。


37灸と火の選択

灸に使う火は、水晶(レンズ)を天日にてらして、その下に艾をおいて火をとるのがよい。 松・かや・枳・橘・楡・棗・桑・竹などの八木の火はよくないので、用いないがよい。


38灸をする姿勢と順序

省略しました


39灸をするときを選ぶ

省略しました


40灸後の食事

灸をしたのちは、さっぱりしたものを食べて血気がやわらぎおちついて、流れやすく するのがよい。味の濃い食事をとりすぎてはいけない。大食ももちろんいけない。酒は酔うほど飲んではいけない。熱い麺類・生で冷たいもの・冷酒・風(疾)を動かすもの・消化しにくい肉など食べてはいけない。


41身体の強弱と艾ちゅうの大小

灸法について書いた古書の記載など。省略しました


42灸瘡の処置

灸瘡の処置。省略しました


43阿是の穴

阿是(あぜ)の穴は身体中どこにでもある。それは灸穴(灸のつぼ)に関係なくある。押してみて強く痛むところがある。これが灸をすべき穴であって、阿是の穴というのである。 阿是の穴に数壮の灸をして、寒と湿とを防いで、そのときの気の感染しないように予防しておく。


44毎日すえる灸の効果

今日では、一日に一、二壮、それを毎日つづけて百壮に至る人がいる。これは有益であるという。 が、私はこの方法を述べている医書をまだ見たことがない。だが、この方法を実行し、効果があったという人の多いのも事実である。


45禁灸の日

治療法の書物には灸をしてはいけない日を多く決めている。その日が、なぜ灸をしてはいけないのか、その理由は明らかでない。『内経』には、鍼灸のことについて多く説いているが、禁鍼・禁灸の日を定めてはいない。


46小児への灸

『千金方』にいう。「小児初生に病いなきに、かねて針灸すべからず。もし灸すれば癇(かんしゃく)をなす」と。癇は驚風(脳膜炎やこれに似た病気のこと)である。この癇のある小児に、身柱(第四胸椎)・天枢(へその横)などに灸をした場合、ひどく痛がるときはこれを一度とり除いて、また灸をするがよい。小児には小麦の大きさくらいの灸にしてすえるがよい。


47首すじに灸は不可

首すじの部分の上部に灸をしてはいけない。気がのぼってのぼせるからである。老人がのぼせるようになると、癖になってやまない。


48灸の効用−二月灸と八月灸と

省略しました。


49灸のつぼ

灸をすべきところを選んで、大切な灸のつぼに灸をするがよい。むやみにあちこちと 多く灸をすえると、気血を減らす。


50頓死者の灸

すべての急死や夜にうなされて死んだ者に、足の親指の爪の甲の内側で、爪から離れること韮葉(少しの形容)くらいの場所に、五壮か七壮の灸をすえるがよい。


51老人と灸

衰えた老人は、身体の下部に気が少なく、根本が弱く、のぼせやすい。多く灸をすると気がのぼってのぼせ、下部はますます空虚(うつろ)になって、脚腰が弱まる。だから多く灸をしてはいけない。<


52病人と灸−ひねり艾と切り艾

省略しました。


53腫れものと灸

省略しました。


54灸をする時刻

『事林広紀』には、『午後に灸をするがよい』と述べてある。


養生訓の後記

上に(本文では右に)しるせる所は、古人の言をやはらげ、古人の意をうけて、おしひろめし也。又、先輩にきける所多し。みづから試み、しるしある事は、憶説といへどもしるし侍りぬ、是養生の大意なり。其条目の詳なる事は、説つくしがたし。保養の道に志あらん人は、多く古人の書をよんでしるべし。大意通しても、条目の詳なる事をしらざれば、其道を尽しがたし。愚生、昔わかくして書をよみし時、群書の内、養生の術を説ける古語をあつめて、門客にさづけ、其門類をわかたしむ。名づけて頤生輯要と云。養生に志あらん人は、考がへ見給ふべし。ここにしるせしは、其要をとれる也。



現代語訳

上記に書き述べたのは、古人の言葉をやさしく解釈し、古人の意を受けて展開したものである。また諸先輩に教わったことも多い。自分で試し、効果のあったものは、仮説のようなものでも書きとどめた。これは養生の大意である。その項目の詳しいことは、説き尽くしていない。保養の道に関心のあるひとは、多くの古典を読んで知るがよい。大意が理解できても、項目の詳しいことを知らないとその道を尽くすことができない。私は、若いときに読んだ群書のうち、養生の術を説いた古語を集めて、弟子たちとその項目の分類をし、『頤生輯要』(一六八二)という表題で一書を編集した。養生を志す人は参考にして見てほしい。ここに書いたのは、その書物の要点をとり、その意義を展開したものである。

八十四翁貝原篤信書
正徳三(癸巳)年(一七一三)正月吉日
永田調兵衛版行



平成版養生訓の後記

平成10年から着手した。 元の本は貝原益軒養生訓【岩波】 を中心に、 中村学園教授水上先生のご許可を得て、自分なりに 省略できる部分は省略し、平成11年夏に完成す。

edogawa-med.comからprodr.comにURL変更時に中村学園版の オリジナル養生訓も当サイトにupした。水上教授のご好意により、オリジナルのミラーを置くことが出来た。感謝!

洋彰庵 利吉 こと、ここまでの解釈および入力の文責 吉利 彰洋
   



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