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洋彰庵版 養生訓巻第六 慎病・択医

洋彰庵 利吉



慎病(病を慎む)

病は生死のかかる所、人身の大事なり。

聖人の慎みたまうこと、むべなるかな。

1予防医学

古語に「病想を作す」という。その意味は、無病のときに、病気の日の苦痛を思いめぐらして、風・寒・暑・湿の外邪を防ぎ、酒食や好色の内なる欲を自制し、身体の起臥、動静に心をくばっておれば病気にならないということ。また古詩に「安閑の時、常に病苦の時を思え」という。その意は、病気 なくのんびりしているときに、病気の苦痛を思い起こし、苦しみを忘れてはならない。無病のときにこそ自制し、勝手気儘にしなければ病は生じない。これは病になり、良薬を服用したり、鍼・灸をするよりはるかによいことだ。邵康節の詩、「その病んで後、能く薬を服せむより、病前に能く自ら防ぐにしかず」と同じ意である。


2無病のときの心がけ

病のないときに慎んで予防すれば病気にならない。病になってから薬を飲んでも容易には治癒しない。小欲を慎まないと大病になるものだ。小欲を慎むのはそう大変ではないが、大病になっては苦痛が大きい。かねてから病時の苦痛を思い、のちの禍を畏れることである。


3病気が回復の途中の養生

古語に「病少しく癒ゆるに加わる」といわれている。つまり、病気が少し軽快すれば、気分もよくなるので、つい養生を怠けて用心しない。少し軽快したといって飲食や色欲など気儘にすると病気はかえって重くなる。少しの軽快時に、さらに用心して養生すれば病は早く癒えて再発の禍はない。快方に向かったときにこそ慎み用心しないといけない。


4一時的な快方

『千金方』にいう。「冬温かなることを極めず、夏涼しきことを極めず、およそ一時快きこと必ず後の災となる」と。


5はじめの養生

病になると、心憂身苦におちる。そのうえ医者を招き、薬を飲み、鍼・灸をし、酒をやめ、減食し、いろいろ心痛が生じ、身体を責めながら、病気の治療をする。が、それよりも、最初に内欲を堪えて外邪を防げば病気は起こらないはずだ。であれば薬を飲むこともなく、鍼灸も必要なく、心身の苦痛もない。最初にしばしの間自制することは少しの心づかいであるけれども、のちに苦痛をひき起こさないという点で、大きな効果といえる。病生じて後、薬や鍼灸を用い、酒食を我慢するのは、苦しみが多くして益が少ない。古語に「終りをつつしむことは、始においてせよ」という。万事初に慎めば後に悔なし。養生の道は特にそうである。


6欲を慎む

飲食や色欲の内欲を気儘にしないで、厳格に慎み、風・寒・暑・湿などの外邪を予防すれば、病気にかかることなく、薬を用いなくて心配なし。もし欲を自制しないで、ただ脾胃を補助する薬と食事療法に頼るだけでは健康上の良い結果もないであろう。


7養生を守って静かに回復を待つ

病人は養生の道を厳格に守って、病気のことを憂い苦しんではいけない。憂鬱になれば気が塞がり、病気が重くなる。病が重症でも気ながによく養生すれば、思ったより早く回復するものだ。病気を心配しても無益である。ただ養生の道に従い慎むことがよい。万一、死に至る病気ならば、天命の定めることであるから、憂いても益はない。周囲のひとを苦しめるのは愚かである。


8あせらず自然に癒ゆるを待つ

病気を早くなおしたいと思って急ぐと、かえって逆効果になり、病気を重くする。養生は怠らず続けて、性急に回復することを望まず、自然にまかせるがよい。万事、いそいで良くしようとすると、かえって悪化するものである。


9湿気に注意

居室や寝室は、たえず風・寒・暑・湿の邪気を防ぐようにする。風や寒暑はひとの身体を痛めることが、烈しくて早い。これに対して湿は、ひとの身体(健康)を損なうこと遅くて深いものだ。それゆえに風・寒・暑をひとは恐れるが、湿気には無頓着である。ところが湿に当たると底深く身体に入りこんで、容易に治らない。湿気があるところから早く離れなければならない。山を流れる川岸の近いところから遠ざかるがよい。また低地で水に近く、床の低いところに居てはいけない。床を高くし、床の下の壁に風通しの窓をあけて気の流通をよくする。塗りたての壁に近づいて坐臥してはいけない。湿気に当たって病気になり、治りにくいものだ。あるいは疫病(伝染病)になることもあるから、恐れなければならない。文禄の朝鮮の役(文禄一年千五九二年)で、戦死者よりも疫病で死んだ者が多かったのは、陣屋(軍営)が低くまばらであって、兵士が寒・湿に当たったためだといわれ ている。居室も寝室も外湿を防ぐ為には、高くて乾燥しているところがよい。一度湿に当たると治癒 しにくいので注意しなければならない。また酒や茶や湯水を多く飲まないようにし、瓜・果物・冷たい麺類を多くとらないようにする意味は、すべて内湿を防ぐためである。夏期に冷水を多く飲み、冷たい麺をしばしば食べると、必ず内湿によって、痰瘧(おこり・熱病)や泄痢(下痢)になる。大いに用心するがよい。


10外邪と傷寒

傷寒(チフス性疾患)を大病という。諸病の中でもっとも恐ろしい病気である。若く元気な人も傷寒や疫癘(伝染病)にかかって死ぬひとは多い。恐れなければならない。あらかじめ風・寒・暑・湿をよく防いでおかなければいけない。発病してまもないときに、早く十分な手当をしなければ危険である。


11酒と中風

中風は外の風に当たった病気ではない。体内に生じた風に当たってなるものである。肥白で気の少ないひとが、四十歳をすぎて元気の衰えたとき、七情の悩みや酒食の害によってこの病気が起こる。日頃から酒を多く飲んで胃腸をわるくし、元気がへり、内熱が生じているので、体内に風が発生して手足がふるえ、しびれ、麻痺して思うにまかせず、口がゆがんで喋ることができない。これはみな元気が不足するからである。それゆえに、若くて気の強いときはこの病気にはならない。しかし若いひとでも稀にこの病気にかかることがあるが、そのひとはかならず肥満し気の少ないひとである。大酒して、内が乾燥して熱をもち、体内に風が生じるのは、たとえていえば、七、八月ごろに残暑が厳しく、雨が長く降らず地の気が熱して、大風が吹くようなものである。この病は下戸(酒の飲めないひと)にはほとんどない。肥白(太って色が白い)のひとや酒好きのひとは日頃から注意しておくがよい。


12春の余寒

春は陽気が発生し、冬の閉蔵に代わってひとの肌をやわらかにし、表面の気がようやく開き始める。だが余寒がまだまだ厳しいので風寒に感じやすい。用心して風寒に当たらないようにし、風邪や咳の病気に罹患しないようにしなければいけない。草木の芽も春の余寒にいたみやすい。これでわかるように、ひとも余寒を恐れて注意しなければならない。ときどき身体を動かし、運動し、陽気の循環を助けて気を発生させるのがよい。


13夏の生冷のものに注意

夏は気が盛んに発生し、汗が出て人間の皮膚が大いに開くために、外邪が侵入しやすい。涼風に長く当たってはいけない。入浴したあとで、風に当たってはいけない。さらに夏は伏陰といって、陰気が体内に隠れているから、食物の消化が遅い。だからなるべく少なめに飲食をするのがよい。温かいものを食べて脾胃をあたためるがよい。冷水を飲んではいけない。冷たい生ものはすべてよくない。冷えた麺も多く食べてはいけない。虚弱者はもっとも嘔吐と下痢とを恐れなければならない。冷水に浴、冷水で洗面、冷水で手足を洗などいけない。 睡眠中には、ひとに扇であおがせてはいけない。風に当たって寝てはいけない。夜、外で寝てはいけない。また、夜外気の中に長く坐って夜露に当たってはいけない。酷暑のときでも涼しすぎてはいけない。日に長くさらされた熱いものの上に坐ってはいけない。


14純陽の四月(陰暦)

四月は春らしい純陽の月である。もっとも色欲を慎まなければならない。雉や鶴など温熱のものを食べてはいけない。


15夏期の養生、細心の注意を

四季の中で夏はもっとも保養に心がけなければならない。霍乱(暑気あたりの諸病)・中暑(暑気あたり)・傷食(食べすぎの消化不良)・泄瀉(下痢と嘔吐)・瘧痢(熱をともなう下痢)などにかかりやすい。生冷の飲食を禁じて、慎んで保養するがよい。夏にこれらの病気になると、元気を失い衰弱してしまう。


16夏期と薬

六・七月の酷暑のときは、極寒のときより元気が消耗しやすいので十分保養しなければならない。 加味生脈散、補気湯、『医学六要』(明の医者、張三錫の著書)にある新製清暑益気湯などの漢方薬を長く服用して元気が発泄するのを収斂しなければならない。一年のうちで時候のために薬で保養しなければならないのは六、七月だけである。東垣の清暑益気湯は湿熱を消散させる処方である。いわゆる栄養保健剤ではないので、病気でないときに飲んではいけない。


17夏の古井戸の注意

夏期に古い井戸や深い穴に入ってはいけない。毒気が多い。古い井戸には、まず鶏の羽毛を投げ入れて、それが舞い下りにくいときは毒(ガス)があると思われるので、入ってはいけない。火をもやし入れてから入るのがよい。また多量の酢を熟して井戸にいれてから入るのがよい。夏至に井戸をさらえて(水を入れかえること)を忘れてはならない。


18秋の衛生

秋は、七、八月の残暑もまた厳しく、夏に開いた皮膚はそのままで、肌のきめがまだ閉じていない。皮膚の表面の気がまだ堅固でないのに、秋風に吹かれると皮膚は障害を受けやすい。用心し、涼風に当たりすぎないように心がけねばならない。病人は、八月になり残暑も去ってから、所々に灸をして風邪を予防し、陽を助けて痰咳の病を免れるようにするとよい。


19冬と衣服

冬は天地の陽気が閉じかくれて、人間の血気が静まるときである。心気をおちつけて、(体内に)納めて、保つがよい。温めすぎて、陽気を発生させ泄らしてはいけない。上気もいけない。衣服を温めるのも、ほどほどでよい。熱いのはいけない。厚着をしたり、火気で身体を温めすぎてはいけない。熱い湯に入浴してもいけない。労働して汗を出し、陽気を泄らすことなかれ。


20冬至と静養(謹慎)

冬至になってはじめて陽気が生じる。微小な陽気を大切に養わなければならない。だから労働をさけて静養するのがよい。この日は公の用事でもなければ外出してはいけない。冬至の前五日と後十日は房事をさけるがよい。また灸をしてもわるい。『続漢書』にいう。「夏至に水を改め(井戸水を入れかえる)、冬至に火を改むるは、瘟疫(伝染病)を去るなり」と。


21冬期の鍼・灸

冬期は急病でなければ、鍼・灸をしないほうがよい。十二月はもっとも良くない。また冬は按摩もよくない。自分で静かに導引するのに害はない。しかし強く荒くしてはいけない。


22大晦日の行事

除日(大晦日)には父祖の神前を掃除し、家の内とくに寝室のちりを払い、夕方になって灯をつけて翌朝にいたるまで家内を明るくし、香をたき、かまどで爆竹を鳴らし、火をたいて陽気を助けるがよい。家族ともども炉を囲んで、和気あいあいと争わず、家人を叱ったりしない。父母や尊長を拝祝し、、家内の老幼も上下の人びともともに椒酒(屠蘇)を飲んで大晦日を喜び楽しみ、夜どおしで旧年を送り、新年を迎えて朝にいたる。これを守歳というのである。


23発汗と風と

熱いものを食べて汗が出てきても、風に当たってはいけない。


24負傷の手当て

ともかくひとの身体というものは、落ちたり、傷ついたところに、灸をしてはいけない。灸をすると薬を服用しても効果がない。また武器に傷つけられて出血多量のひとは、必ず喉がかわくものだ。しかし水を与えてはいけない。ひどく害がある。粥をやってもいけない。粥を飲むと血が沸き出てかならず死ぬ。こうしたことは日頃から知っておかなければならない。また刀傷・折傷(打撲、骨折など)・口の開いている傷などは風に当ててはいけない。扇であおいでもいけない。し症(硬直・けいれんを起こす病気)になったり、あるいは破傷風になる。


25冬の遠出

冬、朝早くから遠出をするときは、酒を飲んで寒さを防ぐのがよい。空腹で寒風に当たってはいけない。酒を飲まないひとは粥を食べるがよい。生姜もまたよい。霧の中を遠くへ行ってはいけない。やむなく遠くへ行かなければならないならば、酒食をもって防御するがよい。


26雪中での冷え

雪中を跣で歩いてひどく冷えたときに、熱い湯で足を洗ってはいけない。早く火にあたってもいけない。大寒にあたってから熱いものを飲食してはいけない。


27頓死を防ぐ

頓死(急死)の病気は多い。卒中風(脳卒中)・中気・中悪(ガス中毒)・中毒・中暑・凍死・湯火(火傷)・食傷・乾霍乱(日射病)・破傷風・喉痺(喉頭ジフテリヤ)・痰厥(肺水腫か?)・失血・打撲・小児の馬脾風(ジフテリヤ)などの病気はみな急死する。このほかに五絶といって五種の頓死がある。一は自分で首をくくる縊死、二は圧死、三は溺死、四は就寝中の急死、五は婦人の難産の死である。みないわば暴死する病気である。日頃から処置を考え、また救急法を良医に教わっておくのがよい。日頃からの準備がなくて、その場にのぞんで慌てるようでは困る。


28奇異なことに迷わず

世間でいう不思議なことや奇異なことは、たとえ目前に見たとしても、それが必ずしも鬼神の所為とは言い難い。人間には心病もあるし、また眼病もある。こうした病気があると、実在しないものが見えることが多い。奇怪なできごとを信じて迷ってはいけない。


択医(医を択ぶ)

29良医を選ぶ

保養の道は自分で病気の注意をするばかりでなく、良医を選ぶべきである。


30医者の世襲はいけない

医は仁術である。仁愛(ひとを愛しひとを思いやる)の心を本とし、ひとを救うことを第一の志とすべきである。


31儒学と医学

およそ医者を志す者は、まず儒書を学べ。古典の意味と思想とに通じていると、医術の義理にもおのずから通じる。それゆえに孫思ばくはいう。「凡そ大医たるには先ず儒書に通ずべし」と。さらに「易を知らざれば、以って医となるべからず」と。諸芸(技術)を学ぶためには文学(学問)を根本におかなければならない。学問がなければ技術が上達しても理論に弱く、技術もそれ以上に進歩しない。儒学の力や易の理論をもって医道を解明しなければならない。こうした順序でなければ医書は読めず医道に通じることはできない。


32良医と福医と俗医

根底に学問があって、医学に精通し、医術に心をくばり、多くの病気をみて、その変化を心得ているのは良医である。医者になって医学を好まず、医道に精進せず、医書も読まず、かりに読んでもよく思考し工夫することをせず、理論に通じることなく、あるいは医書を読んでも旧説にとりつかれて時代の新しい説を知らないのは、いやしい職人である。
俗医のなかには、利口にたち振舞うものがいて、医学と治療とは別問題で、学問は病気を治すに必要ないものだといい、自分の無学を弁明し、人情にたより、世事にたけて、権力者や上流階級の人びとにへつらって近づき、虚名を得て、好運にも世間にもてはやされる者が多い。これを福医もしくは時医というのである。これらの医者は医道にはくらいけれど、好運によって世間にもてはやされたまでである。才能も徳もないひとが、時機にあって富貴になるのと同じである。医者が世間にもてはやされるか、そうでないかは良医による選択ではない。医道をしらない一般の人びとによるものであるから、時機にあってはやる医者を良医と思ってはいけない。その医術はかならずしも信じられない。


33医道に精進

古人は「医なるは意なり」という。その意味は、本意をよくつかんでいれば医道をよく知って病気をよく治すということである。医書を多く読んでも、医道に精進せず、意が粗雑で思考・工夫がなければ医道をしらないのと同じである。


34君子医と小人医

医者になるならば、君子医といわれる医者になるべきである。小人医になってはならない。君子医は、ひとのために尽くす。もっぱらひとを救うことを志す。これに反して小人医は、自分のためにするばかりである。自分の利益ばかりもとめて、ひとを救うことに専一ではない。医は仁術ではないか。ひとを救うをもって志とすべきである。


35医者・利養・治療

君子医になって利益もかえりみないでひとを救うために行為せよ。仮に医者になって張仲景や李東垣のように富貴の人なら、利益のためにしなくても貧窮の心配もなかろう。が、貧家の子弟が医者になった場合に、自分の利益を考えずに、ただひとを救うためにのみ行為すると、生活にも困ることになるであろう、と。それは間違いである。自分の利益をはかってはいけない。そうすれば、よく病気をなおし、人を救うことになり、利益は自分で求めなくてもおのずから与えられるであろう。ともかく、専心医術に努めて、利益をむさぼってはならない。


36医術の工夫

医者になった者は、家にいるときはつねに医書を読んでその理を明らかにし、病人を診察しては、その病気についての治療書を参考にして、細心の注意をはらい薬を処方しなければならない。病人をひき受けたら、他事に気をとられることなく、ただ医書を参考にしながら精密に考えるべきである。とにかく医者は医道に専一でなければならない。ほかの珍しいものに心を奪われてはいけない。専心医道に努めなければ医業は進歩しないのである。


37医術の心得

医生(医学生)でもないものが、大まかに自分で薬を使うことは危険である。『医説』に「 明医(名医)は時医(時代にもてる医者)にしかず 」、というのがそれである。医者の良否を知らないで、庸医に父母の命を任せ、また自分の身体を任せて、誤診されて死んだ例は世間に少なくない。恐ろしいことである。


38良医は医学十年の労を積む

医者になれるような才能が認められたならば、早く儒書を読ませて基礎的な学力を身につけ、その学力で医書を学ばせ、名師のもとに入門させて十年間、そこで『内経』『本草』から歴代の明医の書を読んで学問させ、ようやく医道に通じたならば、それからさらに十年間、病人に対して諸症状を長期にわたって観察・習熟させ、近世日本の先輩名医の治療法をもあわせて学ばせ、病人になれさせ、日本の風土に適応した臨機応変の処置を把握させるがよい。そうすると、医術もいよいよ精緻になる。医学と臨床実習とを前後あわせて二十年くらい努めたならば、かならず良医になるであろう。こうした立派な医者は国家の宝である。諸侯は早くこのような良医を養成されるがよい。医者になる人が、万一庸医の業を学び、愚かな世間の俗言を信じて、医学を学ばず、俗な先生にしたがい、中国の医書をも読まないで、病気の原因と脈とを知らないで、さらに本草(薬草学)にも通じないで、薬の性も知らず、医術にくらく、ただ近世日本の医者がつくった国字(仮名)の医書を二、三巻読み、薬の処方を少し覚え、上等の服を着て、自分の外形や動作をもっともらしくし、弁舌(舌)を巧みにし、ひとのもてなしをとりなし、富貴の家にへつらって近づき、そのときそのときのさいわいをもとめて裕福な医者をうらやましく思い、そのまねをしていては、とるに足らない医者で終わるであろう。
こうしたつまらない医者は、医学をよく学ぶとかえって医術が下手になるといいふらして学問のある医者をののしるものである。医者となって、天道の子であるといわれる万民のきわめて重い生命をあずかって、世間に限りなく多い病気を治療するのに、このような卑劣な術をするということは、もはや語るに値しない。


39俗医の学問嫌い

俗医は、医学を嫌って学ばない。近代の名医の書いた和字の医書をみて、薬の処方を四、五十使い覚えると、医道はよく知らないのだが、病人のあつかいになれて、通常の病気を治療することは、医書をよく読んではいるが、病人のあつかいになれていないものよりすぐれている。だが、医学を知らない医者は、ややもすると気の虚実や寒熱をとり違えて、実と虚とをとり間違えた診断をし、目に見えない禍をまねくことが多い。学問のない医者が、こうした病気を治療することはおよそのぞめないであろう。


40医者を志す人

医者になろうと志すひとは、まず志をたて、ひろくひとを救済するのに誠心誠意を主として、病人の貴賎にかかわりなく治療をしなければならない。これこそ医者となるものの本意である。医道を明らかにし、医術に通じると、無理にひとにへつらったり、世間に求めなくても、おのずからひとに愛護されて、限りなく幸福になるであろう。もし自分の利益を求め、ひとを救う気持ちがなかったならば、医は仁術の本意を失って、天道・神明のおかげもないであろう。


41貧者と愚民と

貧者は医者にかかることができずに死ぬが、愚民は庸医に誤診されて死ぬ者が多い、と古人はいう。 心すべきことであろう。


42医術と博学であること

医術はひろく書を読み考えないと事実をとらえることができない。精密に理をきわめなければその道を明らかにすることはできない。博学と精緻とは医学を学ぶための要綱である。医学を学ぶひとは、最初から大いに志を堅固にして、博くまた精しく学ばなければならない。この両者がそなわらないと意味がない。志が小さく、考え方が粗雑であってはいけない。


43日本の医学と中国の医学

日本の医学が中国に及ばないのは、まず学問する努力が、中国人に及ばないことである。とくに近世は、国字の治療書が世間に多く刊行されはじめた。古学を好まない医学生は、中国の医書をむずかしいといって読まない。仮名書きの医書を読んで、医道はこれで十分と思い、古医道を学ばない。これでは日本の医者が医道にくらく、駄目になるわけである。これは昔、いろはの仮名ができたために、世間一般が文盲になったといえなくもないようだ。


44医学なき医術

医書をいかに多く読んでも、下手な医者はいる。それは医道をつかむ心がけがなく、精密でないからである。まして医書を読まないで上手であろうはずはない。中国、日本に博学・多識でありながら道をしらない儒者は多い。が、博く学ばないで道を知っているひとなど考えられないようなものである。


45医者は仁の心をもつ

医者は仁の心をもって実行しなければならない。名利を求めてはならない。


46古法を重んずる

医学を学ぶには古法を追求し、ひろく学び、古い治療法を参考にしながら工夫するがよい。日本の風土と国民性をとらえて、近古日本の名医の治療法を参考にして治療を行うがよい。古法を知らないで、今の時勢に合わせようとすることを鑿という。古法にばかりかかわって、時勢に合わないのを泥という。ともに間違っている。古法にくらく、現代にも通じていなければ、医道は行われない。聖人(孔子)も「故を温ねて新しきを知る。以て師とすべし」という。


47投薬の適中と偶中と

薬が病気に適応するのに、適中と偶中とがある。適中とは良医の投薬が的確に合うことをいう。これに対して偶中とは庸医の投薬がたまたま合うことをさすのである。


48医者と時勢

医生などは、時勢の幸運によって、富貴の家に信用されて福医になった医者をうらやましく思って医学を学んではいけない。権力者にへつらい名利を得る医者は多いものである。だから医術はすたれ、庸医が多くなっていくのである。


49みな医術を学ぶがよい

種々の技芸には日用無益なものも少なくない。ただ医術はそうではなく有益である。医学生でなくても少しは学んでおくがよい。ことに医術は、自分の養生にもなり、父母に仕え、ひとを救済するのに役立つから、いろいろある技芸の中でも、もっともすぐれて有益である。知らないでよいはずはない。とはいっても、専門の医学生ではないのだから、治療の術に習熟することもなしに、みだりに薬などを使用してはいけないのである。


50医学生と医書

医書は『内経』と『本草』(『神農本草経』)とを根本とする。『内経』を研究しないと、医術の学理、病気の根本をつかむことはできない。また『本草』に通じないと、薬の性を知ることができないので、処方はつくれない。さらに食物の性を知らないでは、その良否を定めることができず、食事療法もできない。この二書を医学の基本としなければならない。二書を学んでから読まなければならない書物は次のようなものである。
秦越人の(周代の医者、扁鵲)の『難経』、張仲景(後漢の医者、張機ともいう)の『金匱要略』、皇甫謐(晋の医者)の『甲乙経』、巣元方(隋代の医者)の『病源候論』、孫思ばくの『千金方』、王とう(唐代の医者)の『外台秘要』、羅謙甫(元代の医者)の『衛生宝鑑』、陳無拓(宋代の医者、陳言ともいう)の『三因方』、宋の恵民局の『和剤局方証類』、『本草序例』、北宋の医者の銭仲陽の医書、金代の医者で劉完素ともいう劉河間の医書。さらに朱丹渓の医書、李東垣の医書や楊しゅん(明代初めの医者)の『丹渓心法』、劉宗厚(明代初期の医者、劉景厚ともいう)の『医経小学』、『玉機微義』、熊宗立(明の医者、名は均)の『医書大全』、周憲王(明初期の文人、朱有燉ともいう)の『袖珍方』、周良采(明代の医者)の『医方選要』、薛立斎(明代の医者、薛己ともいう)の『医案』、王璽(明代の医者)の『医林集要』、楼英(明代の医者、字は全善)の『医学綱目』、虞天民(明末の医者、虞搏ともいう)の『医学正伝』、李挺(明代の医者)の『医学入門』、江篁南(明代の医者)の『名医類案』、呉崑(明代の医者)の『名医方考』、きょう延賢(明代の医者、字は子才)の医書数種、汪石山(明代の医者、字は省之)の『医学原理』、高武(明の博物学者)の『鍼灸聚英』、李中梓(明代の医者)の『医宗必読』、『頤生微論』、『薬性解』、『内経知要』である。さらにまた、薛立斎の書十六種もある。医統正脈は四十三種ある。
歴代名医の書を集めて一部としたものである。これはすべて医学生の読まなければならない医書である。年の若いとき、まず儒書を読み記憶し、その学力をもって右の医書をよく読んで覚えるようにしなければならない。


51『千金方』は医の良書

張仲景は百世(百代)の医祖である。その後、歴代の名医は少なくない。そして各自が新しく発見することは多いのだが、その説に偏している。だからよく考えてその説を選ばなければならない。孫思ばくは養生の祖医である。『千金方』を著わした。養生の方法も治療法もみなこの医書を本にすべきである。老荘思想を好んだので異術を説くところもなくはないが、すばらしい点が多い。医学生にすすめていることは、儒書に通じ易学を学ぶことであろう。盧照鄰(唐の学者)に答えた数語はすべて道理である。孫思ばくは後世に大きな益をもたらしている。医術に功績のあった点では、皇甫謐、葛洪(晋の道士、字は稚川)、陶弘景(梁の処士、字は通明)の諸子よりも上である。彼が百歳以上も寿命をたもち得たのは、よく保養の術に長じていた証拠といえよう。


52日本の医書刊行

その昔、日本に治療書として最初に受け入れられた医書は、『千金方』であった。近世になって医書が印刷され始めたが、その最初は、『医書大全』である。この書は、明の正統十一(一四四六)年に熊宗立が編集した。日本に大永のはじめに輸入されて、同八(一五二八)年、和泉国(現、大阪府の南部)の医者阿佐井野宗瑞によって刊行された活板である。正徳元(一七一一)年まで一八四年である。それから活字の医書がようやく発刊されるようになった。寛永六(一六二九)年以後、一枚板に刻んで印刷した医書がしだいに多くなった。


53医書の選択

とにかく諸医の治療書には偏説が多い。だからひとりの医書を基本にして、そのひとの医書によってのみ治療することは問題である。学者は多くの治療書を集め、ひろく異同を考察し、その長所をとり短所をすてて医療を推進しなければならない。今後も才識あるひとが、世間を助ける志があるなら、ひろく治療書を選択し、その重複している部分をけずり、その煩瑣な部分を除いて、その粋美な要点を集めて一書を編集すると、純正な医学の全書ができて、社会の宝となるであろう。これはそうした人物の出現によってなされるのである。
近代(正徳3年)の治療書、医論、脈法、処方などは同じことがとても多く記載され、とくにきょう延賢の治療書の数部は、同じことが多く、繰りかえされてわずらわしい。無用の言葉もまた多い。 病気に向かって多くの治療書を調べることは煩わしくて疲れる。急病に対しては、にわかにひろく調べて、その病気に適応した良治の方法を選ぶのは困難である。同じことが多く、似通った書を多く集めて考えるのも苦労千万である。才能と学識のあるひとは、無益なことで時間を費やすよりは、こうした有益なことをして社会のためになるがよかろう。世間にそうした才能のあるひとがいないはずはない。


54医書の長短

『局方発揮』(朱丹渓の著)が出版されてから『局方』(『和剤局方』のこと、宋の官撰処方集)がみられなくなった。しかし『和剤局方』には古方が多いので、古医学を研究するのに役立つから捨ててはならない。ただ烏頭・附子などの燥剤(特殊な薬)を多く採用しているのはよくない。 近古の日本では『医学大全』が使用されている。きょう延賢の治療書が流布してのちは、東垣の医書や『医学大全』、その他の治療書をも用いないので、医術の幅がせまく、粗雑になった。 『三因方』、『袖珍方』、『医書大全』、『医方選要』、『医林集要』、『医学正伝』、 『医学綱目』、『医学入門』、『名医方考』、『医学原理』、『奇効良方』(明代の方書)、 『証治準繩』(明末の医者、王肯堂の著書)など、またその他の治療書を多く研究すべきであろう。 『医学入門』は医術の大概をそなえている良著である。きょう延賢の医書のみを用いてはならない。きょう氏の医療は、明代の風俗の衰弱した時代にかなった医術として世間にとり上げられた。日本でも事情は同じであろう。必要なところは採用してもよいが、すべてがよいものと信じてはならない。なぜならば、雲林(きょうの号)の医術はその見識がひくい。他人の考えを盗んで自分の著作とし、他医の治療の功績をうばって自分の手柄のように書いている。道にあわない書物を著わして、ひとに淫を教え、紅鉛(月経血)などの不潔なものをひとに飲ませて良薬であるという。自分の医術を誇示してみずからほめている。これは人間としてきたない行為である。賤しいことである。


55他医をわるくいわないこと

自分より前に病人に投薬した医者の治療がかりに誤っていても、前医をそしってはならない。他医をそしって自分の医術を誇示するのは小人のわるい癖である。また医道の本意でもない。


56薬の選択

本草の内容は古人の説がそれぞれ違っていて、一定ではない。異同が多い。その内容を考えあわせ、選んで使用すべきである。薬物も食品も、それぞれの性や、病状によって、可不可がある。一概に良否を定めることはできない。本草の内容は古人の説がそれぞれ違っていて、一定ではない。異同が多い。だからその内容を考えあわせて、選んで使用すべきであろう。また薬物も食品も、それぞれのひとの性によったり、病状によって、可、不可がある。一概に良否を定めることはできない。


57医術の三要点

医術もまた学ぶことが多い。その要点は三つである。 一は病論(病理学)、二は脈法(診断学)、三は薬方(治療学)である。この三つをよく学ばなければならない。運勢や経絡(経は動脈、絡は静脈を意味する)なども知っておかなければならないが、これは三つの要点に次いでのことである。病論は『内経』を基本にして学び、あわせて名医の諸説を研究するのがよい。脈法は脈書の数家のものを研究するがよい。薬方は本草を本としてひろく諸治療法を参考にすることだ。薬性も食性も、すべて本草に精通しないと知ることはできないのである。


58上医・中医・下医と薬

病気になっても治療しないのは、いつも中医にかかっているのと同じだ、と。これは道理でまことにもっともである。だから病気に罹ったならば、ただ上医の薬を服用しなければならない。中、下医の薬を飲んではいけない。ところが、近時は上医が少なくて多くは中、下医である。薬を飲まないのならば医者は無用ではないかという人もあろう。それは間違いである。私はこう答える。そうではない。病気があってもすべて治せるとはいえない。


   



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